当別町の閉校(小学校) 赤字はレポート済
- 当別町立獅子内小学校(1951年8月1日太美小と統合し当別町立西当別小学校へ)
- 当別町立太美小学校(1951年獅子内小と統合し西当別小へ)
- 当別町立材木沢小学校(1965年当別町立当別小学校へ統合)
- 当別町立三番川小学校(1971年青山中央小へ統合)
- 当別町立四番川小学校(1973年青山中央小へ統合)
- 当別町立青山小学校(1975年弁華別小へ統合)
- 当別町立二股小学校(1975年青山中央小へ統合)
- 当別町立金沢小学校(1989年当別小へ統合)
- 当別町立高岡小学校(1991年西当別小へ統合)
- 当別町立青山中央小学校(2000年弁華別小へ統合)
- 当別町立川下小学校(2004年当別小へ統合)
- 当別町立中小屋小学校(2006年当別小へ統合)
- 当別町立蕨袋小学校(2007年当別小へ統合)
- 当別町立東裏小学校(2008年当別小へ統合)
- 当別町立弁華別小学校(2016年当別小へ統合)
- 当別町立当別小学校(2022年当別中へ統合し、当別町立とうべつ学園(義務教育学校)へ)
※wikipediaより
「旧当別町立弁華別小学校」
開校:1892(明治25)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:1937(昭和12)年竣工
当別町弁華別242
当時ダムカードを求めて当別ダムへ向かう途中でした
すごく素敵な学校を見て帰りに撮影しようと寄ったのが始まりで
まだレトロ建物に凝ってはいなかった。
その後にもう一度行き、細部まで撮影をしてきた
ぐるっと一周廻ることが出来る。
イチョウの黄色がやけに綺麗だった
2019年7月
2020年10月撮影
「旧当別町立蕨岱小学校」
開校:1911(明治44)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:1958(昭和33)年
当別町蕨岱2315
当別町の農業地帯にあり廻りは畑が多い
前庭には柵があり近くには寄れないが、芝生を見るときちんと管理されているので活用しているのだろう
白ペンキの玄関はとても綺麗だ。
2020年10月撮影
「旧当別町立川下小学校」
開校:1905(明治38)年
閉校:2004(平成16)年
校舎:1956(昭和31)年
当別町川下755-10
ここも畑の中の学校だった
校舎は以前は転用していたようだが現在は?少し痛みが目立ってきており今後どうなるか
前庭は雑草が伸びてきている
玄関前まで行けるが、もちろん中には入れない。
2020年10月撮影
「旧当別町市立高岡小学校」
開校:1900(明治33)年
閉校:1990(平成2)年
校舎:()年竣工
当別町高岡1813-1
石狩市八幡にも旧高岡小学校があり、両校は近い位置にある
この高台一帯を高岡と呼んでいたのだろう
さて久しぶりの現存校舎である
しかも木造だ
隣に神社がありそこの境内からグラウンドを通して正面に校舎を見ることが出来る
開校から100年以上経っているので現校舎は何代目かの校舎であろう
体育館への連絡通路はすでに改修されており、体育館の窓も同様だ
ただ壁は木造のままだった
現施設の名前がある標識の裏を覗くと旧小学校の門と学校の表札プレートがあった!
木造部分の造りがいいなぁ
裏側から校舎を遠望すると体育館が正面にあり高台にある校舎が絵になった
現在は札幌の福祉施設が運営をしており、訪問時は建物の工事中であった
果たして木造校舎はどうなるのか?今後が気になります。
2021年10月撮影
「旧当別町立東裏小学校」
開校:1901(明治34)年
閉校:2008(平成20)年
校舎:1959(昭和34)年竣工
当別町東裏2796-1
当別町は廃校が多いが、現存している校舎も多い
中には放置せざるを得ない学校もあるが東裏小学校は家具関係の製作所に転用しているようだ
校舎は平屋で長く、廊下を見てみたい
平屋造りは敷地が広くないと出来ないだろう。
2020年10月撮影
「旧当別町立材木澤小学校」
開校:1915(大正4)年
閉校:1964(昭和39)年
校舎:()年竣工
当別町東裏2796-1
当別市街から外れ石狩方面へ向かう途中の枝道へ入る
本当にここに学校があったのだろうかと半信半疑で行ったら真新しい木造の建物があり
そこが小学校跡だった。
焼き物の工房のようだが、旧校舎の活用ではなく新築に見える
校庭のスペースは狭いので旧校舎もそんなに大きくは無かったのでは。
2021年4月撮影
「旧当別町立青山中央小中学校」
開校:1901(明治34)年
閉校:2000(平成12)年
校舎:1978(昭和53)年竣工
当別町青山奥
青山中央小学校の開校当初は「青山奥小学校(簡易教育所)」として始まり
同年にやはり同じ簡易教育所として「青山小学校」も開校している。
「青山小学校」
*当別町史より
当別ダムが完成し「青山小学校」は水中に没した。
中央小学校はダムのさらに奥地になる
この日は水没した旧道が顔を出していた
だいたい渇水季節にはこうなるらしい。
さてダム湖を過ぎると左手に学校校舎が見えてくる
少し高台に建てられており間近になると木々で見えなくなる。
校舎を見るのは3経路
まず手前の広場奥から ご覧の通り車は通れない
少し歩くとバックネット裏手に グラウンド側に出るらしい
そしてグラウンド超しに校舎が見えた
グラウンド隅に材木、校舎の前に砂利と建築資材置き場に使っているのだろうか
バックネット横にあった建物は潰れている(用具か更衣室か)
道路に戻り少し進むと登校路らしい ここはロープと立て看板が見えたのでストップ
さらに道路を少し進み藪が覆いかぶさる道を進むと体育館の裏に出た
2021年10月撮影
体育館のドアが開いていた もちろん進入しない
校舎側にも回れるが止める
さらに体育館の上部に行く道が続いているがここで引き返す。
小中学校だけに、この場所にしては大きな校舎である
ただ典型的な?機能とコストを重視した造りのようで魅力には欠ける。
現校舎の前に建てられた旧校舎は実に立派な木造校舎であったようだ。
段差が無くなり? 右側が解体された跡がある
素敵だなぁ
*閉校記念誌より
*当別町史より
「旧当別町立金澤小学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工
当別町金沢
金澤小学校は明治期は初め分教所であった
国道275号線と平行に走りやがて合流する鉄北線沿いに学校がある
この鉄北線は医療大学やパンのノルトエッセン、またお洒落な住宅やギャラリーなどがある。
校舎は2002(平成14)年に取り壊されてすでに無かった
現在は個人の敷地であるが住宅なのか商用なのかは確認できなかったので奥の撮影は止めた。
レンガの門柱にはまだ校名のプレートがあった。
また裏手にはバックネットだけが残っていた
植物が絡みまくるこれもいつまで持つものか
付近には神社と消防施設がある
こういうのは初めて見た
2021年10月撮影
旧校舎
*当別町史より
弁華別小学校が廃校になる3年前に、敷地外から
写真を撮っていたら、校舎から先生が出てきて
「あっ…叱られるかな…」と思ったら
「どうぞ、中を案内しますよ!」と言われ感涙。
青い目の人形や、各教室、体育館(重厚な天井の梁に感動)
などなど素晴らしい時間でした。
最後に校長室に招かれ、校長先生と色々とお話し出来て
夢の様なひと時を思い出しました(T-T)
>弁華別小学校が廃校になる3年前に
中を見学出来たのですね!
なんとも羨ましい話で
確かに夢のようなひと時ですねぇ
結構な数の閉校を見ましたが
弁華別小学校は本当に素敵な学校で一番好きです
そういう話を聞くと出会った地元の人や学校関係者の話を聞きたいですね
誰かいたら積極的に聞いてみようと思います
今後ともよろしくお願いいたします