#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【青山真治】ユリイカ

2010-08-20 | BOOKS&MOVIES
 「何が幸せか!」と、沢井はあらん限りの大声で叫んだ。
 そうしなければ云うことできないと思った。
 「そんなもんが幸せでたまっか!直樹はどこにおってもよかと。
 いつか直樹は戻ってきて失くしたもんば取り戻すと!
 そん時、お前みたいなもんが直樹の邪魔をしよるやろう。
 ばってん俺は死んでも直樹を守ってみせるけん。そいを忘れんごとしとけ!」

ユリイカ…【EUREKA】帰納と演繹に加えて、直感が知識に至る道である。
      I found it!「わかった!」とアルキメデスが叫んだ言葉。

およそこのタイトルとはかけ離れた3時間半の映画である。

冒頭の引用はバスハイジャックを受けた運転手沢井が、
同じくハイジャックを体験し、精神のバランスを失った兄妹、
直樹と梢をバスに乗せ、原点の旅に出た時のセリフ。

この映画を青山真治は中上健次へのオマージュとしている。

登場人物の心のすれ違いを経て、
口数少なくともお互いを思う気持ちが浮かび上がってくるあたりは、
兄妹が啞になってしまう設定からも、意図が伝わってくるが、

3時間半のほとんどが、その無台詞のモノクロ描写で進行する。

映像表現の常套句「独白」すら存在しない。
しかも長回しである。ワンアングルで、耐える演技。
見ているこちら側が緊張する空気。

遠景でひたすら逃げ惑う兄「直樹」。追いかけるいとこ「秋彦」。
画面を右に左に行き交う状況が、ワンアングルで10分。
窓枠から眺めているような光景として、描かれる。

BGMも入らない。モノクロ。風にそよぐカーテンと、直樹の息遣い、草いきれ。
ただ、それだけ。

しかし、その無台詞長回しの表現から、
啞になった兄妹の云うに云われぬ苦悩が滲む。

その傷みがクライマックスに表出するのが、「直樹」が殺人を企て、
沢井に引き留められるシーン。

啞だと思われていた直樹が口を開く…

 「なして、殺したら、いけんとや」
 恐怖に震え、重く淀んだ声だった。初めて聞く直樹の声だった。
 何よりそれが悲しかった。
 「いけんては云うとらん」
 そう答えるのがやっとだった。いまここの直樹に云うならそれしかなかった。
 沢井は左手を伸ばした。直樹は警戒したが、動けなかった。
 沢井はその手でナイフの刃と直樹の指とを一緒に掴んだ。
 痛みは感じなかった。直樹が抜き取ろうとするのを強く握った。
 刃が掌に食い込むのがわかった。すぐに血が滴り落ちた。

実直な沢井の行動に、涙があふれる。

 彼は娘を見ていた。昨夜のことが嘘のように思えた。
 救けてほしいと思った。ここから、この自分の眼でみているものから、
 できるなら救けてあげてほしい。おれは素直で、柔順な男でありたい。
 誰をも殺したくないし殺されたくない。誰おも殴り傷つけなくないし、
 誰からも殴られたり傷つけたりされたくない。やさしい人間でありたい。
 善人でありたい。娘は、彼の腕に抱かれている。手で、腹を触られ、わらう。
 娘の腹はいったい中になにが詰っているのだろうと思うほどふくらみ、固い。
                      (火宅/中上健次著)

人間は愛する行為で、救われる。
この映画は、それを語っている。

愛される対象ではなく、愛する対象を持つこと。

それがどれだけの励みになるのか、
登場人物の地獄の苦悩をワンアングルでひたすら描き、
台詞を極力削く中で、浮かび上がる「愛する行為」。

沢井は啞の兄妹を「愛する」ことで、なんとか救われる。

生きる意味を、どうにか心にとどめる。

エンドロール手前、妹の「梢」が山頂で初めて声を上げるとき、
3時間半モノクロだった映像が、突然カラーへと変わる。

「愛する行為」を経て、「生きる」ことを掴む…印象的なシーン。

その後読み返した中上健次の著作には、
血の繋がった者同士の愛憎劇が数多く描かれていた。
「愛する行為」が決して成就しない捻れた血縁関係。

ずっしりと重く臓物に沁みた映画だった。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする