最近 本質のパワーについて考えさせられる機会がありました。私たちのほとんどは知らず知らずの内にこれが自分だと認識している自分と、本質の自分の間に分離を作り出しているようです。
私たちは金魚鉢の中を泳いでる自分が本当の自分だと思い込み、その中でどのように生きていくかに追われてしまっている事に気づきません。
私たちは本来 もっと自由でパワフルで、自分の人生を創造していける存在だという事を思い出す時期がきているのではないかと思います。狭いフィールドの中から世の中を見ると、世界は思い通りにならない不自由な世界に感じられます。金魚が外の世界を知らないように、私たちも日々、他に世界がないという思い込みの中で生かされています。フィールドを広げて、もっと広い自由な世界が本当はある事を魂は認識しておりますが、表面意識の自分は、馴染みの世界から出る事がなかなか出来ないようです。
本質の自分のパワーを思い出すまで、私たちはそれに気づくために出来事を創造し続けてしまいます。出来事は全て癒やしに繋がっておりますが、本質のパワーが蘇った時に初めて自分が体験したい出来事を簡単に引き寄せるのではないかと感じます。そんな事を新緑を見ながら感じました
私たちは金魚鉢の中を泳いでる自分が本当の自分だと思い込み、その中でどのように生きていくかに追われてしまっている事に気づきません。
私たちは本来 もっと自由でパワフルで、自分の人生を創造していける存在だという事を思い出す時期がきているのではないかと思います。狭いフィールドの中から世の中を見ると、世界は思い通りにならない不自由な世界に感じられます。金魚が外の世界を知らないように、私たちも日々、他に世界がないという思い込みの中で生かされています。フィールドを広げて、もっと広い自由な世界が本当はある事を魂は認識しておりますが、表面意識の自分は、馴染みの世界から出る事がなかなか出来ないようです。
本質の自分のパワーを思い出すまで、私たちはそれに気づくために出来事を創造し続けてしまいます。出来事は全て癒やしに繋がっておりますが、本質のパワーが蘇った時に初めて自分が体験したい出来事を簡単に引き寄せるのではないかと感じます。そんな事を新緑を見ながら感じました