木曽御嶽の剣が峰山頂には、小生の場合、昭和46年(1971年)の夏に山の神様と来たのが最初で、それ以来、この山には山頂を極めない時もありますが、毎年のように来ていました。
噴火の年の2014年にも7月に飛騨側の頂上まで来ていますが、まさかその二か月後にあの噴火災害が起こるとは想像できませんでした。
この山は以前にも1979年(昭和54年)10月28日に突如噴火(水蒸気爆発)したことがあり、その当日にちょうど小生はこの山の山頂まで登っていましたが、王滝登山道の頂上直下八丁ダルミ付近では噴石がガチガチ音を鳴らして落下していて、大変怖い思いをしました。
その5年後には王滝村を震源とする長野県西部地震(M6.8規模)があり、その時は大規模な山体の崩壊をしていたのです。
それから後もこの活火山は、ごく小規模の噴火を繰り返してきていましたが、四年前のあの噴火災害に到ったのでした。
噴火災害から4年経ち、剣ヶ峰の山頂まで、期限付きで立ち入り規制が解かれているこの時が、小生の御嶽剣ヶ峰に来られる最後になるかもしれないと感じながら、ここまで歩いて来ました。
シェルターから石の階段をゆっくりと、数を数えながら登って行きます。81段踏み終わると山頂に着きます。
社務所 ↓

同じ場所に以前と同じように社務所が立っていましたが、建物は新しく変わっていました。噴火の最も近い位置にあった建物でしたから、噴石落下のダメージは相当なものだったのでしょうね。
霊神 ↓

真正面の神様は頭が取れています。これはTVなどの映像でも皆さんの知るところですね。
あたりはガスが立ち込めて来ていて視界があまりないので、この場所がまるで地の果てのように感じられます。
山頂表示 ↓

以前はこのほかにも「いかにも山頂」然としたものがたくさんありましたが、それが無くなっていました。
ロープを張って立ち入り制限をしてありますので、随分狭くなっていました。
風が強くて、寒く、ガスも立ち込めていましたので、首のない霊神様にお参りしてから早々にこの剣ヶ峰山頂を下ります。
石段を下る ↓

山頂からこの石段を下りながら往時の災害状況を想像していました。
階の欠損 ↓

石段の欠損は噴石の落下によるものでしょうね。
手摺の損壊 ↓

ステンレス製の手摺は破壊されたり、折れ曲がったりしています。
慰霊碑 ↓

石段の下にこの慰霊碑が祀られています。
ここで謹んでお詣りさせていただきました。
(慰霊碑の正面には)
御嶽山噴火災害慰霊碑
「安らかに」
と記されていました。
(そして、その側面には)
御嶽山 火山独立峰
海抜三〇六七米
平成二十六年九月二十七日
午前十一時五十二分 水蒸気噴火
犠牲者 五十八名
行方不明者 五名
救助捜索活動
平成二十六年九月二十七日~十月十七日(二十一日間)
救助体制 延べ 一万五千百七十六名
再捜索活動
平成二十七年七月二十八日~八月七日(十一日間)
救助体制 延べ 五千四百九十八名
木曽町長 原 久仁男
王滝村長 瀬戸 普
”The memorial to the victims of Mt.Ontake Eruption on september 27,2014"
と記されています。
それによると、災害年の救助捜索活動は、一日あたり平均して、722人動員。
翌年の再捜索活動には、一日平均、500人動員された・・・と言うことが判りました。
直下の建物 ↓

噴石落下のダメージが大きすぎて、使い物にならないので、解体しているところなのでしょうね。
シェルター ↓

シェルター前にこのような表示がありました。 ↓
避難壕 a shelter
緊急時には、この避難壕に避難してください。
避難の際は落ち着いて行動してください。
譲り合って利用してください。
木曽町
このシェルターを使って、風を避けながら、昼食休憩を取ることにしました。時刻は午前10時丁度です。
下山開始 ↓

腹ごしらえができて、下山を始めます。
二ノ池と摩利支天山 ↓

もう一度摩利支天山を見ます。
二ノ池 ↓

二ノ池を鳥瞰します。水に濁りがさしていますね。
三ノ池が見えた ↓

この位置からは三ノ池がチラっと見えています。あの池までは噴火の降灰は影響しなかったのでしょうか。きれいな水を湛えているようです。
剣ヶ峰を振り返る ↓

剣ヶ峰を振り返ります。登山者がたくさん見えています。
石室山荘前 ↓

ここでも登って来る登山者がたくさんいます。 膝にガタの来ている小生は、両手にストックを持ち、それを松葉杖のように使いながら、超スローペースで下っています。
噴火の年の2014年にも7月に飛騨側の頂上まで来ていますが、まさかその二か月後にあの噴火災害が起こるとは想像できませんでした。
この山は以前にも1979年(昭和54年)10月28日に突如噴火(水蒸気爆発)したことがあり、その当日にちょうど小生はこの山の山頂まで登っていましたが、王滝登山道の頂上直下八丁ダルミ付近では噴石がガチガチ音を鳴らして落下していて、大変怖い思いをしました。
その5年後には王滝村を震源とする長野県西部地震(M6.8規模)があり、その時は大規模な山体の崩壊をしていたのです。
それから後もこの活火山は、ごく小規模の噴火を繰り返してきていましたが、四年前のあの噴火災害に到ったのでした。
噴火災害から4年経ち、剣ヶ峰の山頂まで、期限付きで立ち入り規制が解かれているこの時が、小生の御嶽剣ヶ峰に来られる最後になるかもしれないと感じながら、ここまで歩いて来ました。
シェルターから石の階段をゆっくりと、数を数えながら登って行きます。81段踏み終わると山頂に着きます。
社務所 ↓

同じ場所に以前と同じように社務所が立っていましたが、建物は新しく変わっていました。噴火の最も近い位置にあった建物でしたから、噴石落下のダメージは相当なものだったのでしょうね。
霊神 ↓

真正面の神様は頭が取れています。これはTVなどの映像でも皆さんの知るところですね。
あたりはガスが立ち込めて来ていて視界があまりないので、この場所がまるで地の果てのように感じられます。
山頂表示 ↓

以前はこのほかにも「いかにも山頂」然としたものがたくさんありましたが、それが無くなっていました。
ロープを張って立ち入り制限をしてありますので、随分狭くなっていました。
風が強くて、寒く、ガスも立ち込めていましたので、首のない霊神様にお参りしてから早々にこの剣ヶ峰山頂を下ります。
石段を下る ↓

山頂からこの石段を下りながら往時の災害状況を想像していました。
階の欠損 ↓

石段の欠損は噴石の落下によるものでしょうね。
手摺の損壊 ↓

ステンレス製の手摺は破壊されたり、折れ曲がったりしています。
慰霊碑 ↓

石段の下にこの慰霊碑が祀られています。
ここで謹んでお詣りさせていただきました。
(慰霊碑の正面には)
御嶽山噴火災害慰霊碑
「安らかに」
と記されていました。
(そして、その側面には)
御嶽山 火山独立峰
海抜三〇六七米
平成二十六年九月二十七日
午前十一時五十二分 水蒸気噴火
犠牲者 五十八名
行方不明者 五名
救助捜索活動
平成二十六年九月二十七日~十月十七日(二十一日間)
救助体制 延べ 一万五千百七十六名
再捜索活動
平成二十七年七月二十八日~八月七日(十一日間)
救助体制 延べ 五千四百九十八名
木曽町長 原 久仁男
王滝村長 瀬戸 普
”The memorial to the victims of Mt.Ontake Eruption on september 27,2014"
と記されています。
それによると、災害年の救助捜索活動は、一日あたり平均して、722人動員。
翌年の再捜索活動には、一日平均、500人動員された・・・と言うことが判りました。
直下の建物 ↓

噴石落下のダメージが大きすぎて、使い物にならないので、解体しているところなのでしょうね。
シェルター ↓

シェルター前にこのような表示がありました。 ↓
避難壕 a shelter
緊急時には、この避難壕に避難してください。
避難の際は落ち着いて行動してください。
譲り合って利用してください。
木曽町
このシェルターを使って、風を避けながら、昼食休憩を取ることにしました。時刻は午前10時丁度です。
下山開始 ↓

腹ごしらえができて、下山を始めます。
二ノ池と摩利支天山 ↓

もう一度摩利支天山を見ます。
二ノ池 ↓

二ノ池を鳥瞰します。水に濁りがさしていますね。
三ノ池が見えた ↓

この位置からは三ノ池がチラっと見えています。あの池までは噴火の降灰は影響しなかったのでしょうか。きれいな水を湛えているようです。
剣ヶ峰を振り返る ↓

剣ヶ峰を振り返ります。登山者がたくさん見えています。
石室山荘前 ↓

ここでも登って来る登山者がたくさんいます。 膝にガタの来ている小生は、両手にストックを持ち、それを松葉杖のように使いながら、超スローペースで下っています。