先月、第31回谷本清平和賞を受賞されたピアノ調律師の矢川光則さんがゲストでした。矢川さんのご両親は、広島で被爆。矢川さんは、被爆ピアノを使った平和コンサートを通じ、世界平和の大切さを伝える活動を続けて20年ということです。
2017年にはノーベル平和賞の記念コンサートの会場にも被爆ピアノを運び、世界の人々の前で被爆ピアノが演奏されました。
来年5月には、矢川さんをモデルにした映画「おかあさんの被爆ピアノ」が広島で全国に先駆けて上映されます。
「被爆ピアノを通して今後も平和の種まきをしていきたい。」と矢川さん。
秋分の日の今日の午前中は、英語教室の生徒を連れて平和公園へ行ってきました。
将来、英語で広島の案内ができるようになりたい!と英語の勉強のモチベーションアップに繋がれば嬉しいです。
【写真】
1.原爆の子の像
2.銀杏の実がたくさんなっているイチョウの葉
3.ハス池
被曝した人の中には火傷の痛みにたえかね、蓮の葉で傷をおおった人もいたと言われています。
4.アメリカフウの木
廿日市国際交流協会の活動で AFSの留学生の平和集会のお手伝いにいってまいりました。ハンガリー、コスタリカ、アルゼンチンと様々な国の高校生と交流をさせていただきました。いつも学びの時間をありがとうございます。
継続は力なり。私も自分に出来ることを少しずつでも続けていきたいです。
今年は原爆資料館がリニューアルしました。
どういうふうにリニューアルするか、どんな構造にするかなど9年かけて構想が重ねられ完成したといわれています。
以前の原爆資料館より 原爆で犠牲になった方の人生に焦点が絞られているように感じます。
核実験で初めて死者がでたのは、原爆投下後9年の1954年、マーシャル諸島ビキニ環礁の水爆実験。
核実験が危険なのがわかっていながら、それでも核実験が減っていないのが原爆資料館に行くとよくわかります。
今年の原爆の日は、夕方から平和公園にでかけました。
折り鶴は全て生き返っています。折り鶴の再生紙は広島市内の幼稚園小学校中学校高校の卒業証書に使われています。
また原爆資料館東館2階のフロアーのパネル版も再生紙。
よ~くみるとピンクの点々がみえます。
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今年も、平和交流会の司会を日本語と英語で担当させていただきました。昨年より、リラックスして取り組めました。日頃一緒に学ばせて頂いている廿日市国際交流協会の通訳ボランティアのメンバーの皆さんに感謝です。
午前中は、平和記念資料館の宇佐川弘子さんの平和学習講座、午後は被爆者の佐藤廣枝さんによる被爆証言でした。最後に4グループに分かれ、「広島で何を学び、感じてこれからどのような平和行動ができるか」というテーマでディスカッションを一時間していただきました。
多くの留学生が、学校ではデータや数字しか教わらなかったので、広島で何が起こったのか、被爆者の方が憎しみを超えて次世代の人たちにもう二度と同じ経験をして欲しくないという気持ちで前に進んでらっしゃるというのをきくことができて良かったという感想でした。
おじいちゃん世代の人は、日本に憎しみをもってると中国、マレーシアの学生。
中国とデンマークの学生は、今回広島に来ることを家族に話すと「放射能は大丈夫なのか。広島の街は復興してるかと心配された。」と言われたそうです。
知らないことはまだまだたくさんあり、毎年多くのことを学ばせていただいています。今日学ばせていただいたことは、また、fm はつかいちの番組、私のChie blogで共有いたしますね。
けん玉ワールドカップ、平和交流会が無事終わりほっ。
日本語と英語が話せる司会の仕事が増えるといいなぁ。。
爆心地から3km以内で原子爆弾の爆風、熱線、放射能等により被害をうけたピアノのことを
「被爆ピアノ」といいます。
被爆2世である広島の調律師、矢川ピアノ工房の矢川光則さんは被爆ピアノを修復し、
自ら4トントラックを運転して 日本全国、海外で「平和の種まき活動」をされています。
その矢川さんが今日のゲストでした。
矢川さんの実話から着想を得たオリジナル映画「お母さんの被爆ピアノ」についてお話を伺いました。
いよいよ5月末に 映画の撮影が始まり、来年の初夏上映です。
「この映画は 被爆ピアノに心動かされる女の子の視点が加わった未来志向の映画。」と矢川さん。
その女の子の役はAKB48の武藤十夢さんということでも注目されていますので
多くの若者が観てくれるといいですね。
昨年お亡くなりになった大杉蓮さんの遺志をついで 佐野史郎さんが演じる矢川さんの役も楽しみです。
ロケはまずは原爆ドームの前から始まり、7割が広島ロケということです。
お好み焼き屋さんもでてくるそうですよ。
今日は、広島YMCAで開催された講演会を聴きに行ってまいりました。
第一部は ICAN国際運営委員・ピースボート共同代表の川崎哲さんによる
「2020年に向けて~核兵器はなくせる?!」という講演会。
そして 第二部は 被爆者と元ユース非核特使の若者3名によるパネルディスカッションでした。
第一部と二部の司会とコーディネーターを務められた安藤真子さんは
広島女学院高校在学中から平和活動をはじめ、「核廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」第4期代表でもある方。昨年は外務省非核ユース特使としてピースボートに乗られました。
「被爆者の生の声をきける最後の世代」と言われて育ち 今までも多くの被爆者に会いお話しをきいてこられた
安藤さんですが 実際は戦争を体験していないから被爆者の辛さは想像することしかできないと
いうジレンマに悩んでこられたようです。
それでも一生懸命自分ができること。自分の世代だからこそできることを信じ、
向き合っていらっしゃる彼女の姿に感銘をうけました。素晴らしい司会とコーディネートでした。
貴重な機会をどうもありがとうございました。
今日は 雲一つない青空が広がっていました。
平和公園の梅の花もほぼ満開でした。
今日は 「サーロー節子氏特別講演会 キリスト教主義女子教育と平和
~私が受け取ったもの、あなたに託したいもの~」が 広島女学院大学で開催されました。
このお話しはどうしてもお聞きしたいと思っていましたので 私も申し込み開始と同時に申し込んで
いってまいりました。1100名以上の方がお集まりでした。
外国の地で核廃絶を訴えてきたサーロー節子さんは、広島女学院高等女学校二年生の時に被爆。
当時のクラスメイトはほぼ全滅。失われた351名のひとつひとつの尊い命の意味を伝えるために
同窓生が作った351名の名前が書かれた黄色い布をもって世界をまわられています。
原爆にまつわる自身の経験を英語で伝える証言活動を長年続け、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が
2007年に発足した時から ICANの顔として国際会議や国連で被爆者として体験を語ってこられました。
2017年7月7日の国連本部での核兵器禁止条約採択に貢献。
同年12月ICANのノーベル平和賞授賞式で受賞演説をされました。
今日の講演の中で サーローさんご自身がご家族を原爆で亡くされた経験をお話しになった場面では私も涙がとまらなくなりました。今回の広島訪問でサーローさんは広島市長に核兵器禁止条約への署名と批准を進めるようにも求められ、その際のエピソードなども今日お話しになりました。
7月7日の核兵器禁止条約の採択が「核兵器の終わりの始まり」。
やっと最初の一歩で まだまだしないといけないことはありますが希望と勇気を粘り強くもっといきましょう。と強いメッセージを送っていただきました。
サーローさんは被爆して意識が戻ったとき、左肩を人に触られ、「あきらめるな。踏ん張れ。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう?そこに向かって這っていきなさい。」と言われたとノーベル平和賞授賞式のスピーチの中でもおっしゃっていましたが その言葉にその後のサーローさんの行動力の原点があるのですね。
今日の講演会では日頃お世話になっている廿日市国際交流協会通訳ボランティアの方のお顔、
今年のホームカミングデー実行委員の先輩方のお顔がたくさんありました。
サーローさんは 「声」を発信することが大事ともおっしゃっていました。
「声」でお仕事をしている私、平和ボケ、幸せボケをしている自分を客観視し 身が引き締まる思いでした。
無事 平和公園碑めぐり終了しました。
いざとなると覚えたはずの案内がでてこず かなり緊張しましたが いい勉強をさせていただきましたし、
いい今年の夏の思い出になりました。
中学生の時も碑めぐり案内してましたがあれはどうやってやってたのかな~??
午後はアステールプラザで山中えみこさんの被爆証言を留学生とおききしました。
「海より大きいものは空。空より大きいものは宇宙。宇宙より大きいものは人の心。一番小さいのも人の心」
「学びは光。無知は悲劇。」という山中さんのメッセージが印象に残りました。
先週の留学生は大学生でしたが今週は高校生でした。学生と同じ目線で考える機会を与えていただきました。
ありがとうございました。
73回目の原爆の日。
原爆死没者名簿には新たに名前が加えられ 31万4118人の名前が現在記入されているということです。
平和の灯火の火は 世界中から核兵器がなくなるまで燃やし続けられます。
来週の留学生への碑めぐり案内がんばります。