アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

漂泊の思い止まず

2007-07-03 | Weblog
 空が、青さと高さを増してきた。澄んだ青色が、さらに高いところの、深い青色に吸い込まれるようにどんどんと遠ざかっていく。空が急速に高くなっていく。初夏は、そんな空色である。

 初夏は旅立ちの季節だ、と思っている。夏休みは、男の子が少年になり、少年が男になる季節だ。私は、少年期のこの季節の旅行が、いまでも「財産」である。

 「月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり」。芭蕉の気持ちがよく分かる。この季節、青い空を見ると抑え切れないものがある。いつも旅心が疼く。「われ漂泊の思い止まず」

 「漂泊」というのは、実に楽しいのだ。「漂泊」こそ最も正しい「旅」である。目的地はもちろんいい加減。朝起きたら空を見、雨模様だったら休む。晴れていたら動く。曇りだったら、晴れそうな方角に動く。疲れたら、そこにテントを張って休む。無理に「距離」を稼がない。「いい加減」とは「加減がいい」ということだ。



 芭蕉伝説には、幕府のスパイ説もあるが、社会的な仕事とは別に、あの言葉の表現を見ると、とにかく旅が好きな人だったんだなあと思う。



 私は、バイクツーリングが好きだった。バイク初体験は中2。友達から買ったCB50、値段は700円。高校1年の時にCB250セニアを買って、初めて北海道に出かけた。出発の際、自宅から出ようとすると母は止めた。が、私は我を通して出かけた。今でも脳に焼き付いている景色なのだが、あの時のバックミラーに、母が不安げに私を見つめる姿が立ち尽くしていた。

 結局、北海道上陸後、すぐに事故に遭い、現地で2ヶ月入院した。意識が戻って3日目、母と姉が来た。その後は、見舞いは誰も来なかった。当たり前だ。北海道だもの。夏の終わりに退院し、復学したがすぐに停学処分を食らった。バイクは禁止だった。

 その冬、簡裁で判事に説教された。同席した母が、悲しそうに肩をすぼめていたことがいまでも印象深い。

 社会人になってツーリングを再開して、北海道には結局、計7回行った。事故を起こした16歳のツーリングのとき、実は入院中に「海岸線を1周するまではやめない」と決めていたから、北海道に毎年夏に少しずつ通った。7回目でそれが終わったので、やめた。バックミラーに映った母の姿と、簡裁での母の姿が、その後の私の生活を事故なきものにしてくれたと思う。


 7年前に、「兄貴分」との付き合いで「兄貴分」がリーダーを務めるツーリングチームに参加してくれということで、佐渡に行ったのが最後。それ以来バイクにはまたがっていない。




 高校一年の北海道旅行は、男の子から少年になる時期の私にとって、短いながらも思い出深いものとなった。
 本当はカナダやアメリカの風景に憧れていた。が、資金的にあまりに遠すぎて、似た風景だと思って妥協したのが北海道だった。しかし、今は北海道でよかったと本当に痛感している。私が「少年」に変態できたのは、北海道での事故があったからこそだと思う。

 事故を担当してくれた保険屋の担当の方は警察OBのおじさんだった。私を「内地から来たやんちゃ小僧」と呼び、事故後はもとより学生時代まで援助をいただいた。東京の下宿には、その保険屋のおじさんから現金書留で仕送りが届いた。彼から北海道大に進むことを求められたが、私は東京に行ったのだが。

 また入院先の先生や、同室だった方たちも「内地から来た少年」と親切にしてくれた。同室の7歳上の人は、外出日に私を一緒に自宅まで連れて行ってくれて、家族みんな(大家族で10人くらいいた)でジンギスカンをやってくれた。別の人は息子がミュージシャンで、当時はかなり売れていたフォークシンガーの後ろでギターを弾いていた。夏休みということで里帰りして、病室でギターを弾いてくれた。

 当時の同室だった人とは今でも交流があり、彼らの前では、私は45歳を過ぎた今でも「内地から来たやんちゃな少年」なのである。



 16歳の旅の、一人きりの寂しさや不安は今でも鮮明に覚えている。未知への不安に対抗するには、幼すぎたし、経験値も低すぎた。だから、かんたんなケースで力んで事故った。「北海道ってやっぱり景色が本州じゃないや。遠いところに来ちゃったなあ」。そんな気持ちでいたら、事故になるのは必然だ。ただ、それでも、その不安や旅心が好きだったように思う。

 社会人になってからの北海道ツーリングは「達人」であったと自負している。同じところに何度も行ったのだから当たり前だ。しかし、はっきり言って、未知への恐怖もなく、興奮のない、癒し旅行だったとも思う。「少年」が「男」になるような緊張は味わえなかった。



 息子にも「漂泊」を経験してもらいたい。小さな「池」に住み「プール」に通っているような、そんな、いまの私のような男にはなってほしくない。営利組織の中、器のサイズに自分のサイズを合わせながら、組織に飼い慣らされているなんて…。自分の槐で自分の舟を漕いで、海を渡ってほしい。大洋に出れば漂泊は思いのままだろう。

 まずはこの夏、息子には、バイクとキャンプを教えたい。ピアノ? バイオリン? あとだ、あと。

 そのためにも、まずはお父さんがバイクを買わなくてはいけないのではないだろうか。中古で安いのがあるが、どうだろうか? お母さん。
 いや、無理にとは言わん。ダメならダメで仕方ないとは思うのだ。とりあえず、カタログをもらってきたので、テーブルの上に置いておきます。ご検討お願いします。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 息子の自立=俺の自由 | トップ | もうひとつの土曜日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事