安全大会講演(2)(3)からの続き。(4)のUPです。
……………(安全大会講演 4)…………(2009.12.01再up)
私ね、一日1000人以上いる現場で、竣工前の3ヶ月を安全担当で配属された時
(そこは先月3度目の労災事故が発生があったから)に、
「書類の監理で安全が守られる」
なんてコレッぽっちも思わなかったよ。
1000人が書いた書類を毎日チェックしていたら、机の前に座っているだけで
現場が安全状態なのか、危険なのか見て廻る時間がないよ。
書類を見るより現場の足場(工事含む)の中を歩く方が、よっぽど安全点検が出来る。
階段室を歩いてタバコの吸殻を拾い、ジュースの空き缶を処分する方が、
よっぽど現場が安全になるよ。
安全担当者が書類をチェックしている時間に、現場で転倒事故でも発生すれば
私の首も飛ぶ事になるのだが、1000人もいてね、
「とにかく安全にさせよ、もう事故を起こさせるな!」
と労務安全部長から厳命されても、安全監理が出来る筈はない。
だから私は書類から離れて安全監理をする事に決めたのだが、事故が起きれば
運命だったと思う事にして、
「安全書類は増やさない、だから事故を起すな!」
と協力業者の休憩室で職長に私の首を預けました。
「今日は何人連れて来たの?全員の名前言える?皆元気?」
この一言が殺伐とした現場の空気を変えて、書類上の安全から現実の作業
状況に気を配り、他の業種と連携プレイも高まって、事故もなく竣工させたよ。
後90日を残して事故を未然に防ごうとしたら、皆さんは必ず新しい書類を
作って、一日の作業を机上での監理に走ると思いませんか?
実際に自分の現場が後30日で述べ100万時間の無事故無災害記録が達成
されるとしたら、所長以下全員、安全に力が入り、安全の書類で固まるの
が見えるよね。
重大事故になる前のチョットした事故、脚立からの転倒、タバコの不始末、
電動工具の不良、横着作業による怪我等は書類で監理出来るものじゃあ
ないから、書類を棚にでも上げて、現場を廻る時間を最大にしたら、
安全記録は簡単に達成すると、思えるでしょう。
書類が不要と言ってませんからね。
最低限の書類が完備されているから、安全が語れるのですよ。
現場の事故は書類が不備だから起きるとか、危険を見逃すからでもなくて
《安全でないから》事故になるのです。
事故を起してから対策を考えたって、怪我は治りません。
書類を整備するのは決まり事であり、現場は安心を確保して初めて安全監理
がスタートするのです。
会社からの安全書類が多いと思うならば、自分の現場専用の安全書類を
創れば良いのです。
会社の書類だから安全が守れるものでもないし、自分達で創った安全の
決め事の方が遥かに安全であるかも知れません。
ひとたび事故があれば、責任は総て現場監理者(個人)に来るのですよ。
工事が終わり労災保険の適用期限が終わっても、後遺症が残り
職場復帰出来なくなった人の家族から、民事訴訟で安全監理者の
責任不備を追及される事もありますよ。
(あんたのセイでこうなった!生活費が入らなくなった)
と数年後、所長(統括安全責任者)に損害補償を訴える人も出て来ています。
現場の中、仮囲いの中という限られた空間の中を安全な場所に監理出来ない
ないのではなくて、何を監理すべきかが分かっていないから事故になるのである。
安全監理の原点は現場のチームワークつまり、人間監理と言うか信頼関係
に基づく『安心』から生まれるものである。
安全監理の原点は現場のチームワークつまり、人間監理と言うか信頼関係
に基づく『安心』から生まれるものである。
「基本は安心、基準は安全」
これは私からの秘伝だよ。
心が乱れていて、安全は有り得ない。
KY活動を声高々にして、危険な作業場所で作業させることを
知っていて安全監理、安全を監理しているという監理者では
無災害竣工はあり得ない。
安心・安全という仕事場ならば、笑顔と活気で明るい現場である。
誰の為の安全なのか、誰の為に安全監理をしているのか、
よく考えてください。
安全大会でこそ、安全そのものを、振り返ってみましょう。
ご安全に・・・
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