旧栗沢町は万字や美流渡の鉱山に小中学校が出来、広大な平地には移住者が開拓に入り
学校も出来た。
山も平野もあり地形に変化のある街であった
その後、過疎化が進み2006年(平成18年)に岩見沢市と統合した。
旧栗沢町の閉校(小学校)
- 栗沢町立上美流渡小学校(1970年美流渡小へ統合)
- 栗沢町立岐阜小学校(1970年岩見沢市立栗沢小学校へ〈当時:栗沢町立〉へ統合)
- 栗沢町立由良小学校(同上)
- 栗沢町立東豊小学校(1972年栗沢小へ統合)
- 栗沢町立茂世丑小学校(1974年栗沢小へ統合)
- 栗沢町立上幌小学校(同上)
- 栗沢町立宮村小学校(1983年美流渡小へ統合)
- 栗沢町立万字小学校(1990年美流渡小へ統合)
- 栗沢町立北斗小学校(1992年栗沢小へ統合)
中学校
- 栗沢町立上美流渡中学校(1970年美流渡中へ統合)
- 栗沢町立栗沢中学校〈旧〉(1970年統合により岩見沢市立栗沢中学校〈当時:栗沢町立〉へ)
- 栗沢町立北斗中学校(同上)
- 栗沢町立茂世丑中学校(同上)
- 栗沢町立万字中学校(1979年美流渡中へ統合)
wikipediaより
「旧栗沢町立岐阜小学校」
開校:1902(明治35)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町岐阜207-2
旧栗沢町岐阜はすぐ南に夕張川があり川向こうは南幌町である
「岐阜」という地区名から岐阜県からの入植者の作った街ではとネットを探してみたが不明だった。
学校があった敷地には現在は地区集会場があるが、これは校舎利用ではない
校舎他はすでに解体されていて、なんとか閉校の碑だけが残っていた。
平地が広がり水稲の盛んな農地に
異様に背が高い校門が印象的な旧校舎の写真が残っていた。
2022年9月撮影
※栗沢町史より
「旧栗沢町立北斗小中学校」
開校:1898(明治31)年
閉校:1992(平成4)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町北斗601-1
前記の岐阜小学校とは隣地区の学校かと思う
ここも廻りは見渡す限り畑だ。
なんと古い校門が残っていた!
当然劣化が激しいが校名プレートまで付いており
裏面には開校50周年記念、昭和23年のプレートもあった。
体育館、トーテムポール、二宮像、卒業記念のモニュメント、時計塔まで残っていた
校舎部分は体育館に比べて小さすぎるので解体してから新築したものと推測する。
(現在は西地区文化センター)
それでも、これだけでもかなりのボリュームなのに極めつけは綺麗な閉校記念碑がある。
残念ながら土台の劣化があるが碑自体はピカピカだ
欲をいえば木造校舎が現存していたら言うことなしだが、それは贅沢というものだ。
2022年9月撮影
※栗沢町史より
「旧栗沢町立美流渡小学校」
開校:1904(明治37)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町美流渡栄町58
美流渡中学と隣り合わせの小学校で、中学と一緒に閉校した。
これは石狩の幌の学校と同じだ
門は綺麗なままで遠目に見る正面玄関が素敵だ
校舎もレンガ造りでお洒落に見える
屋根に一部歪みなどの劣化が見られる
中学と併せて他の活用を検討中のようだ
このまま朽ちていくには惜しい建物である
なんとか生まれ変わってほしい。
同じ2021年の10月に通りかかったときに中学校の敷地でイベントが
そして小学校の玄関や窓がペイントされていた!
ぜひ再活用してほしい
2021年7月、10月撮影
「旧栗沢町立美流渡中学校」
開校:1947(昭和22)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町美流渡栄町58
閉校してまだ数年のため遠目見だが校舎は比較的きれいに見えた
いくつかの学校を統合したあと、他校に統合された。
閉校の碑が近くの美流渡神社にあるのを家に帰ってから知った→後日探したが無かった…
2回目に通ったときに地元移住者さんたちのイベント会場になっていた
実行するほうも貸し出すほうも素晴らしいじゃあないか。
2021年7月撮影
「旧栗沢町立上美流渡小中学校」
開校:1920(大正9)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町美流渡東町48-1
美流渡小学校からさらに奥へ進む
コッペパンのミルトコッペを過ぎて右側に工芸館があり駐車する
上美流渡小中学校は、その隣の空き地に閉校の碑と門柱がある
車道から見るとこんな感じだ
見づらいか左右にそれぞれ小中学校のプレートがあった
その先は草ぼうぼうでわずかに右手に人物の碑が見える
奥へ進みやっと閉校の碑が見えた
先の工芸館側からも刈り分け道がある
この状態から見ると閉校記念碑までは管理がされているようだ
上美流渡小中学校は、かつてここに炭鉱があったので存在した
多くの産炭地域の学校がそうであるように閉山とともに人が居なくなり閉校となる。
かつては美流渡市内より専用鉄道が敷かれて石炭を運んでいたようだ
美流渡市内にはかつての万字線の資料展示館があるらしい。
校舎の裏にズリ山があるという話だ
現役当時の写真を見ると確かにある! 今回はまったく気づかなかったが…
2021年10月撮影
*栗沢町史より
「旧栗沢町立東豊小学校」
開校:1897(明治30)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町砺波78
砺波地区は富山県からの開拓者に拓かれた土地で学校は
砺波会館のある四つ角にある。
門には「栗沢福祉センター」のプレートが地面に落ちていたのでかつては学校の後に付け替えられたものだろう
正面玄関はちょっと変わった意匠であり、もしかすると改装したのかも知れない これはこれで素敵だと思うが…
体育館は綺麗なので改装後と思われる
校舎と体育館を繋ぐ連絡通路のところに福祉センターの標示があるので主に体育館利用なのだろう
また玄関から右手が新しく、工房として再利用されていて夏なのに煙突から煙が出ていた。
向かって左手側がきっと当時のままで未使用かと思う
裏側の車道から見る校舎のほうが良いかな。
2021年7月撮影
「旧栗沢町立上幌小学校」
開校:1902(明治35)年
閉校:1974(昭和49)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町上幌350
廃校はその可能性が高いので現存しているうちに見に行った。
現在は上幌地区の集会場として使われている
校庭を横切り正門まで行った 門柱はあったが崩れていて校名の表札は見当たらなかった
2020年11月撮影
※栗沢町史より
「旧栗沢町立万字中学校」
開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:1947(昭和22)年竣工
岩見沢市栗沢町万字錦町
旧万字中学校跡地へは、万字小学校閉校記念碑からさらに夕張岩見沢線を登りながら進む
やがてトンネルの入り口が見えるので手前未舗装の右手枝道に入る。
未舗装であるが路面はしっかりしていた ただ車高の低い車や車幅の広い車では止めたほうが良いだろう
少し行くと左手が開けて鳥居がある 旧万字炭山神社である
すでに山中であり、谷川の下に万字小学校があった。
すぐ先にさらに広い開けた土地が旧万字中学校であった
背の高い草が生い茂り奥の様子を見るのも難しい
ほとんど学校があったと思わせるものは見当たらなかった
わずかにパイプ柵や排水溝?が人工的なものだった
しかしここには確実に学校があった
小学校のように碑を設けなかったのはなぜか?
学校へは2方向から行けるようだが車で先へ行くとどんどん山中に入り
林道はゲートで立入禁止となった
徒歩での枝道が途中にあるはず なんでも以前は万字小学校の下に中学校の門柱があった現在は取り壊されたようだったが…
もう少し調査したいと思う
2021年10月撮影
*栗沢町史より
「旧栗沢町立万字小学校」
開校:1906(明治39)年
閉校:1990(平成2)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町万字寿町
万字小学校は他の産炭地区と同じく万字炭鉱に関連する住民と近辺農家のための学校であった。
夕張岩見沢線沿い旧栗沢町の最奥で、峠向こうは夕張市である
万字炭鉱は事業を引き継いだ北炭が創業家の家紋から「万字炭鉱」と名付けた。
1950年代には5000人の人口があったが1976(昭和51)年の閉山により人口は減り続け2013(平成25)年には100人を割り込んだ。
小学校はすでに閉校していたが、まず校舎が
次に住民用に使用していた体育館が解体され学校があったことを証明するのは閉校の碑と70周年記念碑がある。
多くの炭鉱学校のように木造2階建てで堂々とした校舎だったようだ。
2021年10月撮影
*栗沢町史より
「旧栗沢町立宮村小学校」
開校:1912(明治45)年
閉校:1983(昭和58)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町宮村566
志文から朝日へ向かう途中に右折し川を渡って旧栗沢町に入ると
広場と福祉センターがある
ここに宮村小学校があった
集会場は校舎を改築したものと考える
小さな学校だが当初は入口にあった校門が立派だ
場所を中に移し、閉校の碑と同じくしたのは正解だと思う
敷地にはシンボルツリーらしき大きな木
鉄棒とトーテムポールもある
校門は、ちょっと変わっており上部に付けた三角タイルがお洒落かな。
2021年10月撮影
※栗沢町史より
「旧栗沢町立由良小学校」
開校:1902(明治35)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:1915(大正5)年竣工
岩見沢市栗沢町由良419-1
産炭地区の山側から離れる 由良地区は農業が盛んな地区である
校舎はグーグルマップに表記されるので容易に見つかった
どうやら当時の校門をそのまま残しているようだ
校舎のあったところにセンターが建っている
その左手に閉校の碑
それと地域の碑とバックネットとシンボルツリーか
校舎は前校舎が火事で焼失したため大正5年に新築されたもの
すでに解体されている。
校庭に面してのベンチは多くの野球少年が使ったのだろう。
2021年10月撮影
*栗沢町史より
「旧栗沢町立茂世丑小中学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:1974(昭和49)年
校舎:(?)年竣工
岩見沢市栗沢町茂世丑309-1
この学校があった場所には
車でスロープを上がっていくと、閉校の碑と集会所があった
その奥にある体育館は改築されているにしろ現役小学校時代のものだろう
一部は破損しているが、それが説得力を持つ
体育館と並んだ一段高くなっている駐車スペースに校舎があったと思われる
その前には二宮像
さらに石段を登れば広い平坦地に出る
これはグラウンドだったのでしょう
農業地区は平たんな土地が多いため山間部では羨ましいほどの校庭を作ることがあるね
2021年10月撮影
※栗沢町史より
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