両腕を大きく広げて泳ぐ姿に、正直なところ、面食らった。肩も若干、いかつい。
力強いじゃないか。
私の認識の中にいる息子の姿ではなかった。ぎこちないながらも、確かにバタフライだ。
25メートルを泳ぎきってプールから上がる息子の姿に、少しばかりの驚き、いや尊敬の念とも言える感情を禁じえなかった。
もはや「幼児」ではないのだ。
◇
26日、息子のスイミング教室の進級テスト。
記憶を整理してみると、スイミング教室に息子を送って行ったのは、震災前以来。1年以上のご無沙汰だ。
あくまでも生活のある側面だけを切り取っただけの話だが、震災から1年を経て、「日常」の一部は取り戻しつつある。
◇
ビート板を前に突き出して、水中をもがいていた姿は覚えている。
妻からは2ヶ月ほど前に「バタフライの練習に入った」と、確かに聞いてはいた。が、私の認識が追い付いていっていなかった。
クロールや平泳ぎを省いて、ビート板からいきなりバタフライに跳んでいた。
◇
「追い付いていけないぞ」。プールサイドを歩いていく息子の背中に、言葉を送った。
◇
親は、子どもに追い付くことはできない。
ただ、子どもの成長にばかり目を奪われていないで、自分の人生を、自分も輝くように生きていけばよい。
肩幅が広くなった息子の後姿が、サウナ室に消えていった。
◇
とっ、「バッシャー」。
いきなり、大きな水しぶきの音。
次のプログラム、中学男子。5人の中学生がいっせいに飛び込んだ。
「あと5~6年で、こんな風になっちゃうの?」。愛らしさ、ゼロですな。
しかし、息子が幼いころはビート板の子どもたちを注視して、競技コースの子どもたちには興味がまったくわかなかったはずなのに、自分の子どもが成長してくると、力強く泳ぐ競技選手たちのレースに興味が引かれ、ビート板の子どもたちのレースを「早く終わらないかなぁ」と見ていた。
親って、子ども以上に現金なものですなぁ。
ともかく、ジュニア6級合格。
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