1995.1.17 Am 5:46
激震が走り抜けた連休明けの寒い朝から23年
わが町神戸でも多くの尊い命が失われ
家族や住処を奪われた人々が悲しみのどん底に落とされました。
各地でイベントが行われています。
私自身体調も弱まり、出歩くこともままならなくなりましたが
夕刻には近隣の鎮魂イベントに出向いて黙祷を捧げてきます。
私の自宅も震度7の直撃を受けて全壊状態になり
建物が倒壊する物音、そしてガス漏れの匂い
四方で火の手も上がりましたが
幸いにも家族は無事でした。
しかし、現在でもあの日の恐怖は
身に沁みついてしまって
小さな揺れや響く物音に緊張が走る
そんな PTSDは現在でも消えることがありません。
あの日生まれた人もすでに立派な社会人に育ち
神戸市民の半数近くが地震を知らない住民に移り変わりました。
街並みも立派に復興して震災の影も見えなくなりました。
しかし、繰り返されるであろう悲劇を最小限にするためにも
次なる災害への備えは進めてもらわなくてはなりません。
極寒の中で見知らぬ人たちと、わずかな食べ物を分け合い、
声を掛け合い、助け合い、励まし合う …
あの時の純粋な心ほど尊いものはありませんでした。
私はそんな神戸の人々の真心を誇りに思っています。
そして、神戸が大好きです。
神戸市歌 【YOUTUBEより】
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今朝、10時過ぎに携帯の緊急メールのアラームが鳴り響きました。
PTSDが発動して激しく驚いたものの何事もありませんでした。
ネットによりますと、
「緊急速報」を装った悪質な迷惑メールがあるそうです。
迷惑千万、不届き者め、ふざけるな!
と叫びたくなります。