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金賢京著『平等な社会のための3つの概念_人、場所、歓待』
何人も等しいとする現代社会の欺瞞を『人、場所、歓待』の切り口で解きほぐす名著。
人は生まれた途端、名前を受け、社会に無条件で歓待される。
歓待とは、共同体の中で成員権を持つという意味だ。つまり、人であることは一種の資格であり、他人の承認を必要とする。
場所を与えられる…とは、「居ても良い」ということだ。これはいじめやホームレスで考えると分かりやすい。
いじめは「この教室にお前の席はない。お前はこの学級の一員ではない」というメッセージであり、
ホームレスはそれ自体が屈辱であり、社会が彼から居場所を奪うことで彼を侮辱している。
歓待とは他者に場所を与えること、または彼の場所を承認すること、
彼が楽に「人」を演技できるよう手助けすること、そうして彼をもう一度「人」にしてやることだ。
歓待とは与える力を与えることであり、受け取る人を与える人にすることだ。(金賢京)
社会から無条件に歓待され、社会の一員として場所を与えられることで「人」になる。
つまり「人」とは社会との相補的な関係にあり、社会に含み含まれた存在なのだ。
だから、死刑制度は成立しないと著者は言う。
歓待され社会の中に存在する「人」が、社会の外に追いやられるのが死刑だからだ。
死刑は犯罪者を社会の外へと追いやり社会の敵として抹殺する。
彼が社会の敵ならば、彼は社会の規則に従う必要がない。
法の力が彼に及ばないのであれば、社会が彼を法で裁くことは出来ない。
彼は法の外にいるが故に、死刑は国家からの戦争であると。
犯罪者が社会の外にいるならば、わたしたちは彼にいかなる処罰の「権利」も主張できない。
権利について述べるためには、諸主体がまず相互承認関係の中に入らなければならないからだ。(金賢京)
『何人も等しく尊い』の実感なしにうわべだけの理解で居るから、
「差別」が消えないのだとこの書は教えてくれる。
必読。
#photobybozzo
何人も等しいとする現代社会の欺瞞を『人、場所、歓待』の切り口で解きほぐす名著。
人は生まれた途端、名前を受け、社会に無条件で歓待される。
歓待とは、共同体の中で成員権を持つという意味だ。つまり、人であることは一種の資格であり、他人の承認を必要とする。
場所を与えられる…とは、「居ても良い」ということだ。これはいじめやホームレスで考えると分かりやすい。
いじめは「この教室にお前の席はない。お前はこの学級の一員ではない」というメッセージであり、
ホームレスはそれ自体が屈辱であり、社会が彼から居場所を奪うことで彼を侮辱している。
歓待とは他者に場所を与えること、または彼の場所を承認すること、
彼が楽に「人」を演技できるよう手助けすること、そうして彼をもう一度「人」にしてやることだ。
歓待とは与える力を与えることであり、受け取る人を与える人にすることだ。(金賢京)
社会から無条件に歓待され、社会の一員として場所を与えられることで「人」になる。
つまり「人」とは社会との相補的な関係にあり、社会に含み含まれた存在なのだ。
だから、死刑制度は成立しないと著者は言う。
歓待され社会の中に存在する「人」が、社会の外に追いやられるのが死刑だからだ。
死刑は犯罪者を社会の外へと追いやり社会の敵として抹殺する。
彼が社会の敵ならば、彼は社会の規則に従う必要がない。
法の力が彼に及ばないのであれば、社会が彼を法で裁くことは出来ない。
彼は法の外にいるが故に、死刑は国家からの戦争であると。
犯罪者が社会の外にいるならば、わたしたちは彼にいかなる処罰の「権利」も主張できない。
権利について述べるためには、諸主体がまず相互承認関係の中に入らなければならないからだ。(金賢京)
『何人も等しく尊い』の実感なしにうわべだけの理解で居るから、
「差別」が消えないのだとこの書は教えてくれる。
必読。
#photobybozzo