昨日、文部科学省にいじめを受けているという子から手紙が届いたというので、緊急通達で心当たりの学校は対処するように指示があったそうです。
教育長や校長、担任、クラスのみんな、その保護者、そして両親宛てに、いじめに苦しんでいて自殺を予告する内容が書かれていました。
それだけの行動を起こす子だったら、もうちょっと考えて欲しいです。
死んで恨みをはらして何になるの?
いじめをしたり、いじめを見逃したりするような人たちのために、自分の命を引き換えにしていいの?
あなたはそんな人たちのために生まれてきたんじゃないでしょ。
一番悲しむのはあなたの両親です。いままでどんなに苦労して育ててきたことか。
それにあなたには、これからすばらしい未来があるでしょ。
今は苦しくてもそれが永遠に続くことはないし、どうしても我慢ができなければ、学校へ行かなければいい。
命を引き換えにしてまで行くところではないし、勉強は自分でもできます。
私も若い頃、自分に自信が持てず、苦しいことがあったら、死んだほうが楽じゃないかなとよく思っていました。
でも自分が死んだ後、母親がどんなに悲しむだろうと思うと、それは出来ませんでした。自分は死んでしまったら終わりだけど、親は一生苦しむだろうなと思ったんです。
あるとき、友達から大学のサークルに連れていかれ、そこで「十界」の話を聞きました。
人は死んでから地獄か天国に行くと思っていましたが、それは死んでから行くものではなく、生きている自分の心に中にあるというのです。
その話を聞いて、始めて自分の心がわかったような気がしました。それからは、どんなに辛いときでも、次にはきっといいことがある、今我慢すれば、後で楽になれる、と思えるようになりました。
十界とは、「地獄界・畜生界・餓鬼界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」です。人が普通に生活しているとき、常に(地獄・畜生・餓鬼・修羅・人・天)のどれかの状態です。これを六道(ろくどう)輪廻(りんね)といい、単に人が起きて、食べて、寝てという基本的な生活をしているときに起こる感情です。
たとえば、学校で人間関係でうまくいかず、もう死んでしまいたいと思うようなとき、あなたは地獄界にいます。人を恨んだり憎んだりしているあなたの心を鏡に写せば、まさに修羅の状態でしょう。でもそのときもし宝くじが当たったら、一瞬にして天国(天界)にいる心地になるでしょう。また空腹で人の食べ物をうばおうと思うと餓鬼界に、でも満腹になればそんなことを忘れて、人界にいます。私たちの心は、回りの状況次第で刻一刻と変わります。六道の世界の中で、右往左往しているのです。
しかし、声聞界からは、自分の意志が強く働かないと生じません。誰かの話を聞きたい、勉強をしたいというのが〈声聞界〉です。その得た知識を生かして、自分でやってみることで理解するのが〈縁覚界〉になります。そして自分のことより他人のために何かをしてあげたいと考えることが〈菩薩界〉。そして一番奥の奥に仏さまのような心〈仏界〉があります。
どんな人の心の中にも、十界は存在するのです。ただ、どの世界に捉われているかということです。せっかく菩薩界、仏界を持っているのに、六道の影に隠れてしまってそのことに気づかないのです。
今、死にたいと思っている人は、心が地獄界でいっぱいになっています。
でもちょっと見方をかえれば、それはすぐ変わるのです。
いじわるなことを言う人には、「あの人は修羅界にいるんだ」、かわいそうな人だなぁと思えばいいんです。
若い頃の苦労は買ってでもしろ!といいます。後になれば、良い経験をしたと思えるかもしれません。
だから、決して自殺はしないでください。
人に左右されず、自分の人生を大事にして、より高いところを目指し、自分の手で幸せをつかんでください。
教育長や校長、担任、クラスのみんな、その保護者、そして両親宛てに、いじめに苦しんでいて自殺を予告する内容が書かれていました。
それだけの行動を起こす子だったら、もうちょっと考えて欲しいです。
死んで恨みをはらして何になるの?
いじめをしたり、いじめを見逃したりするような人たちのために、自分の命を引き換えにしていいの?
あなたはそんな人たちのために生まれてきたんじゃないでしょ。
一番悲しむのはあなたの両親です。いままでどんなに苦労して育ててきたことか。
それにあなたには、これからすばらしい未来があるでしょ。
今は苦しくてもそれが永遠に続くことはないし、どうしても我慢ができなければ、学校へ行かなければいい。
命を引き換えにしてまで行くところではないし、勉強は自分でもできます。
私も若い頃、自分に自信が持てず、苦しいことがあったら、死んだほうが楽じゃないかなとよく思っていました。
でも自分が死んだ後、母親がどんなに悲しむだろうと思うと、それは出来ませんでした。自分は死んでしまったら終わりだけど、親は一生苦しむだろうなと思ったんです。
あるとき、友達から大学のサークルに連れていかれ、そこで「十界」の話を聞きました。
人は死んでから地獄か天国に行くと思っていましたが、それは死んでから行くものではなく、生きている自分の心に中にあるというのです。
その話を聞いて、始めて自分の心がわかったような気がしました。それからは、どんなに辛いときでも、次にはきっといいことがある、今我慢すれば、後で楽になれる、と思えるようになりました。
十界とは、「地獄界・畜生界・餓鬼界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」です。人が普通に生活しているとき、常に(地獄・畜生・餓鬼・修羅・人・天)のどれかの状態です。これを六道(ろくどう)輪廻(りんね)といい、単に人が起きて、食べて、寝てという基本的な生活をしているときに起こる感情です。
たとえば、学校で人間関係でうまくいかず、もう死んでしまいたいと思うようなとき、あなたは地獄界にいます。人を恨んだり憎んだりしているあなたの心を鏡に写せば、まさに修羅の状態でしょう。でもそのときもし宝くじが当たったら、一瞬にして天国(天界)にいる心地になるでしょう。また空腹で人の食べ物をうばおうと思うと餓鬼界に、でも満腹になればそんなことを忘れて、人界にいます。私たちの心は、回りの状況次第で刻一刻と変わります。六道の世界の中で、右往左往しているのです。
しかし、声聞界からは、自分の意志が強く働かないと生じません。誰かの話を聞きたい、勉強をしたいというのが〈声聞界〉です。その得た知識を生かして、自分でやってみることで理解するのが〈縁覚界〉になります。そして自分のことより他人のために何かをしてあげたいと考えることが〈菩薩界〉。そして一番奥の奥に仏さまのような心〈仏界〉があります。
どんな人の心の中にも、十界は存在するのです。ただ、どの世界に捉われているかということです。せっかく菩薩界、仏界を持っているのに、六道の影に隠れてしまってそのことに気づかないのです。
今、死にたいと思っている人は、心が地獄界でいっぱいになっています。
でもちょっと見方をかえれば、それはすぐ変わるのです。
いじわるなことを言う人には、「あの人は修羅界にいるんだ」、かわいそうな人だなぁと思えばいいんです。
若い頃の苦労は買ってでもしろ!といいます。後になれば、良い経験をしたと思えるかもしれません。
だから、決して自殺はしないでください。
人に左右されず、自分の人生を大事にして、より高いところを目指し、自分の手で幸せをつかんでください。