三笠市は夕張市と同じく炭鉱で栄えた町だった
三笠から出た石炭を小樽まで運ぶために鉄道が出来た
これが北海道で最初の鉄道で全国でも3番目である。
しかし炭鉱と共に栄えた町は炭鉱が閉山すると過疎化が波のように襲ってくる
鉄道が廃線になり人が離れ学校も廃校になり商店が閉店していく。
三笠市にはそういうノスタルジックな街の印象と
新しいことをやろうという気風があると思う
1日だけの探訪であったが、そんなことを思いながら各所を巡った。
「旧幌内炭鉱変電所」
所在地:三笠市幌内本沢町
建設年:大正8(1919)年
指定等:近代化産業遺産
レンガの赤とコンクリートのデザインにより印象的な施設
夕張の清水沢発電所から送電されここで電圧を落とし、炭坑にかかわる機械や住宅の電気を使用出来るようにした。
平成元年の幌内炭鉱の閉山をもって閉鎖されたが、屋外の変電施設はそのままの形で残り
内部も機械が残っている
市では炭鉱施設の見学会(有料)を催しており、その時には中に入れる
訪問日は非常に天気が良く青空のもとで撮影見学出来たが、本来は熊でも出そうなちょっと不安な場所にある
だが駐車スペースが目のまえにあり広いことが安堵を与える
レトロな建物が好きならここは外せない。
「幌内神社本殿跡」
所在地:三笠市幌内本沢町
建設年:明治13(1880)年
指定等:三笠市指定文化財(一部)
変電所の隣の高台にあるが建設は神社の方が先
かつては立派な本殿があり、山の神を祀っていた
炭鉱夫は山の神に、毎日無事に帰れるように祈っていたという
またお祭りも境内で行われたくさんの人が集まって楽しんだ。
階段を上がり切った横に送電塔があり眼下の変電所に続いている
何もない境内だけに長く留まるのは不安で早々に引き上げた。
「幌内の街」
ヤマから降り中心部の方へ戻るが途中気になった集落へ
そこは高台にあり一般住宅と集合住宅があるが、ほとんどが廃屋だった
特に家が朽ちたままの情景は夕張でもあったが、こちらのほうが印象的だった。
なぜかうねった屋根が美しく思えた
個性的な形の家
こちらは現役
集落から再び中心部へ戻るが途中に素敵なお宅を見る
もう住んではいないようだが「味噌、醤油」それと屋号のようなものがある
「旧幌内太駅舎」のち三笠駅
所在地:三笠市本町971-1
建設年:明治15(1882)年 昭和62(1987)年廃駅
指定等:
この駅は2面ホームがあり跨線橋で繋がっていた
石炭中心ではあるが客用としても考えられていると思う
現在は公園の一環として旧駅舎を解体し、初代駅舎を再現した上で再整備されたので
昔の建築ではない。
またトロッコ鉄道の体験や、売店で鉄道関連グッズが売られている
訪問時も年配のご夫妻らしい方々が仲良くトロッコに乗っていて見て微笑ましかった。
跨線橋の床には大量のスズメバチが死んでいたのが最も気になったが……
あ、屋根の柔らかなカーブが素敵
ルートはこのまま市中心部へ向かわずに、唐松の街を目指し917号線へ
「旧唐松駅舎」
所在地:三笠市唐松町1丁目
建設年:昭和4(1929)年 昭和62(1987)年廃駅
指定等:日本遺産「炭鉄港」
旧唐松駅は幌内線の幌内太駅の次の駅で、昭和62年に廃駅になってから
ほぼそのまま駅舎が現存している。
多少の痛みは目立つが総じて綺麗であり地元の方々のおかげでしょう
訪れる人は汚さず悪戯せずでお願いします。
今回は天気が良かったので木造に水色のペンキがよく映えた
917号線は富良野方面に行くときの重要なルートなのでちょっと寄り道すると
思った以上の満足感が得られる旧駅舎だと思う。
やがて幾春別町に入ると建物が多くなった
三笠市立博物館の手前の住宅街に面白い建物がいくつかあった。
「旧更科食堂」
所在地:三笠市幾春別1丁目174
建設年:昭和初期 令和2(2020)年閉店
指定等:
更科食堂は元は栗沢の美流渡にあったが昭和初期にこの地で商売を始めた
ここは炭鉱町なので多くの炭鉱マンのお腹を満たしてきた。
建物は外観はほとんどそのままのようだ
印象的な横面の窓の形もそのままだ
とてもリーズナブルで地元の人も市外の人もドライブの途中で利用する人もいたが
店主の健康上の都合と建物の老朽化で昨年に長い歴史に終止符をうった
しかし長年の「つゆ」の味を継承したいと4代目を募集することにした
これは三笠市が地域おこし協力隊を活用しこの食堂を残したいとの表れだ
今現在、ネットで4代目が決まって開店したのニュースは聞かれないが
もし再オープンしたら今度は絶対に利用しよう。
幾春別の気になった建物
以前はカフェだったそうです
現在はアトリエに活用
ここでは蔵はほとんど見なかった
扉の絵が新しい活用を感じる
「旧住友奔別炭鉱立坑」
所在地:三笠市奔別町260
建設年:昭和34(1959) 昭和46(1971)年閉鉱
指定等:
幾春別と奔別は隣町で前記の建物から立坑が見える
この立坑は最新技術の施設のようで当時は東洋一と呼ばれたようなんですね
それが11年で閉鎖になるとは残念だったろうに。
門から先は私有地なので入ってはいけないが、幌内変電所のように見学ツアーがあるようだ。
「弥生地区旧炭鉱住宅」
所在地:三笠市弥生柳町
建設年:昭和42~44(1967~69)年
指定等:
奔別立坑を最終地点とし三笠市中心部に戻る
その途中の弥生地区で幾春別川に架かる橋の北側に赤い屋根の長屋が炭鉱住宅
「炭住」だ
現在も住居者がいるので配慮しながら撮影をした
棟続きの家は平地の少ない炭鉱町ではこのように凝縮された住宅になるようだ
当時はトイレは共同で風呂は銭湯利用だ。
特徴的な中2階の窓全戸に付いている。
②へ続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます