このところ、子どものいじめのニュースがまた増えてきた。テレビでは教育委員会や学校の長が頭を下げている映像をよく見かける。
確かに、いじめを見つけられなかったり、ましてや見て見ぬふりをしていた学校などは糾弾されるべきだ。
ただ、いつも思うのだが、なんで学校ばかりを糾弾しているのだろうか。直接的な加害者であるいじめの実行者、さらにその親の方がまず責められるべきではないだろうか。
また、いじめを受けていた子どもの親だって、見つけられなかった、見過ごしてきたという責任も多少なりともあるのではないだろうか。
かつて傍聴したいじめが原因で自殺した子どもにかかわる民事裁判では、学校の管理者である自治体、いじめの実行者の親に加えて、いじめの事実を把握していながら被害者の不登校を許さなかった家族にも責任を認定した。自殺を最終的に決意させたのは家族が救いの手を差し伸べなかったこともあるのではないかと言及した。
原発事故による自主避難で避難先でいじめられている子どものケースなどが表に出始めてきているが、この6年間、親はいじめが起きる可能性を考えもしなかったのかと疑問に思う。身内にも避難生活を続けている人がいる。確かに避難生活は大変だ。しかし、子どもに勝る大事などあるのだろうか。
ともかく、学校や教育委員会に頭を下げさせているばかりのニュースに違和感を覚える。
確かに、いじめを見つけられなかったり、ましてや見て見ぬふりをしていた学校などは糾弾されるべきだ。
ただ、いつも思うのだが、なんで学校ばかりを糾弾しているのだろうか。直接的な加害者であるいじめの実行者、さらにその親の方がまず責められるべきではないだろうか。
また、いじめを受けていた子どもの親だって、見つけられなかった、見過ごしてきたという責任も多少なりともあるのではないだろうか。
かつて傍聴したいじめが原因で自殺した子どもにかかわる民事裁判では、学校の管理者である自治体、いじめの実行者の親に加えて、いじめの事実を把握していながら被害者の不登校を許さなかった家族にも責任を認定した。自殺を最終的に決意させたのは家族が救いの手を差し伸べなかったこともあるのではないかと言及した。
原発事故による自主避難で避難先でいじめられている子どものケースなどが表に出始めてきているが、この6年間、親はいじめが起きる可能性を考えもしなかったのかと疑問に思う。身内にも避難生活を続けている人がいる。確かに避難生活は大変だ。しかし、子どもに勝る大事などあるのだろうか。
ともかく、学校や教育委員会に頭を下げさせているばかりのニュースに違和感を覚える。
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