この2ヶ月ほど、休日には2時間ほどヴァイオリンの練習をしている。
連続した2時間ではない。息子が習い事に行っている時間や、寝かしつけたあとの深夜に起きだしての継ぎはぎの2時間。
休日や、息子の就寝前に帰宅できた日は、寝かしつけは私の役目だ。このところは平日であっても午後8時過ぎに帰宅できる日が多く、土日を含めると週に5日くらいはこの就寝パターンとなっている。子どもと触れ合う大切な時間であり、これが習慣化しつつある。健康によいだろうし、年齢のせいでもあるのだろう。体が睡眠を求めている。自然、つい朝まで寝てしまいがち。深夜に起きだすのは少々つらいのだが。
ただ、グループレッスンで一番の下手っぴが、さらに足を引っ張るというのは心苦しい。継ぎはぎではあっても練習時間をどうにかして確保しなくてはいけないのだ。それに、仕事で起きだすことを考えれば、なんと幸福なことか。
そんな継ぎはぎ練習でも、楽器に触れる時間が多くなったことは意味が大きいようだ。なんだか少しだけ上達したような、そんな気になるときが2時間のうちに1回か2回かある。
「あっ、こうなのか」というような瞬間。
楽器が勝手に鳴っている、というと上級者のせりふみたい。弓に力を入れていないのに、力を入れているときよりも明らかにきれいに大きく響いてくれる。
スポーツでもしばしば感じることだけれど、力を抜くことで作用が円滑になる。
習い始めてもうすぐ間もなく丸3年、ヴァイオリンでは初めての感覚だ。
聴いている人がいないので自己満足なのだが、力が抜けることで音の響きだけでなく、演奏自体もスムーズに進んでいると思う。
ただし、力が抜けるのは、疲れたときや集中力が途切れたときなど、いつも無意識のとき。
意識して力を抜くことは、まだできない。意識して力を抜くこと、自然体でいることができるようになったら、どんな演奏ができるのだろうか。
さらには、力まずに子育てできたら、力まずに生きることができたら、すこぶる円滑な生活になるだろうに…。
「まだまだ修行が足りん」というのが、こんなブログを書いているオレの現状ですな。
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