
人は亡くなる時に、走馬灯を見るといいます。
私自身、20年前、クリスマスの夜に臨死体験をしたとき、一度それを見たことがありました。
鮮やかで、圧倒的なスピードで駆け抜ける過去の記憶。その瞬間、時間の概念が消え去り、すべてが一本の流れとなって脳裏を巡る感覚を味わいました。
それは私の人生そのものでした。
──母の腕に抱かれた瞬間。
──幼い頃に駆け回った庭の風景。
──友人と笑い合った日々。
──涙を流した別れ。
──心からの感謝を伝えられなかった後悔。
そのすべてが、まるで一本の映画のように、圧倒的な速さで流れていきました。
けれど、その中で私は不思議な感覚を覚えました。
過去の自分の感情だけではなく、その時そばにいた人々の想いまでもが感じ取れたのです。
「ああ…私はこんなにも愛されていたのだ。」
その瞬間、込み上げてくるものがありました。
人生とは、愛の連なりでできているのだと。
そして先日、思いがけず、二度目の走馬灯を体験することになりました。
それは、母が亡くなる数時間前のこと。
私は母の手をしっかりと握っていました。すると突然、私の中で何かが動き始めたのです。
心の奥底で眠っていた記憶が波紋のように広がり、一気に押し寄せてきました。
私が生まれた瞬間、母の腕に抱かれた温もり。
幼い頃、泣きじゃくる私をあやしてくれた声。
手をつないで歩いた帰り道。
時には厳しく叱られ、時には優しく見守られた日々。
忘れていたはずの思い出が、まるで一本の映画のように、目の前で繰り広げられました。
それはほんの一瞬の出来事だったのに、時間の流れが止まったような感覚に。
私はただ圧倒されるばかりでした。
そして、その時、はっきりと気づきました。
母は、私が思っていた以上にたくさんの愛を注いでくれていたのだと。
あの瞬間、走馬灯として蘇った記憶は、きっと母が最後に私にくれたギフトだったのでしょう。
母の人生の終わりに、私にもう一度、すべてを思い出させてくれました。
その数時間後、母は静かに息を引き取りました。
今でも、あの走馬灯が何度も心の中でよみがえってきます。
母がくれた最後の贈り物は、これからも私の中で鮮やかに生き続けると思います。