9月8日(水)。
おそらく台風の影響で曇りのち雨。
朝から成田空港へ赴き、
ベトナム航空という聞き慣れないエアラインで
ハノイ経由で「昆明」へ。
昆明は雲南省の省都。
400万人以上が暮らす少数民族たちの街だ。
おそらく。
明日行ってみたら、いろいろ見えてくるとは思うけど。
昆明からさらにベトナム方面へ南下。
棚田で有名な「元陽」へ。
これも仮定であって、
実際に元陽へ行くかどうかはわからないが、
南下することは確か。
ひょんなことで依頼のあった広告企画。
その根源にあったのが、イメージとしての少数民族。
じゃあ、「すっぴん族」としてカタチにしちゃおう…と
雲南の写真と合成して提案したのが、そもそもの発端。
漠としたイメージで作り上げた企画であったけれど、
カタチになったらいよいよそのイメージに確証が生まれ、
「これは行かなきゃ始まらないんじゃない?」と
居ても立っても居られなくなった。
デザイナーさんとふたりで強行にプランし、
ついに明日から現地へ飛ぶ。
なんとも、非現実的な話みたいだが、事実。
この2週間、雲南の系譜を読み漁っているのだが、
ついに探り当てたかのような衝撃が「照葉樹林文化論」。
太古の昔、照葉樹林帯は中央アジアのヒマラヤ山脈麓を起点として
中国南西部を経て日本に至るまで、ベルト状に分布していた。
照葉樹林帯の各地周辺では、よく似た食文化、農業、風習、宗教、伝説が
今に伝えられている。同根の文化圏が時空と場所を越えて発生していた。
たとえば、ヤムイモやタロイモ、アワ・ヒエ・イネなどのモチ種、
そしてナットウなど、数多くのネバネバした食品を好む性質、
茶やシソの栽培、麹から作る酒、養蚕、漆器文化などである。
これらは元来、照葉樹林帯独自の文化であり、
これより北にも南にも存在しなかった。
海路も陸路もおぼつかない太古の昔、民族も国家も違い、
交流も薄かった筈の地帯に見られる驚くべき共通点―、
これを「照葉樹林文化」と名付けて体系化し、
提唱したのが栽培植物学者の中尾佐助氏である。
我が意を得たり_。とはこのこと。
旅立つ前に出会えたことが、非常にうれしい。
あとはこの「照葉樹林文化論」を携えて、現地の文化を探る。
そうすることで、我々の構築した広告意図が、
突拍子もない感覚だけで生まれたものではないこと、
漠としたイメージにアカデミックな後ろ盾が生まれる。
台湾を旅した時、高山族に哀愁にも似た共感を覚えた。
それはなんだったのだろう…と、あのときは思ったけれど、
今にして思えば、同根の文化圏として、郷愁を誘った
…ということになるのかもしれない。
なにはともあれ、現地での感慨がすべて。
フィールドワークに発展するやもしれない、
この少数民族との邂逅を、素直に喜びたい。
では、10日間の留守をよろしく。
おそらく台風の影響で曇りのち雨。
朝から成田空港へ赴き、
ベトナム航空という聞き慣れないエアラインで
ハノイ経由で「昆明」へ。
昆明は雲南省の省都。
400万人以上が暮らす少数民族たちの街だ。
おそらく。
明日行ってみたら、いろいろ見えてくるとは思うけど。
昆明からさらにベトナム方面へ南下。
棚田で有名な「元陽」へ。
これも仮定であって、
実際に元陽へ行くかどうかはわからないが、
南下することは確か。
ひょんなことで依頼のあった広告企画。
その根源にあったのが、イメージとしての少数民族。
じゃあ、「すっぴん族」としてカタチにしちゃおう…と
雲南の写真と合成して提案したのが、そもそもの発端。
漠としたイメージで作り上げた企画であったけれど、
カタチになったらいよいよそのイメージに確証が生まれ、
「これは行かなきゃ始まらないんじゃない?」と
居ても立っても居られなくなった。
デザイナーさんとふたりで強行にプランし、
ついに明日から現地へ飛ぶ。
なんとも、非現実的な話みたいだが、事実。
この2週間、雲南の系譜を読み漁っているのだが、
ついに探り当てたかのような衝撃が「照葉樹林文化論」。
太古の昔、照葉樹林帯は中央アジアのヒマラヤ山脈麓を起点として
中国南西部を経て日本に至るまで、ベルト状に分布していた。
照葉樹林帯の各地周辺では、よく似た食文化、農業、風習、宗教、伝説が
今に伝えられている。同根の文化圏が時空と場所を越えて発生していた。
たとえば、ヤムイモやタロイモ、アワ・ヒエ・イネなどのモチ種、
そしてナットウなど、数多くのネバネバした食品を好む性質、
茶やシソの栽培、麹から作る酒、養蚕、漆器文化などである。
これらは元来、照葉樹林帯独自の文化であり、
これより北にも南にも存在しなかった。
海路も陸路もおぼつかない太古の昔、民族も国家も違い、
交流も薄かった筈の地帯に見られる驚くべき共通点―、
これを「照葉樹林文化」と名付けて体系化し、
提唱したのが栽培植物学者の中尾佐助氏である。
我が意を得たり_。とはこのこと。
旅立つ前に出会えたことが、非常にうれしい。
あとはこの「照葉樹林文化論」を携えて、現地の文化を探る。
そうすることで、我々の構築した広告意図が、
突拍子もない感覚だけで生まれたものではないこと、
漠としたイメージにアカデミックな後ろ盾が生まれる。
台湾を旅した時、高山族に哀愁にも似た共感を覚えた。
それはなんだったのだろう…と、あのときは思ったけれど、
今にして思えば、同根の文化圏として、郷愁を誘った
…ということになるのかもしれない。
なにはともあれ、現地での感慨がすべて。
フィールドワークに発展するやもしれない、
この少数民族との邂逅を、素直に喜びたい。
では、10日間の留守をよろしく。