ひよりみ日記

セルロイド人形ミーコと
ネコのおまけとヨモコと
飼い主セルやの日常

セルロイド・ドリーム(HP)

立石の思い出・5

2008-06-07 22:50:20 | Weblog
アメリカに輸出出来なくなり大手メーカーがセルロイドをやめても、
小さな町工場ではセルロイド玩具を作り続けていました。
蔵前の玩具問屋・三村商店は縁日物玩具を卸していて、
人形、お面、ハッカパイプなどのセルロイド玩具を取り扱っていました。
三村商店との取引が増えると立石の家は手狭になり、
昭和30年の春、足立区大谷田に引っ越しました。
通いのプレス職人2人と女工さんを4~5人雇い、仕事を始めました。
セルロイドの人形とお面は作るそばから飛ぶように売れて、
当時、高価だったテレビを現金で購入するほど儲かりました。

私は足立区の家から葛飾区の小学校に通学していました。
バス通学から自転車通学に変えて間もないある日、
帰り道には遠回りになる立石大通りを通りました。
遠回りしたわけはバスの運転手を気取って、
自転車でバスの路線を走ってみようと思ったからです。
立石仲見世商店街の停留所に来るとバスが止まっていたので、
バスの横を通り抜けようと道路の真ん中に出たところ、
トラックが私を追い越して行きました。
自転車の私はトラックの風圧でよろめいて転倒し、
道路に投げ出されてバスの下に転がりました。
右足に激しい痛みを感じると同時に気を失いました。

気が付いたときは病院のベッドの上で、
右足はギブスで固定されていました。
夜、右足の足首を骨折した私を、
父がオート三輪で迎えに来てくれました。
足の骨折が治ると足立区の小学校に転校しました。
子供の時の古傷が今も影響して私は正座が苦手です。
(おわり)
コメント (1)
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