ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

私のご先祖様 ~その2~

2012年04月06日 23時33分57秒 | Weblog
 3/27に「私のご先祖様」について書きました。
 
 その後、一つ、新しいことが分かりました。

 私の実家の東側には牛小屋があり、さらにその東側にはちょっと社がありました。

 「うっどん方」と呼ばれ、子どもたちは屋根に登ろうが、床下にもぐろうが、そのことを注意するおとなは誰もいませんでした。なぜなら「うっどん方」は子どもの神様だったからです。

 その「うっどん方」に祀られていたのが平盛方という人物でした。
 調べてみると、桓武平氏の中にその名前を確かめることができました。


 平氏と言えば平清盛ですが、家系図を見る限り、血縁の距離で言えば、平盛方は鎌倉幕府の執権を担った北条氏の方に近いようです。
 盛方は天皇の怒りに触れて罰を受け、その子・直貞は武蔵国に逃れました。さらに、その子に熊谷直実という人物がいます。直実は後年、京都府長岡京市の西端の栗生に念仏三昧院(後の光明寺)という寺を創建しました。

 ここまで調べてぞっとする思いになりました。
 というのも、私の姓は現在の文字が一部分変形したと聞いていました。その名前で調べてみると、その発祥の地が光明寺から約2㎞ほどのところにある場所なのです。

 盛方、直実、光明寺、変形した名前・・・
 場所は京都から埼玉、京都と動きますが、直実の子孫は熊谷姓を名乗っている者だけでも全国各地(九州にも)に広がっています。


 太平洋戦争で焼失した平の姓を含んだ家系図や行方不明になった刀の話もあり、調べていけばもっといろいろなこと、より確実なことが分かってくるかもしれませんね。


 



 さて、「うっどん方」を取り巻くように、私と同姓の方々の家がありました。社を中心に村ができるというのは、典型的な田舎の景色ですね。

 その「うっどん方」も、今ではコンクリートで固められた小さな祠になっています。もちろん、何が祀ってあるのか分からなくなっています。
 今さらのような気もしますが、いろいろと調べてみたいと思います。
 
コメント
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