9月21日。火曜日。
朝からゴミ出しをし、
朝食用にタマネギを千切りし、
いつものアイスコーヒーをドリップする。
10日前と変わらぬ朝の風景。
しかし、ボクの思考は
10日前とは明らかに違っている。
すべてがとても明瞭になった。
そんな気概をもって、今を受け止めている。
●
雲南省昆明からはじまった「少数民族を巡る旅」で、
ボクは2つの楽曲を心に留めた。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」と、
U2の「Where the streets have no name」。
ひとつはハニ族の楽曲を聴いて思い出したのと、
ひとつは昆明を離れる際、帰りの機上で耳にしたのと。
まったく性格を異にする二つの楽曲。
でも、その歌詞をひもとくと今回の旅で得たものが
象徴的に導かれるような気がする。
●
U2のBONOはエチオピアの難民キャンプでこの楽曲を書いた。
街は洪水に襲われ、僕等の愛は輝きを失う
僕等は打ちのめされ、風に吹き飛ばされ
埃の中で踏みつけられる
厳しい現実の中の、通りに名もないこの土地で、
「愛」を大きく掲げ、自然に対峙する人間を歌っている。
その土地では、自然は人間を脅かす「敵」だ。
自然を凌駕してこそ、人間は生活を営むことができる。
だから人間は自然をシャットアウトする堅牢な家に住んだ。
そこから西洋独特の人間至上主義が生まれた。
「我思う故に我あり」という哲学が中心になった。
愛こそがすべて…とする人間賛歌が、この歌を生んだ。
●
ボクらは「少数民族を巡る旅」を始めるにあたって
ある程度の結論を仮定していた。
文明に閉ざされた盆地で、原初な生活を余儀なくされた民族の、
それでも気概をもって生きているたくましさに、
人間の求めるべく「生き様」があるのではないか…と。
それはある意味では、当たっていたし、
ある意味では大きく的を外していた。
旅中携えていた本がある。
佐々木高明著の「照葉樹林文化論とは何か」。
国を違えど、民族を違えど、
「種から胃袋まで」が人間の思考を形成する。
…そのような内容の本である。
現地に降り立ち、ボクらはその理屈を
カラダでもって体得する。
●
風が気持ちよかった。
夕方に降りそぐスコールが心地よかった。
この土地は、雄大なる自然と共に生きていた。
つまりは、こういうことだ。
標高2000mの山々に囲まれ、
風・水以外の生活エネルギーに乏しい土地で、
民族は山を畏怖し、山の恩恵の許で生活している。
そのスタイルは決してプリミティブではなく、
2000年以上の歴史の中で培われた、彼らなりの生き方だ。
生活の場に間借りして、ボクらはその思いを強くした。
「ヨイトマケの唄」が、ハニ族の歌から想起されたことは
偶然なんかではなく、必然だとボクらは解釈した。
これが亜細亜だ。これが照葉樹林だ。
自然と対峙するのではなく、取り込むことで「生きる」
その生活環境から生まれる思考がある。
ボクらが目指すべきは、西洋的人間至上主義ではなく、
亜細亜的共生ではなかったか。
自然をシャットアウトするのではなく、
風を取り込み、雨を喜び、山々を祈る思想ではなかったか。
慎み敬う敬虔な態度ではなかったか。
なぜこの土地で「仏教」が生まれ、
彼の地で「キリスト教」が生まれたかを、
今一度立ち返って考えるべきではないか。
●
青々と輝く葉、山から溢れる水、
その自然を共有するかのように、棚田が広がる。
畦には大豆が植えられ、
マーケットでは豆腐やもやしが売られている。
“父ちゃんのためならエンヤコラ”
その健気な生き様にこそ、ボクらは立ち戻らなければならない。
朝からゴミ出しをし、
朝食用にタマネギを千切りし、
いつものアイスコーヒーをドリップする。
10日前と変わらぬ朝の風景。
しかし、ボクの思考は
10日前とは明らかに違っている。
すべてがとても明瞭になった。
そんな気概をもって、今を受け止めている。
●
雲南省昆明からはじまった「少数民族を巡る旅」で、
ボクは2つの楽曲を心に留めた。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」と、
U2の「Where the streets have no name」。
ひとつはハニ族の楽曲を聴いて思い出したのと、
ひとつは昆明を離れる際、帰りの機上で耳にしたのと。
まったく性格を異にする二つの楽曲。
でも、その歌詞をひもとくと今回の旅で得たものが
象徴的に導かれるような気がする。
●
U2のBONOはエチオピアの難民キャンプでこの楽曲を書いた。
街は洪水に襲われ、僕等の愛は輝きを失う
僕等は打ちのめされ、風に吹き飛ばされ
埃の中で踏みつけられる
厳しい現実の中の、通りに名もないこの土地で、
「愛」を大きく掲げ、自然に対峙する人間を歌っている。
その土地では、自然は人間を脅かす「敵」だ。
自然を凌駕してこそ、人間は生活を営むことができる。
だから人間は自然をシャットアウトする堅牢な家に住んだ。
そこから西洋独特の人間至上主義が生まれた。
「我思う故に我あり」という哲学が中心になった。
愛こそがすべて…とする人間賛歌が、この歌を生んだ。
●
ボクらは「少数民族を巡る旅」を始めるにあたって
ある程度の結論を仮定していた。
文明に閉ざされた盆地で、原初な生活を余儀なくされた民族の、
それでも気概をもって生きているたくましさに、
人間の求めるべく「生き様」があるのではないか…と。
それはある意味では、当たっていたし、
ある意味では大きく的を外していた。
旅中携えていた本がある。
佐々木高明著の「照葉樹林文化論とは何か」。
国を違えど、民族を違えど、
「種から胃袋まで」が人間の思考を形成する。
…そのような内容の本である。
現地に降り立ち、ボクらはその理屈を
カラダでもって体得する。
●
風が気持ちよかった。
夕方に降りそぐスコールが心地よかった。
この土地は、雄大なる自然と共に生きていた。
つまりは、こういうことだ。
標高2000mの山々に囲まれ、
風・水以外の生活エネルギーに乏しい土地で、
民族は山を畏怖し、山の恩恵の許で生活している。
そのスタイルは決してプリミティブではなく、
2000年以上の歴史の中で培われた、彼らなりの生き方だ。
生活の場に間借りして、ボクらはその思いを強くした。
「ヨイトマケの唄」が、ハニ族の歌から想起されたことは
偶然なんかではなく、必然だとボクらは解釈した。
これが亜細亜だ。これが照葉樹林だ。
自然と対峙するのではなく、取り込むことで「生きる」
その生活環境から生まれる思考がある。
ボクらが目指すべきは、西洋的人間至上主義ではなく、
亜細亜的共生ではなかったか。
自然をシャットアウトするのではなく、
風を取り込み、雨を喜び、山々を祈る思想ではなかったか。
慎み敬う敬虔な態度ではなかったか。
なぜこの土地で「仏教」が生まれ、
彼の地で「キリスト教」が生まれたかを、
今一度立ち返って考えるべきではないか。
●
青々と輝く葉、山から溢れる水、
その自然を共有するかのように、棚田が広がる。
畦には大豆が植えられ、
マーケットでは豆腐やもやしが売られている。
“父ちゃんのためならエンヤコラ”
その健気な生き様にこそ、ボクらは立ち戻らなければならない。