金曜日「昼なんじゃけん761」の午後2時台は、厳島随筆家の舩附洋子さんとお電話をつないで、「舩附洋子の宮島講座」をお届けしています。
今日は、雪降る宮島というテーマで朗読をしていただきました。
金曜日「昼なんじゃけん761」の午後2時台は、厳島随筆家の舩附洋子さんとお電話をつないで、「舩附洋子の宮島講座」をお届けしています。
今日は、雪降る宮島というテーマで朗読をしていただきました。
金曜午後二時台の「舩附洋子の宮島講座」
知られざる宮島の秘話を厳島随筆家の舩附洋子さんにお話いただいています。
現在の8代目の大鳥居は建立されてから約140年。70年ぶりの大修理が行われています。修理終了は2023年春あたりまでだそうです。
奈良の大仏さんほどの高さの大鳥居の中央にある扁額は縦2m.横1.2m。
畳一畳分の大きさと同じくらい。
大鳥居を見ることができなくて残念な方もいらっしゃるでしょうが、修理中だからこそ見ることができる扁額をよ〰くみてみてください。
厳島神社と書いてある扁額の左には登り龍、右には下り龍。神門、宝珠を確かめることができます。
今はどの、観光地も賑わってます。
地元広島の人こそ、人が少ない時間を利用して広島の観光地を訪れることができますね。
払殿に飾られている扁額を、間近で眺め、後世に伝えていってくださいね。
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昨年リニューアルオープンした広島平和記念資料館本館の展示は、「被爆の実相」が全体のテーマで、
「8月6日の惨状」「放射線による被害」「魂の叫び」「生きる」の4つのコーナーで構成されています。
「魂の叫び」のコーナーには、原爆で亡くなった厳島随筆家の舩附さんのおじ様の写真と遺品が展示されています。
先週の「昼なんじゃけん761」の番組の中では、舩附さん作の「のこぎり」という詩を朗読させていただきました。
宮島の家を出て横川駅の梁に挟まれて身動きがとれないまま15歳で命を落とした木島和雄さん(舩附さんの叔父さま)の定期入れが展示されています。
助けようとした警察官に「ありがとうございました。これを宮島の家の者に渡してください」と託した最期が紹介されているということです。
平和記念資料館を訪れる際は、確認してみてくださいね。
毎週金曜午後2時台は、厳島随筆家舩附洋子さんに「知られざる宮島」というテーマで
お話しいただいています。今月は、「平和」というサブテーマで。
原爆で被爆したひとりの俳優が、原爆投下の10日後に宮島で亡くなっています。
その俳優とは、丸山定夫という方。
移動劇団で活動し、昭和20年冬、広島市内で活動、6月には堀川町に落ち着いてらしたとのこと。
丸山定夫さんの劇団もそろそろ宮島に疎開しようとしていた矢先の8月6日に原爆が
落とされました。家屋の下敷きになった定夫はやっと抜け出す。
定夫は、宮島の存光寺に連れていかれました。
が、16日の送り盆の夜、息をひきとります。
「こんなことで負けるか」と言っていた定夫には無念の死でした。
船附さんの著書 厳島新絵図に詳しく書かれていますので読んでみてくださいね。
名優 丸山定夫に捧げる「鬼瓦」という詩も掲載されています。
来週は、久しぶりに宮島で仕事があります。楽しみです。
📘7日間ブックカバーチャレンジ📘
🍀読書文化の普及に貢献するため、好きな本を1日1冊、連続7日間投稿する企画🍀
💖💖
DAY7
「宇野千代 女の一生」
by 宇野千代
小林庸浩 ほか
💖💖
宇野千代が愛したもの、人、生き方がよくわかる本。宇野千代は、お隣の山口県岩国出身で、桜を愛し、故郷を愛し、モダンな着物デザイナーとしても活躍した作家。
最終日なので、長めに、そして、宮島と関連付けて。
以前も紹介したことありますが。。
金曜2時台に、「宮島を愛した人」ということで📻で厳島随筆家舩附さんにお伝えいただいたエピソードをご紹介します。
戦前、宇野千代と恋人の洋画家東郷青児は広島に滞在していた時期があり、その頃、頻繁に宮島を訪れていました。お二人の宮島でのツーショットの写真を舩附さんは、ご覧になったことがあるそうです。
当時、まだ、売れていない恋人の東郷青児の絵を宇野千代は広島市内で売っていました。今でも、東郷青児の絵入りの包装紙を使っているお店が広島市内にあるそうです。
「尽くす女」宇野千代さんらしい恋愛です。
美男美女のお二人の当時の写真(宮島ではないですが)も、この本の中にもあります。
この本、私はなぜか二冊ももっていたので、宇野千代ファンの舩附さんに一冊は差し上げました。
*ブックカバーチャレンジ・ルール
①本についての説明はナシで表紙画像だけアップ。
&その都度1人のFB友達を招待し、企画参加をお願いする。
②スルーOK&次の人を指名するかどうかも気分次第で
「舩附洋子の宮島講座
〰知られざる宮島〰」
厳島随筆家の舩附洋子さんとお電話を繋ぎました。
今回は、「宮島を愛した人」というタイトルでお話しいただきました。
数々の文豪が宮島を訪れています。種田山頭火、正岡子規などなど。
昨日は、私と舩附さんが共通してファンの宇野千代について。宇野千代は、岩国出身、桜を愛し、故郷を愛し、恋多き女性。
戦前、宇野千代と恋人の洋画家東郷青児は広島に滞在していた時期があり、その頃頻繁に宮島を訪れていました。お二人のツーショットの写真を舩附さんは、ご覧になったことがあるそうです。
当時、まだ、売れていない東郷青児の絵を宇野千代は広島市内で売っていました。今でも、東郷青児の絵入りの包装紙を使っているお店が広島市内にあるそうです。
「尽くす女」宇野千代さんらしい恋愛です。
美男美女です。写真は宮島での写真ではなく、私の持ってる本の中にあった宇野千代と東郷青児の写真。
🍀GWは、私は、毎年東京に行き、鎌倉の大仏さんをみて、美術館にいって。。新宿の東郷青児美術館、来年は行けるかな〰🍀
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毎週金曜午後二時から厳島随筆家の舩附洋子さんとお届けしています「舩附洋子の宮島講座」
先日の金曜は平清盛についてでした。
源平合戦の最後の戦いとなった1185年壇之浦の戦いで平家は源氏に敗れました。
清盛の妻の時子は、三種の神器とともに安徳天皇を抱いて
「波の下も都ぞ」と言って海に身を投げました。その亡骸は宮島に流れ着いたといわれています。
流れ着いた場所は、現在の二位殿灯篭のところではなく、要害山の下だそうです。
気候も良くなってきましたので、宮島有の浦の二位殿灯籠、宮島歴史民俗資料館を訪れて
平清盛と妻の時子に思いを馳せてみてくださいね。
平和記念資料館から宇佐川弘子さんをお迎えしました。
原爆で亡くなった舩附さんの叔父様のお話を届けていただきました。
原爆が落ちた8月6日の午前中は 宮島の人は広島に原爆が落ちたことがわからなかったそうです。
大きな音がしたので宮島包みが浦の弾薬庫が爆発したかと宮島の人は思ったそう。
午後になって負傷して宮島に帰ってきた人の姿を見て、そして 広島方面が真っ赤に燃えているのを見て、
広島に原爆が落ちたことを知ったそうです。
宇佐川さんも舩附さんも戦争も原爆も知らない世代。
戦争を実際に体験している人がどんどん少なくなっていく時代だからと、
宇佐川さんは毎週月曜は、平和記念資料館でピースボランティアを そして その他の日は平和学習講座の講師として
学校等に出向き、子供たちにお話しをされています。
舩附さんは亡くなった叔父様のことを「のこぎり」という詩に書いていらっしゃいます。
お二人の共通の思いは「広島に育った子供たちに思いを受け継いでいきたい。次世代に託していきたい。」ということ。
「いってらっしゃい。」を 広島弁では「いって帰りんさい。」と言います。
原爆が落ちた日、「行って帰ってくること」ができなかった多くの方がいらっしゃるということを風化させないために、
私もできることを続けていきたいと思います。
毎週金曜の午後2時台は、厳島随筆家の舩附洋子さんと『知られざる宮島』というテーマでお届けしています。
来週の金曜は、先日の平和交流会で講義していただきました平和記念資料館から宇佐川弘子さんをお迎えします。被爆された舩附さんの叔父さまのお話し、また、宮島から見たきのこ雲というテーマでお届けいたしましす。
日清戦争、日露戦争の時、宇品港に来た兵士が厳島神社に勝利祈願のお参りにいき、
帰国後勝利の報告に再度厳島神社をお礼参りで訪れ、宮島の杓子を買い、それをそれぞれの故郷に
持ち帰ったことで宮島の杓子が全国に広まりました。
宮島で今杓子を作っている人は、小田さんという方と藤井さんという方だそうです。
「舩附洋子の宮島講座」
宮島を訪れた偉人シリーズ。今日は、ヘレンケラーでした。
1937年、1948年、1955年の三回、日本を訪れているヘレンケラーは、
1937年と1948年に宮島を訪れています。
1948年には、恩師のサリバン先生の偉大な業績をたたえ、厳島神社の灯篭に献灯供養のために宮島を訪れました。宮島小学校の生徒たちは、「ヘレンケラーの唄」を歌って迎えたそうです。1948年の滞在時に中国新聞に取材を受け、掲載された写真の中でヘレンケラーが触っていた灯篭がその後ヘレンケラー灯篭とよばれるようになりました。
この少し角がかけている灯篭です。
小学生の時ヘレンケラーの伝記はよく読みましたが、
今回こんな言葉に出会いました。
「障害とは、目が見えないことではありません。見えない人に対する見える人の態度こそが障害なのです。」
国重要文化財の大鳥居の修理が来月3日からです。
7月下旬以降 工事が本格化。気になる7月19日の管弦祭と8月下旬の花火大会には配慮しながら
工事は進んでいくようです。
「昭和の大修理」以降、約70年ぶりの「令和元年」の大規模な工事となります。
工事の期間中の大鳥居の様子も写真におさめ、後の世代の人に伝えていきたいですね。
今回は宮島の鹿についてもお話しいただきました。
約6000年前、宮島がまだ本土と陸続きだったころから鹿は宮島にいました。
江戸時代から人間と鹿は共生しています。
絶対にゴミやお弁当などを餌として与えないでくださいね。
その鹿が来月再来月あたり、人の目につかない山の中で出産。
万が一出産シーンに出くわしてもそ~っとしておいてくださいね。
来月出産時期ということは、今、宮島では、出産前のお腹が大きい妊娠中のママ鹿に出会えます。
緑あふれるこの時期、宮島での~んびり鹿を観察してみるのもいいですね。