南幌町は広大な石狩平野の中心部にあり
山が無い町だ
その代わり平地が広いので農地が多く、学校も敷地が広く取れたのではないか。
小学校の閉校
- 南幌町立鶴城小学校(1970年南幌小〈旧〉へ統合)
- 南幌町立晩翠小学校(1972年南幌小〈旧〉へ統合)
- 南幌町立東幌小学校(1972年南幌小〈旧〉東幌分教場となり、1973年廃校)
- 南幌町立南幌小学校〈旧〉(2012年統合により南幌町立南幌小学校〈新〉へ)
- 南幌町立夕張太小学校(同上)
- 南幌町立みどり野小学校(同上)
※wikipediaより
「旧南幌町立鶴城小学校」
開校:明治32(1899)年
閉校:昭和45(1970)年
校舎:昭和16(1941)年
南幌町南17線西12番地
田園の中にポツンと現在は「南幌町鶴城寿の家」があり
ここに鶴城小学校があった。
校舎はすでに解体されているが、二宮像と幌向村立鶴城尋常小学校の立て札がある
現在のこの地には昭和16年に移転新築され、その後増築や体育館を新築していった。
校名も幌向村立から鶴城尋常小学校、昭和16年には鶴城国民学校となり南幌町立鶴城小学校として閉校した
閉校が50年以上前の話なので卒業生も少なくなってきただろう。
2022年9月撮影
※南幌町史より
「旧南幌町立晩翠小学校」
開校:明治32(1899)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和10(1935)年
南幌町南12線西15番地
晩翠小学校も上記の鶴城小学校と同じような道を歩み
現在の姿も似ているではないか。
今は「晩翠集落センター」になり周りの畑に囲まれているようだ
校舎が現存していたころからあったのでは?と思われる木がある
建物の裏にも行けるがここは何だったのだろう 校庭は表側だと思うが…
校舎は昭和10年に新築されたが
すでに解体されており校舎跡、説明文の立て札がある。
2022年9月撮影
※南幌町史より
「旧幌向村立晩翠尋常小学校」
旧晩翠尋常小学校があった場所にも立て札がある
明治31年(1898年)に竣工、昭和10年に移転するまでここに学校があった。
現在は用水路に沿った細長い場所になっている
おそらく当時は普通の平地だったのだろう。
昭和11年に上記の場所に移転した。
「旧南幌町立東幌小学校」
開校:昭和10(1935)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:昭和10(1935)年
南幌町南14線西746-24
東幌小学校は、かつて存在した「育生小学校」と「青葉小学校」が統合して出来た学校であった。
新校舎には閉校する両校の建築資材を一部使用したそうだ
閉校が昭和48年なので38年間の学校としては短命で終わったほうだろう。
南幌町の学校に多い、周りは畑や原野に囲まれたような場所で
敷地には農業用の倉庫らしき建築物が2つあっただけ
学校があったと思わせるものは立て札だけであった。
2022年9月撮影
※南幌町史より
「旧南幌町立南幌小学校(旧校舎)」
開校:明治38(1905)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:平成2(1990)年
南幌町栄町3丁目3-1
旧南幌小学校は町の冠が付いているので町の中心部にある
現在は「生涯学習センターぽろろ」に生まれ変わった。
南に南幌町役場、北に広いグラウンドを挟んで南幌中学校に挟まれた位置にある
黄色がまぶしい明るい外観の旧校舎だ。
2015年に開設された「ぽろろ」は有料の貸し会議室やホールがあり、一般利用の図書館が入っている
また2階に郷土資料室があり、学校の沿革や校旗なども展示していた
まだ新しいほうの校舎だが、このような形で内部の見学が一部でも出来る。
2022年9月撮影
「旧南幌町立夕張太小中学校」
開校:明治32(1899)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年
南幌町南16線西20番地
夕張太小学校は校舎が現存しており、校門やプレートも残っているが
一般企業の日生バイオ北海道工場が購入し稼働している。
正面側と裏側から校舎と体育館が望めるが一周は出来ない
正面の通りを少し南側に移動すると旧校門であろうレンガ造りの門があった
校名は割られているが間違いないだろう。
場所は南幌町の西南部にあたり、至る所に「夕張太(ゆうばりふと)」の名前を見るが
現住所は南幌町稲穂である。
「旧南幌町立みどり野小学校」
未訪問
開校:平成8(1996)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:平成8(1996)年
南幌町
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