日本人の食生活に欠かすことのできない「杓子」の発祥についてお伝えしました。
広島県廿日市市の宮島が発祥なんです。江戸時代(1700年代後半)に誓真という僧が考案。
誓真さんは、厳島弁財天の琵琶の形をヒントに杓子を考案しました。この弁財天は、唯一の女神で学問、豊穣繁栄、勝負事の神様としても崇められています。また、宮島杓子は、宮島の神木から作られ、お米が付きにくく、木の匂いもご飯に移らないし、熱によっても変形しない杓子として高く評価されています。
また、誓真という人ですが、杓子を作る以外に島民に寄り添って多くのことをしました。
宮島の道、石段、石畳を手がけたり、井戸を掘ったり、と今でいう宮島のインフラ整備に貢献。
誓真さんが堀った井戸は10個あり、そのうち4つの井戸が今も残っていて「誓真釣井」と人々によばれています。
当時から、宮島自体は、島自体が神聖だとされているので、宮島に井戸を掘ることをよく思わない人もいたそうなのですが、誓真さんは飲料水に困る島民のために井戸を掘ったんです。
ところで、宮島の杓子というと、観光土産として人気はもちろん、「敵を召し取る、幸せを召し取る」意味から
高校野球の応援などでも知られます。宮島の杓子が広く世間に知られるようになったのは、日清戦争(1894年)の時。
全国から招集された兵隊が、宇品港から出征する際、「敵を召し取る」とばかりに杓子に自分の名を書いて、
厳島神社に奉納し、勝利の記念に故郷への土産に持ち帰ったからです。
「幸せを召し取る」と縁起がいい杓子としても知られる宮島杓子。
コロナ前は広島、宮島の結婚御披露宴のファーストバイトのセレモニーでは、杓子を使うカップルもいました。
結婚御披露宴の形は変わっていくでしょうが、何かしらの形で杓子を使うファーストバイト、ラストバイト
(新郎新婦から親へ)が受け継がれていくといいですね。
さて、誓真さんの石碑は、宮島の見晴らしのいいスポットとしても有名な光明院にあります。
そこは誓真さんが修行をしたお寺でもあります。1800年に誓真さんが亡くなり、1900年に偲ぶ会ができ、碑が建てられることが決まり、でもその後戦争があり、実際に建立されたのは1937年。
暖かくなったら、是非、訪れてみてくださいね。
五重塔近くです。
誰もがそれぞれの持ち味を生かして自分らしく生きられたら。。
「幸せ」を毎日感じ、笑顔で。。
司会者、フリーアナウンサー 岡千恵 (peraichi.com)