札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

1972年札幌オリンピックの建築探訪 その他施設

2021-06-13 23:51:50 | 札幌オリンピック

 

札幌オリンピックは南区の真駒内で開会式閉会式を行い、スケート、アイスホッケー、距離、バイアスロンの競技が行われた
また、選手村、プレスセンターもあり真駒内はまさにオリンピックの街となった。

地下鉄真駒内駅は札幌市営地下鉄南北線の南最終駅であり近くには公営の団地が多い
自衛隊も広大な敷地を持っており一種独特の街になっています

その真駒内はオリンピックで飛躍的に開発が進みました
今でも地下鉄駅を出たところにある広場にはモニュメントと選手村が残っています。

札幌オリンピックマークが市内で一番多いであろう近辺を探索してみた。

 

まず地下鉄前


地下鉄南北線は平岸~霊園前間で地上に飛び出ます
そこからはシェルターの高架上を走り駅に到着します
なので地下鉄ですがホームは2階になります(南平岸、澄川、自衛隊前の4駅)

開業は1971年の12月
まさにオリンピックの直前に開業を間に合わせました
開催時は人の波だったのでしょう。


私は何十年も札幌に住んでいるのに真駒内駅に入ったことがありません💦
そう思って探索していたら中にマークが無いか確認したのにねぇ…


 

駅前には駐輪所、バス停留所、タクシー停車場がありそこに札幌オリンピックのモニュメントがあります。

ゴールドメダリストの名前があり笠谷さんの名前もありますね

 

 

次に選手村へ行きます



**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

 

この選手村は現在は五輪団地と呼ばれ
建設当初からオリンピックが終わったあとは分譲と賃貸にする予定で設計されました
なので短期の仮住まいではなく普通の住宅を選手、関係者に貸し出したということですね
完全に取り壊したり、他の目的に変えた建物もあります。

 

地下鉄出口からすぐ目に入るのは11階建ての集合住宅で
ここは女子の選手村でした。(地図記号では「W」)

現在の分譲団地で「H棟」になっていますね
それと上記の地図では2棟だが実際には3棟ある これは計画を変えたか終了後に建てたのかわからず
当時はこの辺に高い建物は無かったと思うので11階は憧れがあったと思う

ここで有名なエピソードは女子フィギュアで一躍人気を得たジャネット・リンが部屋の壁に書いた
「Peace Love+Life」のサイン。
今も住人の方が大切に保管しているそうです。

 

 

 

五輪団地も棟によって管理組合があるみたいですね

五輪マーク発見

1970年ころの建築です

雪のマークと棟番号だけの建物もありますよ

男子やプレスマンの宿舎だったようですね

 

 

中に公園もありました

 

 

ここはオリンピック期間中は診療所だったようです

 

 

 

次に真駒内公園に戻り、五輪橋に行ってみます
公園の中を貫き川沿、国道230号に向かう利用度の高い道路にあります

真駒内側にまず「五輪小橋」

 

 

 

続いて「五輪大橋」

小橋に比べてヒモでくくりつけられているマークが悲し気です

 

 

 

大橋と小橋の中間にこのようなモニュメントがあります
「雪華の像」

マークななかったけど立派な塔でした。

 

 

 

 

「札幌オリンピック冬季大会プレスセンター」 現北海道青少年会館コンパス

 

竣工 昭和46(1971)年
設計 黒川紀章

札幌市南区真駒内柏丘7丁目

 

当初から青少年会館として建てられたようですが、設計に黒川紀章をもってきたり
選手村から車で5分程度の柏丘に建設したりでオリンピックを視野に入れての計画ではと思った。

五輪マークは外に一箇所発見 寂しい場所だが中に入ればポスターがあってオリンピックのイメージがある。

宿泊棟はカプセルでブロックに分かれている これは黒川紀章の代表作、中銀カプセルタワーの竣工前であり
或る意味、実験台のようなものかと思う
ある設計専門者のブログで中銀のカプセルと同様のものが建設時、雪道の柏丘の坂をトラックが登り切れなかったため
急遽別のものに変えたと面白い情報を見ました。

体育館への連絡通路を高架で作り宇宙船のような円窓の連続で今見ても驚く
中も部分的に見ることが出来るので当時の外国人プレスのくつろぎスペースなど見ても面白いですよ。

 

宿泊棟と下の壁に五輪マーク

 



**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

 

 

ここでは「プレスセンターとして建設された」とある

 

 

プレスマンセンターB オーデトリアム  現ホール


ファサードは結構変わりました。



**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

 

プレスマンセンターC  現体育館

プレスマンは運動不足解消に体育館やプールを活用していたようですね。

 

 

 

 

 

またどこかで五輪マークを見つけたら追記します。

 


1972年札幌オリンピックの建築探訪 競技場②

2021-06-11 12:20:12 | 札幌オリンピック

 

「手稲山」 男女大回転、回転、ボブスレー、リュージュ

 

手稲山は札幌の中心部からも見える数少ない1000メートル超えの山であり
スキー場、遊園地、登山など様々な形で市民に利用されている山です。
この山が、競技場に選ばれるのは必然でしょう。

 

一般が車で行ける最高地点に駐車場とオリンピックハウスがあります。

「オリンピックハウス」

オリンピック用に50年前に建てられた建物の中で、山や森の競技場で現存しているのはここだけかな
建設当時から見ると1階~3階を改築したようです。


   **1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

 

現在は未使用のようだけど綺麗に管理されていると思う

近辺にはこのようなものも

これも年期を感じます。

 

ただこんな廃屋もそのままに

 

 

市内へと下る途中に聖火台があった。

「聖火台」

オリンピアスキーセンターが目印
遠くにあります。

夏は聖火台まで行けます
痛みがあるので登るのは止めたほうがよさそう
機会があれば行って来ます。

 

途中にはオリンピックとは関係ないと思うがこのような施設も

面白いデザインだなぁと
調べたらスキースクールのようですね。

 

登りより下りで気づいたのが
「ボブスレー競技場」

どこにコースがあったのか知りませんでした


コンクリートの土台とコースの壁、照明が残っていた
この土台の上にはゴールハウスがあり、数年前まで無残な廃墟の姿を晒したままだったが撤去された。


**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

 

五輪マークがついたままだったので廃墟にするなら撤去したほうがいいと思う。


リュージュコースは現在は跡形もない?ようで
このボブスレーコースとは車道の逆側の山側にあった。

もっと深堀すると詳しくわかると思うけどそれはまた今度。

**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

 

 

 

アルペン種目で残る男女の滑降競技は恵庭岳に造られた。
その経緯と影響などはここでは触れず。

特設なのでプレハブ的な施設が多かったようだ
ちなみに設計は田上義也。


 

「運営本部」

 

「サブプレスセンター」



**1971年発行 札幌オリンピック施設 : 競技場・選手村・関連施設などの記録より

この他にも「山頂ハウス」や「中間ハウス」がやはり田上義也設計であった。
コース自体は辿れるかもしれないが施設に関しては跡形もないものと推察します。

 

 

 

これ以外の種目別競技場は

リュージュ  「藤野」(予備会場)
距離     「真駒内」
バイアスロン 「西岡」

公園や自衛隊基地内を使用したためか施設も五輪マークも残っていないと思います。
次回は選手村と関連施設を。

 

 


1972年札幌オリンピックの建築探訪 競技場①

2021-06-07 18:44:24 | 札幌オリンピック

 

1896年にアテネで開催された近代オリンピックの長い歴史の中で
我が国で開催されたのは1964年東京、1972年札幌、1998年長野の3回だけですが
今年、おそらく東京が2度目のオリンピックを開催することでしょう。

 

さて北海道住みの私には、やはり札幌オリンピックですね
加えて来年が開催から50年です。

ちなみに1940年に一度決定していたのはご存じですか?
東京と同年開催であったが軍部の反対や激化する日中戦争をうけて政府が開催権を返上したのです
戦後、東京オリンピックが決まったこともあり誘致を続けていた結果、1972年に決まりました


市内には、あの五輪マークが様々なところに残っているので50周年を前に探索してみました
オリンピックは選手やメダリストが中心でしょうが、ここは建物や施設を中心にします。

 

まずは競技場を。

 

「北海道立真駒内公園屋外競技場」 現真駒内セキスイハイムスタジアム

竣工 昭和45(1970)年
会場 開会式、スピードスケート

札幌市南区真駒内公園

 

札幌オリンピックのメイン会場で開会式はここで行われました。
どうせ行くなら冬がいいと2月に行って雰囲気だけでも味わおうと。。

雪が無ければ五輪マークまで行けそう
施設は大きくて1枚には入り切りません。


バックスタンド

外から登って中が見えた
1直線上に屋内競技場があるのを知っていますか

聖火台が見えました。

 

中に入って撮影だけさせていただきました

ここ数年はスタンドなどの老朽化が問題になっていました
そんなこともあり「命名権」を設定し現在はセキスイハイムが権利を持っています
これに伴いJOCより五輪マークの撤去を依頼されました
それが室内に取り付けられたマークでしょう。

札幌は新たに冬季オリンピックに立候補を表明しているが、この会場はおそらく使われないと思われる。

 

2021年2月撮影

 

 

 

 

 

「北海道立真駒内屋内競技場」 現真駒内セキスイハイムアイスアリーナ

 

竣工 昭和45(1970)年
会場 閉会式、フィギュアスケート、アイスホッケー

札幌市南区真駒内公園

 

私は定山渓や支笏湖方面に行くときはルート上、アイスアリーナの横を通って行くので
どの施設よりも親しみがあり、どっしりした会場を見るのが楽しみだ。

外壁の意匠に一部木材が使用されたり昭和45年当時では斬新なデザインだったのでは?
何度か塗り直しされたかと思う外観はいつも綺麗に感じる。

札幌オリンピックのアイドル、フィギュアのジャネットリンの転んでもスマイルシーンが印象的な出来事だった。

現在も市民には音楽のライブ会場や各種イベント、もちろんスケート場をはじめ各種コートなどもあり
屋外競技場が周辺の散歩コースのイメージとは違い
実際に市民に使われている現役施設のイメージです。

 

 

競技施設ではないが真駒内公園には同時期に建てられたと思われるデザインに個性がある建物があります

「真駒内屋内競技場付属小体育館」

 

「公園事務所」

 

2021年2月撮影

 

 

 

 

 

「札幌市月寒体育館」 

 

竣工 昭和46(1971)年
会場 アイスホッケー

札幌市豊平区月寒東1条8丁目

 

月寒体育館がその昔は競輪場だったのはあまり知られていない

ご覧の通り現在もアイスホッケーの練習、試合場所として大事な施設です。

 

隣接している屋外競技場は主にラグビーに活用されています
スタジアムの外側部分のデザインは秀逸。

現在は、プラス北海道銀行のカーリング場が隣接されており
真駒内と違い住宅街に一大スポーツ施設が連なっています。

 

2021年3月撮影

 

 

 

 

「札幌市美香保体育館」 

 

竣工 昭和45(1970)年
会場 フィギュアスケート

札幌市東区北22条東5丁目

 

競技場は山のある区に集中するのは当然として、市内でも最も平坦な東区にある体育館。
ここは東区の重要な体育施設でスケート、カーリング、体育館として使用される。

裏面に廻ってみたら思わず写真を撮りたくなった。

 

2021年3月撮影

 

 

 

 

 

「大倉山ジャンプ競技場」 

 

竣工 昭和7(1932)年
会場 スキージャンプ90m級

札幌市中央区宮の森1274

 

今も昔も北海道のメインシャンツェですね
各種の大会、ワールドカップなどの国際大会の会場であり
札幌を見下ろす場所にあるため展望を求め観光客にも人気がある。

駐車場からこのエスカレーターの上り下りします。

「虹と雪のバラード」は札幌オリンピックのテーマソング
開催中は札幌市内いつでもどこでも流れていたという

作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦
複数の歌手が歌ったがトワ・エ・モワ版が定着し、オリコン最高位7位、売上60万枚
その年の紅白歌合戦に出場した。
また石碑のデザインは彫刻家の国松明日香、揮毫は書家の中野北溟と一級の人物を起用。

 

1940年の幻のオリンピックに備えるため1932年に竣工した。
私財を投じて建設に尽力した大倉喜七郎(大倉財閥2代目総帥)に報いるため名無しの山だったこの山に「大倉山」と名付けると
ジャンプ台は「大倉山シャンツェ」と呼ばれるようになった(シャンツェはドイツ語でジャンプ台)

 

ジャンプ台下のランディングバーンの横には札幌オリンピックミュージアムとレストランが入るクリスタルハウスがある
山頂までは有料リフトで登れますが、私は過去に西区の三角山から縦走して行きました。






2011年撮影

 

これはオリンピックミュージアムの屋上から

 

2021年3月撮影

 

 

 

 

 

「宮の森ジャンプ競技場」 

 

竣工 昭和45(1970)年
会場 スキージャンプ70m級、ノルデイック複合競技ジャンプ

札幌市中央区宮の森1条18丁目

 

札幌オリンピックでの日本勢のメダルは合計3個
その3個とも宮の森ジャンプ台でした。

金メダル 笠谷幸生
銀メダル 金野昭次
銅メダル 青地清二

日本人3人で表彰台を独占し「日の丸飛行隊」と呼ばれオリンピック最大の盛り上がりになった。

青地さんは2008年、金野さんは2019年に逝去した
皆さん道民だけあって目にする機会が多かった。

笠谷さんは後年に叙勲を祝ってスキー連盟が非公式で開いた祝賀会でお目にかかり
金野さんは後年に何と取引先の担当となられ商談をしました ジャンプで飛び出す瞬間に発する声で「カミソリ」と言われたイメージはなく温和で優しい方でした。

宮の森に来ると表彰台の3人
日の丸が並んだ3本のポールを思い出しジーンとします。

 

2021年3月撮影

 

 

 

続く