ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  023

2009年10月10日 21時48分10秒 | Weblog
 写真は薩摩白浜駅です。
 ホームだけの駅でした。

 ホーム・線路が現在は道路になっています。
 ホーム後方の白い倉庫は現在でも健在です。
 見比べれば場所はおおよそ分かると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  022

2009年10月10日 21時43分23秒 | Weblog
 №022でやっと次の駅に到着しました。
 薩摩白浜駅跡です。


 前後にそれこそ何も残っていません。

 近くに集落があるのですが、その集落の南のはずれにバス停だけがあります。



 駅がどこかって?
 次の023の写真と見比べてください。


 私もここに駅があったなんて、うっかり見落とすくらいです。本当に何も残っていません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  021

2009年10月10日 21時38分30秒 | Weblog
 019、020のガーター橋を過ぎるとすぐに、道路は拡幅工事によって広くなってしまいます。

 左の歩道の場所に線路がありました。

 今は何もありません。

 かつては線路跡の部分が、「らしい雰囲気」を残してあったものの、90年代後半から00年代初頭にかけての工事によって、全てなくなってしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今岡、納得がいくところまで極めろ。

2009年10月10日 21時16分27秒 | Weblog
 退団・・・・・・・
 引退・・・・・・・

 いろいろな言葉が飛び交っているタイガース・今岡誠。

 「愛着以上のものを感じている」とチームからの退団。断腸の思いだろう。

 タイガースが低迷している時代からペナントを争う時代へと変貌していく時を支えてきた「生え抜き」の一人として、球団も彼の意向を大事にすべきだと思う。

 「誠の救世主」
 ではなく、本当は「救世主の誠」だろう。

 大事にしたってほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肝心な時に役に立たない!!

2009年10月10日 20時01分02秒 | Weblog
 帰宅途中、後方からサイレンの音。

 消防車、パトカーなどどんどん私の車を追い越していきます。

 犬迫町の国道3号線沿いの民家が火事のようです。煙がもうもうと上がり、付近には焼けた物の臭いが立ちこめ始めました。夕方の3号線、郊外方面はどんどん渋滞し始めました。
 
 抜け道も双方から車両で身動きがとれなくなり始めました。

 この辺りは90年代初めの8.6水害で通行車両が身動きがとれなくなりパニックになった場所です。
 相変わらず、鹿児島の道路行政のまずさを感じます。

 蜘蛛の巣に例えれば、蜘蛛を中心に四方八方へ伸びる糸の部分にあたる道路は狭かったり、谷底や急傾斜を通ったりしています。その道路を横につないでいく道路が少なかったり、狭かったりするために、いざという時に困るのです。
 その愚を火事に伴う交通渋滞という形で再現してしまいしました。
 
 おまけに、警察官の指示がまずい。私にUターンを促したのはいいものの、私の後方から加勢のためのサイレンの音。警察官に「緊急車両が走ってくるから、ここで待ちますよ」と、わざわざ言ったのに、対向車線側の車をどんどん流し始め、私の車の横を流れていきます。見かねた私が止まれ、止まれと合図を送るのに、警察官が止めないために、どんどん流れていき、当然、途中でその緊急車両を中心にして、狭い道路はつまり、一時動きがとれなくなりました。

 さらに、川の対岸を通ってほしいと言われたのですが、こちらは国道よりさらに狭いため、国道以上の渋滞になり、警察官はいない。お互いに声を掛け合い、誘導し合い、無事に脱出。
 (初めの頃に、私の車を追い越したパトカーはこちらの道を通っていったので、そちらで交通整理していたはずだと思うのですが)

 なにしてん!?と言いたくなります。

 火事は鎮火傾向にあったものの、こういう素人でも分かることを警察官がミスしてもらったら、たいへんです。ふだんから、いろいろな災害発生に伴う交通渋滞等について演習をしているのでしょうか。しているとしても、素人以下レベルのこの程度かとも言いたくなってしまいます。

 プロ意識が欠如しているとしか思わざるをえません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キンモクセイの香りに

2009年10月10日 19時58分13秒 | Weblog
 今日は鹿児島市内で会議でした。
 午前中半日の予定だったのですが、結局15時頃までかかることになってしまいました。

 とても疲れを感じたのですが、ふといい香りがするなぁと見回せばキンモクセイです。

 ちょっと癒された気持ちになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そばが満開

2009年10月10日 19時54分16秒 | Weblog
 我が家の隣りの畑に植えてあるソバの花が満開になっています。
 種まきをしてから約40日。

 葉の緑色から、花の白色に染められていく畑の景色はいつ見ても季節感あふれるものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  020

2009年10月10日 00時23分46秒 | Weblog
 皿山バス停近くの橋脚の上に残るガーターは、全体的にも立派なものです。
 写真はガーターだけを写しています。
 019と合わせて見てくださいね。
 
 葛がからみまくっていますが、私としては、この橋を中心にして、ちっちゃくてもいいので保存してほしいと考えます。
 取り壊すだけの意義は全くありません。区画整理事業の最北端ですから。

 話題がそれるようですが、鹿児島は明治初期の廃仏毀釈が全国的にも最も激しい地域の一つです。
 なぜ激しかったのかについては、「薩摩 民衆支配の構造」(中村明蔵著・南方新社刊)などで分析されていますが、どんな理由・経過があったにせよ、廃仏毀釈によって鹿児島は素晴らしい寺社仏閣のほぼ全てを失いました。
 寺社仏閣と鉄道跡を同等に並べる気持ちはさらさらありませんが、私たちの「地域の歴史の証人」として、これぐらいは残してもいいのではないかと思うのです。

 私はこの宮之城線の沿線に住んだことはありませんが、おじが沿線の山崎に住んでいました。幼い頃、何度かおじの家に遊びに行きましたが、いつも西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)からバスで入来峠を越えていました。
 一度だけ宮之城線を帰りに使いました。
 宮之城駅から乗車した記憶は今でも部分的ですが、しっかり残っています。
 その一つがこの皿山のガーター橋の辺りです。川内川の流れの向こうに小高い山が見えて、しばらくすると川内駅でした。

 個人的な思い出と残存する立派なガーター橋。
 それ故に、とても雄弁に語ってしまいました(笑)。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  019

2009年10月10日 00時20分03秒 | Weblog
 018の踏切から10mほど北側には深い所を小川が流れています。

 ここに川内駅からスタートして初めて鉄道跡らしい痕跡があります。
 高さは5~6mほどでしょうか、立派で美しい橋脚が残っています。

 そして、橋脚の上にはガーターが架けられています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  018

2009年10月10日 00時15分22秒 | Weblog
 017でふれた住宅の一番北側のはしっこの家の先に、皿山公民館へ上がっていく道があります。
 ここが、かつての踏切跡です。
 正面の電柱と看板の間が線路でした。

 以前はもっと踏切らしく線路の部分がはっきりしていたような気がするのですが、区画整理工事関係の車両が出入りするためでしょうか、全面がアスファルトに覆われていました。
 左側に見える道が工事現場へ上がっていく道路です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする