札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

帯広市の建築探訪②

2024-04-11 18:58:13 | 帯広市

続きます

帯広市には「道東の建築探訪」(2007年発行、北海道新聞社)において14軒の掲載がある

今回は1泊旅行の中での見学で、市内中心部から外れていたり
移動ルートからも外れている建物は次回にした。

撮影はすべて2024年3月

 

「帯広聖公会双葉幼稚園」 道東の建築探訪 NO105

 

所在地:帯広市東4条南10丁目
建設年:大正11(1922)年 
指定等:国登録有形文化財

 

帯広市の歴史的建築物では第一級の建物、園舎であり
現在も敷地外からその特異な姿を望むことが出来る。

幼稚園としては1911年(明治44年)…帯広聖公会別館で双葉幼稚園を開園。

1922年(大正11年)に二代目園長である臼田梅氏の設計により新園舎竣工。

2013年(平成25年)…第100回目卒業式を終え閉園となる。

2017年(平成29年)…国の重要文化財に指定される。

 

すでに閉園しているので人影はない

門から正面入り口方向と東側から中庭と1階部分が外から見える
やはり中からドームを見るのが一番だろう。

 

【2024年の公開時間】
2024年度の開園は、5月3日(金)祝日から開園いたします。 土日祝日のみ 10時〜15時

【入園料】
大人300円、高校生以下無料、団体(10名以上)200円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖徳太子堂」 道東の建築探訪 NO106

 

 

所在地:帯広市東5条南8丁目
建設年:昭和2(1927)年 
指定等:なし

未訪問

 

 

「成田山松光寺」 道東の建築探訪 NO107

 

 

所在地:帯広市東6条南6丁目
建設年:大正3(1914)年 
指定等:なし

未訪問

 

 

「十勝監獄石油庫」 道東の建築探訪 NO108

 

 

所在地:帯広市緑ヶ丘公園
建設年:明治34(1901)年 
指定等:帯広市指定文化財

未訪問

旧北海道集治監十勝分館油庫

 

 

「真正閣」 道東の建築探訪 NO109

 

 

所在地:帯広市
建設年:()年 
指定等:なし

未訪問

旧十勝公会堂御便殿 真鍋庭園内

 

 

「旧川原家住宅」 道東の建築探訪 NO110

 

 

所在地:帯広市川西町基線61
建設年:昭和8(1933)年 
指定等:なし

未訪問

 

 

 

「サンプラザ」

 

所在地:帯広市西1条南9丁目15
建設年:確認中
指定等:なし

 

帯広市へ行くことになった時、ストリートビューで市内中心部を探っていた時に個人的にヒットした物件。

建物は一方通行路に面しており、1階にはパッケージショップが目立つ

2階の意匠が面白く、歴史もありそうに感じたので撮影をした。

また正面右端に「プリンス劇場」の表示があった
詳しい人から映画館であったと聞く 
建物は奥行きがあり反対側からも見てみるべきであった。

 

 

 

 

 

「salon 齋藤亭」

 

所在地:帯広市東2条南4丁目19
建設年:昭和9(1934)年 
指定等:なし

 

角地にあるこの建物は、洋風の出窓もあれば縁側もありと和洋折衷の素敵な住宅だと思う。

築80年の古民家を地域のコミュニティサロンにと2016年6月にオープンした
それはこの地区にある商店街組合が地域活性化のために家主さんに声をかけた。

しばらくは空き家で床も落ちそうな状態だったらしいところを
お金をかけ建設当時の姿にまで復元をしたそうだ。

管理運営は大変だが、現在は時間貸しをしていて多くの人で賑わう時がある。

商店街による古民家再生の一つの形ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神島邸」

 

所在地:帯広市西1条南6丁目4
建設年:昭和初期 
指定等:なし

 

「神島邸」はグーグルマップを見ている時にヒットした

旧跡か何か由緒ある建物かと思ったが一般住宅のようだ
しかしこの住宅は帯広市にはもはや珍しい造りの住宅。

ピンク色に近い外壁に1階の玄関上部の意匠や1階出窓はL字型になり
2階には上げ下げ窓を連続させている、とても魅力のある住宅だと思う。

家の前の大木は季節になるとたくさんの葉を付けて住宅が見えずらくなる
まさにジャストな訪問タイミングであった。

撮影時は空き家に見えたがどうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そば小川」

 

所在地:帯広市西1条南6丁目20
建設年:明治43(1910)年 
指定等:なし

 

「そば小川」の建物は、旧小川酒造店舗・醸造所である。

旧小川酒造は明治44年(1911年)に開業している
その頃の名残を探すなら、店舗から北に連なる土蔵を見ることだ
ところどころ壁が落ちているが、そんなところも歴史を見るよう。

また南側に店舗と繋がる塀の途中に、これまた歴史を感じる門がある
以前はここが入口だったのかも知れない。

建物自体は平成2年(1990年)に蕎麦屋としてオープンした
補修か改築かは不明だが縦長窓が連続する姿は以前の外観と
同じなのかと思ってしまう。

蕎麦店は人気のあるお店で中に入ると歴史を思わせる柱や梁があるが、注文品以外は撮影禁止とある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「銀河街」

 

所在地:帯広市西1条南7丁目12-3
建設年:()年 
指定等:なし

 

今回の旅行で帯広市を中心にレトロ建物を見て廻ろうと思って
ストリートビューを見ていたところ、こちらを見た。

まず正面右手の上げ下げ窓に目が行き、隣接した二つの建物の壁一部を塞いで一体化させた建物に思えた。

石畳が波をうっているのもらしくて逆に風情がある。

看板がいい味を出しており、やはりこういう所は電気がつく夜の見学がいいだろう。

帯広市には他にもありそうで、ぜひ残して欲しい場所だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


帯広市の建築探訪①

2024-04-08 15:59:15 | 帯広市

 

帯広市には「道東の建築探訪」(2007年発行、北海道新聞社)において
14軒の掲載がある

今回は1泊旅行の中での見学で、市内中心部から外れていたり
移動ルートからも外れている建物は次回にした。

 

撮影日はすべて2024年3月

 

「田守家住宅」 道東の建築探訪 NO97

 

 

所在地:帯広市西19条
建設年:明治38(1905)年 
指定等:なし

未訪問

 

 

「宮本商産事務所」 道東の建築探訪 NO98

 

所在地:帯広市西2条南5丁目-3
建設年:大正8(1919)年 
指定等:登録有形文化財

 

大正8年に建てられたこの建物は宮本商産の事務所・店舗である

現在は、さかい珈琲 帯広店として再活用されており
客として入店し内部を見ることも出来る。

事務所は隣のビルになるが、このビルも年季が入っている
また裏手には倉庫があり、この倉庫も歴史がありそう

木骨のレンガ造りで、上部に「MIYAMOTO」とあるのは
竣工時からあるそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「六花亭貸しホールKYU」 道東の建築探訪 NO99

 

所在地:帯広市大通南5丁目-17
建設年:大正元年(1912)年 
指定等:帯広市指定文化財

 

旧名称は「三井金物店」の店舗であった
かつては背後に大邸宅があったが平成9年に解体されている。

正面は櫛形三連アーチの開口部 ただ壁が入ってしまったのは残念なようだ
レンガ造りなので珍しいので地元住民も商業利用を期待していた。

現在は「六花亭」が「サロン Kyu」から「シアター亭」に再活用しミニ映画館として
毎月1本、厳選した映画を上映している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「野尻写真館」 道東の建築探訪 NO100

 

所在地:帯広市大通南6丁目19-2
建設年:昭和初期
指定等:なし

 

野尻写真館は昭和4(1929)年設立の歴史のある現役写真館。

道内でも多くの都市に昔ながらの写真館(建物)が残っていたりするが以前からの建物でしかも現役はもうめずらしいだろう。

建物の詳細は不明だが、正面から見る1階玄関などの装飾と
連続する2階の縦長窓が印象的。

増築した住宅部と思われる部分と、横道側にある倉庫的な建物が
繋がり大きな敷地面積になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十勝信用組合本店」 道東の建築探訪 NO101

 

所在地:帯広市大通南9丁目
建設年:昭和8年(1933)年 
指定等:なし

 

旧安田銀行帯広支店として竣工されたので納得する外観だ
内部も当時の重厚な銀行建築を思わせる広い吹き抜けになっている。

その後に旧根室銀行帯広支店で使用された後に十勝信用組合本店となった。

出来れば見学、撮影をしたいところだが現役のしかも金融機関であれば通報もありえるのでもちろん入店せず。

十勝信用組合は昭和31年(1956年8月) - 十勝信用組合として設立、平成17年(2005年6月)- 本店建物改修。とあるのでこの時に綺麗にしたのでしょう。

札幌市では昔の銀行建築物は残っていないが、小樽や函館、深川や滝川にも現存しており帯広もその一つになる。

2階建てとはいえ堂々とした重厚な外観は地域のランドマークになっているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧岩野商店」 道東の建築探訪 NO102

 

所在地:帯広市東1条南5丁目17
建設年:大正2(1913)年 
指定等:なし

 

元は旧高橋商店が建てた建物が昭和27年に岩野商店の所有になった
岩野商店は金物や荒物を扱っていたお店。

瓦屋根や横側の倉庫的造りは本州ではあるだろうが北海道では珍しい
そこに「やまに」の屋号もある。

反対側の壁には「なまこ壁」があり、土壁や板壁より耐火性に優れているから使用したようだ
屋号のある側には隣接した建物が無いので片側だけになったのか
もしくは改装したのかは不明。

今後の再活用が望まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧野口医院」 道東の建築探訪 NO103

 

所在地:帯広市東1条南8丁目17-2
建設年:昭和4(1929)年 
指定等:なし

 

旧野口医院は病院と住宅が繋がって建てられたようで
病院の方は洋館、住宅の方は和洋折衷で建てられている。

その病院が2008年に解体されたころはガラスも割れていたり
廃墟のようだったとの記載がある。

それでも2000年代の解体であるため、結構病院部分の写真がネットに載っているのは嬉しいことだ
連続するアーチ型窓など昔の洋風病院のお洒落さが伺える。

住宅のみ健在だが板塀も今は珍しい 今見ると新鮮だ
1階が和風、2階が上げ下げ窓や出窓で洋風になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「櫻湯」 道東の建築探訪 NO104

 

所在地:帯広市東2条南6丁目
建設年:昭和7(1932)年 
指定等:なし

 

旧櫻湯は2階建ての建物で、正面の入口や脱衣所に当たる部分は木造で
後ろに繋がる浴場部分はレンガ造りである。

個性的な建物なので、つい立ち止まり写真を撮りたくなる建物だ
ファサードはすべての窓、入り口がアーチ型に統一されており
最上部の「櫻湯」の文字、装飾、色がなんともいえない素敵さ。

向かって右が男湯だが自分が小さいころに通っていた銭湯は
左側にあったことを思い出す。

銭湯とは利用者たちのコミュニケーションスペースでもあり
昔の人にはノスタルジックな思いに浸れるものかも知れない

 

 

 

 

 

 

 


木造校舎・廃校 芽室町の閉校②

2024-04-04 20:11:39 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

  • 芽室町立芽室小学校下美生分校(1952年)
  • 芽室町立上美生小学校伏美分校(1967年)
  • 芽室町立上渋山小学校(1972年渋山小へ統合)
  • 芽室町立上芽室小学校(1976年渋山小と統合し芽室町立芽室西小学校へ)
  • 芽室町立渋山小学校(1976年上芽室小と統合し芽室西小へ)
  • 芽室町立北明小学校(1981年<芽室西小へ統合)
  • 芽室町立上美生小学校〈旧〉(1983年雄馬別小と統合し芽室町立上美生小学校へ)
  • 芽室町立雄馬別小学校(1983年上美生小〈旧〉と統合し上美生小〈新〉へ)
  • 芽室町立上伏古小学校(1988年芽室町立芽室南小学校へ統合)
  • 芽室町立栄小学校(同上)
  • 芽室町立明正小学校(同上)
  • 芽室町立中伏古小学校(同上)
  • 芽室町立北伏古小学校(同上)
  • 芽室町立美生小学校(1991年芽室西小へ統合)
  • 芽室町立平和小学校(1995年芽室西小へ統合)
  • 芽室町立毛根小学校(同上)
  • 芽室町立西士狩小学校(1999年芽室西小へ統合)
  • 芽室町立祥栄小学校(2003年芽室西小へ統合)

中学校の閉校 赤字は今回レポート

  • 芽室町立芽室中学校西士狩分校(1951年)
  • 芽室町立北明中学校(1950年祥栄中北明分校から独立、1968年祥栄中へ統合)
  • 芽室町立平和中学校(1950年祥栄中平和分校から独立、1969年祥栄中へ統合)
  • 芽室町立美生中学校(1949年6月芽室中美生分校から独立、1970年芽室町立芽室中学校へ統合)
  • 芽室町立渋山中学校(1950年芽室中渋山分校から独立、1971年芽室中渋山分校となり、1973年廃校)
  • 芽室町立新栄中学校(1948年芽室中北伏古分校から独立改称、1972年芽室中新栄分校となり、1973年廃校)
  • 芽室町立明友中学校(1949年明正中から改称、1972年芽室中明友分校となり、1973年廃校)
  • 芽室町立祥栄中学校(1972年芽室中祥栄分校となり、1973年廃校)

 

「旧芽室町立西土狩小学校」

開校:明治32(1899)年
閉校:平成11(1999)年
校舎:昭和27(1952)年竣工

芽室町西土狩北4線48

 

この学校から旅行二日目、雨中の訪問になります

旧西土狩小学校の現在は「オークル」(障がい福祉サービス事業所(多機能型))になり、新築された綺麗な建物が建っている。

その横にピンクに塗られた平屋の建物が旧西土狩小学校校舎である
この校舎は鉄筋コンクリート造りだそうだ
平屋の校舎と時代背景から珍しいものであることがわかる。

門柱(校名プレート有り)と記念碑、二宮像、体育館も現存しており
改めて芽室町の学校を残そうという方針がわかった
この学校は開校100周年のその年閉校になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立北明小学校」

開校:大正8(1919)年
閉校:昭和56(1981)年
校舎:昭和31(1956)年竣工

芽室町北明西7線18-1

 

今回廻って見て芽室町には素敵な閉校校舎が多いと実感できた
この学校もとても素敵だ。

現在は「北明やまざと幼稚園」でマップ表示が出る
ただ現役の幼稚園だとしたら当然敷地外からの撮影となるし
外からでも不信がられるかも知れない。

なので訪問スケジュールを園児が帰る午後以降にセットした。

本降りの雨の中、確かに園児はおらず園舎の一番端だけ照明が着いていた
今回は外観見学だけで充分だ。


体育館がまた素敵な外観だった
門柱も記念碑もある満足度が高い閉校跡であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立祥栄小学校」

開校:昭和7(1932)年
閉校:平成15(2003)年
校舎:昭和32(1957)年竣工

芽室町祥栄西14線

 

旧祥栄小学校と旧祥栄中学校は隣接している
ほぼ同じ場所に小中学校があるのはよくあることで、
他の芽室町内では旧美生小と旧美生中がそうであった。

検索は「祥栄の里」
改めてマップで見ると道東道の芽室インターがすぐ近くだった。

他の学校のように校門があって広い校庭があって正面に校舎が一列に並ぶ
その姿のまま校舎が建っていた。

造りはブロック造りの校舎である

校庭は残雪が多く、中まで行けずにズームで撮影をした
記念碑もしっかりあるがこれもズームにて。

すっきりした姿の良い校舎なので近くへ行きたかった
体育館側からは行けたが次に機会があったら廻ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立祥栄中学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:昭和26(1951)年竣工

芽室町祥栄西14線

 

旧祥栄中学校は体育館だけ現存していた
その形は旧祥栄小学校、旧北明小学校と似ているので同じ人の設計だろうか

何かに活用しているようだが用途は分からず
雨が本降りでもあり体育館の前まで車で行った
中に人はいるようだが出てこなかったので普通に撮影をさせていただいた。

得てしてこういう時に中の人と話をして内部見学をさせてもらったこともあったので、
人と会わないのはある意味残念でもある。

いずれにしても木造の体育館は魅力的で、まだまだ現存していて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

祥栄小学校体育館を見る 思ったより距離があった。

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立毛根小学校」

開校:明治32(1899)年
閉校:平成6(1994)年
校舎:昭和11(1936)年竣工

芽室町毛根北5線

 

今回の芽室町最後の閉校訪問は旧毛根小学校
また木造校舎が健在である。

校名プレート付きの校門はデザイン性がある
バックネットも健在のグラウンドの向こうに校舎があった。

写真はいずれも同じ角度からになったが、残雪と本降りの雨の中で
道道75号線側に行かねばならず、水撥ねの恐れもある
もうここまでで良いだろうと妥協をした。

校舎と体育館が一直線にあり、その体育館は他の閉校で見たものと
ほぼ同じように見える(昭和42年竣工)
やはり設計が同じなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 


木造校舎・廃校 芽室町の閉校①

2024-04-02 12:26:35 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

  • 芽室町立芽室小学校下美生分校(1952年)
  • 芽室町立上美生小学校伏美分校(1967年)
  • 芽室町立上渋山小学校(1972年渋山小へ統合)
  • 芽室町立上芽室小学校(1976年渋山小と統合し芽室町立芽室西小学校へ)
  • 芽室町立渋山小学校(1976年上芽室小と統合し芽室西小へ)
  • 芽室町立北明小学校(1981年<芽室西小へ統合)
  • 芽室町立上美生小学校〈旧〉(1983年雄馬別小と統合し芽室町立上美生小学校へ)
  • 芽室町立雄馬別小学校(1983年上美生小〈旧〉と統合し上美生小〈新〉へ)
  • 芽室町立上伏古小学校(1988年芽室町立芽室南小学校へ統合)
  • 芽室町立栄小学校(同上)
  • 芽室町立明正小学校(同上)
  • 芽室町立中伏古小学校(同上)
  • 芽室町立北伏古小学校(同上)
  • 芽室町立美生小学校(1991年芽室西小へ統合)
  • 芽室町立平和小学校(1995年芽室西小へ統合)
  • 芽室町立毛根小学校(同上)
  • 芽室町立西士狩小学校(1999年芽室西小へ統合)
  • 芽室町立祥栄小学校(2003年芽室西小へ統合)

中学校の閉校 赤字は今回レポート

  • 芽室町立芽室中学校西士狩分校(1951年)
  • 芽室町立北明中学校(1950年祥栄中北明分校から独立、1968年祥栄中へ統合)
  • 芽室町立平和中学校(1950年祥栄中平和分校から独立、1969年祥栄中へ統合)
  • 芽室町立美生中学校(1949年6月芽室中美生分校から独立、1970年芽室町立芽室中学校へ統合)
  • 芽室町立渋山中学校(1950年芽室中渋山分校から独立、1971年芽室中渋山分校となり、1973年廃校)
  • 芽室町立新栄中学校(1948年芽室中北伏古分校から独立改称、1972年芽室中新栄分校となり、1973年廃校)
  • 芽室町立明友中学校(1949年明正中から改称、1972年芽室中明友分校となり、1973年廃校)
  • 芽室町立祥栄中学校(1972年芽室中祥栄分校となり、1973年廃校)

 

 

芽室町は数少ない「木造校舎」が複数現存している町だ
また校舎が解体されていても「木造体育館」が現存していたりする。
解体校舎でも、ほんの数年前まで木造校舎が残っていたなど惜しい情報もあった。

今回の旅行では1日目は南部から西部へ
2日目は十勝川より北部の閉校を訪ねた。

残念ながら2日目は朝から土砂降りの雨が続き、撮影に関しても
テンションが下がり早く済ませたい衝動に駆られた。

残雪もあり近づけない場所もあったのでいつか再訪したいものだ。

 

「旧芽室町立上芽室小学校」

開校:明治37(1904)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和10(1935)年竣工

芽室町上芽室南3線

 

清水町御影から芽室町方面に国道38号線を離れ
1本南の道を東進する
畑の中を走るような感じ。

見晴らしの良い場所があり、日高山脈の「剣山」が良く見えた。

 


ナビは「上芽室農業研修センター」で到着するので問題はない
やがて赤い屋根の建物が見えたらそこが校舎跡地である。

学校があったことを証明するのは門柱(校名プレートなし)、
左手に立派な記念碑があった

グラウンドがあった方向にはバックネットも残っている

 

 

 

開校70年の記念碑

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立渋山小学校」

開校:明治39(1906)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和22(1947)年竣工

芽室町渋山8線25

 

旧渋山小学校跡地はグーグルマップで検索できず
目印としては「JAめむろ 種子馬鈴しょ貯蔵施設」で、そこから
道路を100mほど南下した左側にある。

校舎はすでに無く、解体後に建てられたと思われる赤い屋根の建物があった 
これは上芽室小学校と同じような感じだ。

学校跡地としては門柱(校名プレート無し)、記念碑、バックネットが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 


防災倉庫の陰にバックネット


地域の集会所だろうか

2024年3月撮影


 

 

 

「旧芽室町立美生小学校」

開校:明治35(1902)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:()年竣工

芽室町美生2線38

 

現在は「集団研修施設 かっこう」となり再活用されていると思ったら
HPより
集団研修施設かっこうは町民の利用が減少していることや、社会教育事業としての利用が今後見込まれないことなどから、令和4年3月末で社会教育施設としての供用を終了いたしました。

長年にわたり、ご利用いただきありがとうございました。


残念ですね
ただ郷土の英雄、大乃国資料室のみ、事前予約により見学いただけますとのこと。

 

 

 

 

 

校舎はまだ使えそうなRC造りだろう
緑色の屋根がなんともいえず良いと思う

ただ体育館(昭和41年竣工)と思われる建物は木造モルタルかな

道路に面した門柱は古そうで校名プレートは無い。

広い校庭には二宮像と閉校記念碑がある またオブジェのようなものもあるのだが、残雪が緩くて埋まってしまい近寄れない

せっかくの立派な碑が満足に撮影できず悔いが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立美生中学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和45(1970)年
校舎:昭和25(1950)年竣工

芽室町美生3線39

 

旧美生中学校は、旧美生小学校の道路を挟んで向かいにあった。

現在は「美生コミュニティセンター」が跡地に建っている
また大きな碑が道路に向いているのでこの一角だとわかる。

ただ学校があった証が何も見当たらなかった
芽室町の閉校は校舎や体育館、門柱や周年記念碑があることが多いのだが、バックネットでさえ無かったようだ。

数年前の写真には門柱が残っていたのだが今は何もない
やはり25年間という学校にしては短命に終わったからだろうか。

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影


 

 

 

「旧芽室町立中伏古小学校」

開校:大正8(1919)年
閉校:昭和63(1988)年
校舎:昭和7(1932)年竣工

芽室町中伏古5線3

 

今回の芽室町での「木造校舎」探訪ではメインになる学校だ

現在は「画家の美術館」として活用されている。

木造校舎は元より門柱(校名プレート有り)、記念碑にバックネット、教員住宅と思われる建物も現存している。

中伏古という芽室市街からも結構離れた場所にあり
いかにも十勝らしく農地が広がり山脈が近くにあるのどかな場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

 

「旧芽室町立北伏古小学校」

開校:大正4(1915)年
閉校:昭和63(1988)年
校舎:昭和28(1953)年竣工

芽室町北伏古南9線10-1

 

旧北伏古小学校を探すには「北伏古八幡神社」でナビをした
神社の隣が旧北伏古小学校である。

現地で驚いたのが、遠目に見ても綺麗に補修されていたことだ
木造の良さはそのままに屋根の補修や壁塗装?など素敵になっていた。

ただ何に活用されているかは未確認。

校庭を挟んで旧門柱(校名プレート有り)、記念碑、二宮像が
しっかりと残っているのも嬉しい。

中伏古小、北伏古小と連続して木造校舎を拝めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影