ヒーリングスペース ブルーローズ

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私がかけられていた催眠術

2024-04-08 23:02:31 | 日記

問題を才能に変えると言う視点から、前に記載した、無意識にかけられていた催眠術を違う視点から見てみたいと思います。

 

私は幼い頃から、特に母から「何の取り柄もない」と言われて育ちました。

母の口癖だったと思います。

優秀な兄がいたので絶えず比較されてきたのもあったでしょうし、2歳の時に死にかかり、虚弱体質だったこともあったと思います。

 

「何の取り柄もない」と言われて育った自分はいつしか「生きてる価値がない」という意識になり、自分の存在意義がまったくわからなくなった時期も長くありました。

成長して、1度目の結婚を見合いでした嫁ぎ先は老舗の洋服屋さんでした。夫の両親、小姑、従業員30人の顔色を毎日見る生活の中で、やはり、催眠術がかかっていた私は、周りから何をしてもダメ出しされていきました。

10年近くなったある日、子供ができなかった私に「3年子なきは去れということわざがある、あなたは何年いるのか!」と言われ、ハッと目が覚め、その家をやっと出る決心がつきました。

その時は情けなさと、「取り柄がない」自分を卑下する気持ちが強かったように思います。

ただ、マイナス面と同じぐらいのプラス面がその後現れてきたのです。

自分は、「取り柄がない」と言う催眠術にかかっていたので、周りの人が素晴らしく見えて、その一人一人の中のダイヤモンドを見つけることが得意になっていきました。

 

全ての人が、自分より優れて見えていたので、出会う人出会う人の中の輝きを素直に認めれるようになっていきました。

 

これは、大きな気づきでもあったのですが、きっと母や前の嫁ぎ先の人達は、私が周りの人の素晴らしさに気づけるように、低い位置に徹底的に私自身を置いてくれたのだと今はわかりました。

 

もし、「お前はすごい!」と言われて育っていたら、周りの人の素晴らしさを見つけたり、それに感動できたりはしなかったのではないかと思います。

 

カウンセラーの先生がいつも言われていたように「1番の問題は1番の才能に変容する」「痛みの裏側には最高のギフトがある」のだとわかりました。

 

ですから、親や周りから否定されたり、虐げられてきた人達は、自分の中に、そして周りの人の中の魂の輝きを見つけることができる素晴らしい才能を秘めているのだと思います。

 

いつも感じるのですが、愛とは、優しさ、温かさの中にだけあるのではなく、ある時は厳しさや冷酷さの中にもあるのだと思います。

 

それを認識できる視点を持つことが本当のアセンションではないでしょうか。

 

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