久しぶりに記事を更新します。
前の投稿より大分経ってしまいましたが、身体の方は元気そのもので、”自粛”解除後の山歩きに備えて、毎日屋内でのトレーニングに励んで過ごしていることを報告しておきます。
トレーニングの中には電動ウォーキング機によるものもあり、これに乗って歩運びをしますが、壁に向き合っているばかりでは飽きますので、時折スマホから音楽を聴きながら”歩いて”いますが、やはり昔はやった演歌・流行歌を聴くことが中心になります。
ウォーキングが終わると、その時の体調によって、筋トレを取り入れたりしながら、ぼちぼちと取り組んでいて、そのお陰で体調は今のところ過不足のない状態を保っています。
そんな生活を続けていますが、たまには外に出ることもありますが、花粉症ですので、そんな時には常にマスクを着用しています。
河岸の記念碑 ↓
付近の猿渡(さわたり)川の岸辺に立っています。
篆字のタイトル書きは「皇恩祖繹」(こうおんそえき)とでも読むのでしょうか。
前内務大臣で男爵の山本達雄とあります。
碑文は当地とかかわりの深い前拓務参与官であり衆議院議員の武富齎のもので、昭和11(1936)年4月とあります。
この地は長年洪水被害が出ていて、それを防ぐための大規模な工事を当時の金で三十有余萬円掛けて三年がかりの工事で行ったということが平仮名の一切無い漢文でしたためられています。
浄福寺 ↓
「重原陣屋跡」とあります。江戸時代、三河国の刈谷藩で寛政の一揆(1790年)が興り、幕府から村替えの処分を受けてしまい、代わりにこの地を収めたのは奥州福島藩であり、重原村のこの地に陣屋を置いて治めたその跡となっています。
寺の鐘楼 ↓
境内 ↓
境内の柑橘 ↓
本堂の横にある柑橘の木に実がいっぱいなっていました。
ユキヤナギ ↓
道路わきで見たユキヤナギの花です。
ツグミ ↓
時折見かけたツグミも昨日・今日は見ていません。
サクラソウ ↓
いよいよ葉が伸びてきました。
福寿草 ↓
花が終わりに近づき、咲くものは随分小ぶりになっています。その代わり、葉がどんどん茂りつつあります。
ツクシ ↓
相変わらずぽつぽつと出てきています。
クルメツツジ ↓
挿し木をしていたクルメツツジですが、なんと!?挿し穂に花がついていました。花を咲かせた挿し穂は枯れてしまうのでしょうね。
前の投稿より大分経ってしまいましたが、身体の方は元気そのもので、”自粛”解除後の山歩きに備えて、毎日屋内でのトレーニングに励んで過ごしていることを報告しておきます。
トレーニングの中には電動ウォーキング機によるものもあり、これに乗って歩運びをしますが、壁に向き合っているばかりでは飽きますので、時折スマホから音楽を聴きながら”歩いて”いますが、やはり昔はやった演歌・流行歌を聴くことが中心になります。
ウォーキングが終わると、その時の体調によって、筋トレを取り入れたりしながら、ぼちぼちと取り組んでいて、そのお陰で体調は今のところ過不足のない状態を保っています。
そんな生活を続けていますが、たまには外に出ることもありますが、花粉症ですので、そんな時には常にマスクを着用しています。
河岸の記念碑 ↓
付近の猿渡(さわたり)川の岸辺に立っています。
篆字のタイトル書きは「皇恩祖繹」(こうおんそえき)とでも読むのでしょうか。
前内務大臣で男爵の山本達雄とあります。
碑文は当地とかかわりの深い前拓務参与官であり衆議院議員の武富齎のもので、昭和11(1936)年4月とあります。
この地は長年洪水被害が出ていて、それを防ぐための大規模な工事を当時の金で三十有余萬円掛けて三年がかりの工事で行ったということが平仮名の一切無い漢文でしたためられています。
浄福寺 ↓
「重原陣屋跡」とあります。江戸時代、三河国の刈谷藩で寛政の一揆(1790年)が興り、幕府から村替えの処分を受けてしまい、代わりにこの地を収めたのは奥州福島藩であり、重原村のこの地に陣屋を置いて治めたその跡となっています。
寺の鐘楼 ↓
境内 ↓
境内の柑橘 ↓
本堂の横にある柑橘の木に実がいっぱいなっていました。
ユキヤナギ ↓
道路わきで見たユキヤナギの花です。
ツグミ ↓
時折見かけたツグミも昨日・今日は見ていません。
サクラソウ ↓
いよいよ葉が伸びてきました。
福寿草 ↓
花が終わりに近づき、咲くものは随分小ぶりになっています。その代わり、葉がどんどん茂りつつあります。
ツクシ ↓
相変わらずぽつぽつと出てきています。
クルメツツジ ↓
挿し木をしていたクルメツツジですが、なんと!?挿し穂に花がついていました。花を咲かせた挿し穂は枯れてしまうのでしょうね。