参考図書は資料として素晴らしくかなりの軒数が記載されておりますが、全軒訪問が近づいてきました
今後、機会をもち追加していきます。
*参考図書「小樽 蔵めぐり イラスト帖」2017年6月16日発行
*一般住宅の名前・住所は略で 地図は載せません
「S氏邸 蔵」
花園
明治初期建築
木骨石造2階建て
建築主はこの建物を「置屋」として建てた。
その後に冷凍庫として使われ、内壁には厚さ20センチの断熱材が貼ってある珍しい蔵だそうだ。
蔵のある近辺は現在こそ住宅街であるが、昔のこの辺は歓楽街だった。
2022年2月撮影
「旧井出質店 蔵」
稲穂4丁目8-19
1929(昭和4)年建築
木骨石造2階建て
#(いげた)は井の屋号に使われる。古地図にはこの位置に井出質店があったようだ。
商業の街である小樽には古くからの質店が多くあったが、現存して営業している店舗は少なくなった
蔵に隣接して店舗・住宅があったのは壁に表れている
建物は解体され蔵だけが残ったが現在は再活用されている。
2021年12月撮影
「旧内山海産物問屋倉庫」
稲穂5丁目2-2
建築年不詳
木骨石造2階建て
元々は海産物問屋が建てたので海産物を貯蔵する蔵だったのだろう
幹線通りに面しており、少し奥まった位置に建っているが見やすい場所にある
廻りは駐車場になっており蔵自体の活用は不明。
2022年2月撮影
「旧越中屋旅館 蔵」
色内1丁目8-25
(明治10)年代建築
木骨石造2階建て
越中屋旅館の創業者は富山県出身の上谷氏。
来樽時は廻船問屋を営んでいたが、やがて屯田兵や北前船で賑わうようになると旅館を始めた。
現存する洋風の建物は2代目が外国人向けに建てた越中屋ホテル。(現アンワインド ホテル&バー)
蔵は創業時からあったようだ。現駐車場にひっそりと建っている小ぶりの蔵である。
2022年2月撮影
「よしむら倉庫兼事務所」
色内2丁目2-12
1905(明治38)年建築
木骨石造2階建て
いわゆる出抜き小路に面した大き目の倉庫。
建て主は不明とあり、現所有者が取得したのは1987年ごろと言われる
この場所は埋め立て地であり水が湧き、その補整をしなければならないそうだ。
木造の箇所は後付けかも知れない。
2022年2月撮影
「北一硝子倉庫①」
色内2丁目3-11
1907(明治40)年建築
木骨石造2階建て
旧稲積第三倉庫で、富山出身の稲積氏が米穀相場で成功し倉庫業を営んだとある。
北一硝子は倉庫として歴史的な古い倉庫をいくつも所有しており①が付いたこの倉庫はかなり前から所有したのだろう。
グリーンに塗装された扉が印象的だ。
2022年2月撮影
「旧藤川邸 蔵」
色内
1906(明治39)年建築
木骨石造3階建て
現所有者の祖父が明治時代に取得したとあるので最初の所有者は不明。
木造家屋の上にちょこんと乗っているようにも見えるが3階建ての蔵である
見ることは出来ないがとてもスマートな全容なのだろう。
2022年2月撮影
「飴谷製菓第二工場倉庫」
色内2丁目15-15
建築年不詳
木骨石造2階建て
飴谷製菓は主に飴を作っている 創業者は富山出身の飴谷氏であり
偶然なのか、苗字に合わせてのものなのか
第二工場倉庫は車は入れない細い小路に面しており道路側に工場がある。
飴谷製菓の本社前で飴を屋台で売る姿が最近はテレビとかで見るので
ぜひ購入してみたい。
2022年2月撮影
「旧小樽倉庫」
色内2丁目1-20
1894(明治27)年建築
木骨石造平屋・れんが造り2階建て
*小樽市指定歴史的建造物第13号
旧小樽倉庫は石川県の北前船船主の西出氏と西谷氏が建てた倉庫
軟石は小樽と札幌産のものだそうだ。
中庭がありしゃちほこが取り付けられている この倉庫は国の免許を得た
道内の営業倉庫第一号である。
1982年に市博物館に、その後は運河プラザも開業して観光客の絶えない
施設となっている。 ぜひ中に入り中庭も見てもらいたい。
2020年10月撮影
「大同倉庫A号低温倉庫」
港町5-3
1927(昭和2)年建築
木骨石造平屋
大同倉庫とは戦時下に指令により1社に集約され、戦後に昭和、共同運輸、小樽物産、中村、猪俣、丸和、高橋の7社が設立し「大同倉庫」となった。
この低温倉庫は室温約15度を保つことが出来るという。
2022年2月撮影
「大同倉庫5号・6号低温倉庫」
港町6-3
1924(大正13)年建築
木骨石造平屋
小樽市の港を南北に走る臨港線
その運河から埠頭側が港町である。 運河から中心部側が観光客が多く
埠頭側は大型トラックや水族館方向へ行く車が多い
大同倉庫を含め倉庫群の間を通るのは港湾都市ならではでしょう。
2022年2月撮影
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます