札幌オリンピックは南区の真駒内で開会式閉会式を行い、スケート、アイスホッケー、距離、バイアスロンの競技が行われた
また、選手村、プレスセンターもあり真駒内はまさにオリンピックの街となった。
地下鉄真駒内駅は札幌市営地下鉄南北線の南最終駅であり近くには公営の団地が多い
自衛隊も広大な敷地を持っており一種独特の街になっています
その真駒内はオリンピックで飛躍的に開発が進みました
今でも地下鉄駅を出たところにある広場にはモニュメントと選手村が残っています。
札幌オリンピックマークが市内で一番多いであろう近辺を探索してみた。
まず地下鉄前
地下鉄南北線は平岸~霊園前間で地上に飛び出ます
そこからはシェルターの高架上を走り駅に到着します
なので地下鉄ですがホームは2階になります(南平岸、澄川、自衛隊前の4駅)
開業は1971年の12月
まさにオリンピックの直前に開業を間に合わせました
開催時は人の波だったのでしょう。
私は何十年も札幌に住んでいるのに真駒内駅に入ったことがありません💦
そう思って探索していたら中にマークが無いか確認したのにねぇ…
駅前には駐輪所、バス停留所、タクシー停車場がありそこに札幌オリンピックのモニュメントがあります。
ゴールドメダリストの名前があり笠谷さんの名前もありますね
次に選手村へ行きます
**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より
この選手村は現在は五輪団地と呼ばれ
建設当初からオリンピックが終わったあとは分譲と賃貸にする予定で設計されました
なので短期の仮住まいではなく普通の住宅を選手、関係者に貸し出したということですね
完全に取り壊したり、他の目的に変えた建物もあります。
地下鉄出口からすぐ目に入るのは11階建ての集合住宅で
ここは女子の選手村でした。(地図記号では「W」)
現在の分譲団地で「H棟」になっていますね
それと上記の地図では2棟だが実際には3棟ある これは計画を変えたか終了後に建てたのかわからず
当時はこの辺に高い建物は無かったと思うので11階は憧れがあったと思う
ここで有名なエピソードは女子フィギュアで一躍人気を得たジャネット・リンが部屋の壁に書いた
「Peace Love+Life」のサイン。
今も住人の方が大切に保管しているそうです。
五輪団地も棟によって管理組合があるみたいですね
五輪マーク発見
1970年ころの建築です
雪のマークと棟番号だけの建物もありますよ
男子やプレスマンの宿舎だったようですね
中に公園もありました
ここはオリンピック期間中は診療所だったようです
次に真駒内公園に戻り、五輪橋に行ってみます
公園の中を貫き川沿、国道230号に向かう利用度の高い道路にあります
真駒内側にまず「五輪小橋」
続いて「五輪大橋」
小橋に比べてヒモでくくりつけられているマークが悲し気です
大橋と小橋の中間にこのようなモニュメントがあります
「雪華の像」
マークななかったけど立派な塔でした。
「札幌オリンピック冬季大会プレスセンター」 現北海道青少年会館コンパス
竣工 昭和46(1971)年
設計 黒川紀章
札幌市南区真駒内柏丘7丁目
当初から青少年会館として建てられたようですが、設計に黒川紀章をもってきたり
選手村から車で5分程度の柏丘に建設したりでオリンピックを視野に入れての計画ではと思った。
五輪マークは外に一箇所発見 寂しい場所だが中に入ればポスターがあってオリンピックのイメージがある。
宿泊棟はカプセルでブロックに分かれている これは黒川紀章の代表作、中銀カプセルタワーの竣工前であり
或る意味、実験台のようなものかと思う
ある設計専門者のブログで中銀のカプセルと同様のものが建設時、雪道の柏丘の坂をトラックが登り切れなかったため
急遽別のものに変えたと面白い情報を見ました。
体育館への連絡通路を高架で作り宇宙船のような円窓の連続で今見ても驚く
中も部分的に見ることが出来るので当時の外国人プレスのくつろぎスペースなど見ても面白いですよ。
宿泊棟と下の壁に五輪マーク
**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より
ここでは「プレスセンターとして建設された」とある
プレスマンセンターB オーデトリアム 現ホール
ファサードは結構変わりました。
**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より
プレスマンセンターC 現体育館
プレスマンは運動不足解消に体育館やプールを活用していたようですね。
またどこかで五輪マークを見つけたら追記します。