港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『12月5日』その1

2019-12-04 21:23:22 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フリッツ・ラング Fritz Lang (1890.12.05~1976.8.02)



サイレント期に芸術価値の極めて高い表現派として数々の秀作を残したドイツの映画監督です。
ウィーンに生まれ、ウィーンの美術学校や科学技術学校で学び、ミュンヘンに出て建築家を志して大学に進学しましたが、絵画
など美術方面に興味を抱くようになりました。第一次大戦に出兵し負傷して病院で治療していた時に短編ストーリーやシナリオを
執筆したことが縁で大手映画会社デッカ社 (後のウーファ) のプロデューサーであるエーリッヒ・ポマーの目にとまり、1918年に
映画界入りしてベルリンに移り住みました。ヨーエ・マイの助監督を経た後の1919年に "Halbblut" で監督デビューを果たし、
同年に自ら脚本も書いた冒険映画 『蜘蛛 』の二部作が好評となり、1921年の『死滅の谷』、翌年にラング監督の名声を確立した
犯罪映画の古典的名作『ドクトル・マブゼ』を発表、ドイツ表現派の傑作として高い評価を得ました。
次いで1924年にはドイツのゲルマン民族魂ともいえる国民的叙事詩であるニーベルンゲン物語を映画化、第一話『ジークフリート』
第二話『クリームヒルトの復讐』を続けて発表、神秘的ロマンティシズムによる映像はドイツ映画史に燦然と輝く不朽の名作と
なりました。その後もSF映画の古典的大作『メトロポリス』、サイコスリラーの基礎的名作『M』などの傑作を監督しましたが
アドルフ・ヒトラーの台頭によりユダヤ人であるラングはフランスに逃れ、1934年にファンタジー映画『リリオム』を撮った後に
アメリカに渡りました。その後『激怒』『暗黒街の弾痕』『死刑執行人もまた死す』などの佳作もありましたが、ハリウッドで
撮った21本の殆どが商業主義によるB級娯楽に終始してしまいました。

【主要監督作品】
1919年『蜘蛛』Die Spinnen
1921年『死滅の谷』 Der mude Tod

1922年『ドクトル・マブゼ』 Dr. Mabuse, der Spieler

1924年『ジークフリート』 Siegfried 

1924年『クリームヒルトの復讐』Kriemhilds Rache

1927年『メトロポリス』 Metropolis 

1928年『スピオーネ』Spione 

1931年『M』M 

1933年『怪人マブゼ博士』 Das Testament des Dr. Mabuse 

1934年『リリオム』  Liliom  
1936年『激怒』 Fury 

1937年『暗黒街の弾痕』You Only Live Once

1938年『真人間』You and Me
1941年『マン・ハント』 Man Hunt
1943年『死刑執行人もまた死す』 Hangmen Also Die!

1944年『恐怖省』 Ministry of Fear
1944年『飾窓の女』The Woman in the Window

1946年『外套と短剣』Cloak and Dagger
1952年『無頼の谷』Rancho Notorious 
1960年『怪人マブゼ博士』 The Thousand Eyes of Dr. Mabuse


☆オットー・プレミンジャー Otto Preminger (1905.12.05~1986.4.23)



ウィーン出身で、ダイナミックな演出により数多くの異色作を残した俳優・映画監督です。
ユダヤ人法律家の子息としてウクライナのウィシュニジャで生まれました。幼少の頃にウイーンに移り、ウイーン大学で法律を
学んでいましたが演劇に興味を持ち、マックス・ラインハルトの劇団に参加して俳優・舞台監督などを経験しました。しかし、
ヒットラーが台頭したことでアメリカに渡り、ブロードウェイで俳優としてドイツ軍人に扮して悪役に徹しました。
1944年にはフォックス社の『ローラ殺人事件』で脚本を担当しましたが、プロデューサーに直訴して監督も兼任し映画の成功に
よって新進監督として認められるようになりました。その後はハリウッドでは御法度となっていた題材を次々と手がけはじめ、
麻薬中毒者を主人公にした『黄金の腕』、オール黒人のキャストによる『カルメン』や『ポギーとベス』、性犯罪の裁判を取り
あげた『或る殺人』、政治の内幕を暴露した『野望の系列』など、話題作を連発しました。
たえず社会性の強いの題材を娯楽映画として人々に問題提起をし続けたハリウッドとしては異色の監督でもありました。

【主要監督作品】
1944年『ローラ殺人事件』Laura

1945年『堕ちた天使』 Fallen Angel
1953年『月蒼くして』 The Moon Is Blue

1953年『第十七捕虜収容所』 Stalag 17 出演のみ

1953年『帰らざる河』 River of No Return

1954年『カルメン』Carmen Jones 

1955年『黄金の腕』 The Man with the Golden Arm

1957年『聖女ジャンヌ・ダーク』 Saint Joan
1957年『悲しみよこんにちは』 Bonjour tristesse 

1959年『ポギーとベス』 Porgy and Bess

1959年『或る殺人』 Anatomy of a Murder 

1961年『栄光への脱出』Exodus

1962年『野望の系列』Advise & Consent 

1963年『枢機卿』The Cardinal
1965年『危険な道』 In Harm's Way 
1965年『バニー・レークは行方不明』Bunny Lake Is Missing 

1967年『夕陽よ急げ』Hurry Sundown


『12月5日』その2

2019-12-04 16:08:34 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ダミア Damia (1889.12.05~1978.1.30)



『暗い日曜日』に代表される孤独や絶望をテーマにした謎多き現実派シャンソン歌手です。
出生から歌手として世に出るまでの間は殆ど知られていないようですが、パリ生まれで10代の頃に家出をして極限の放浪生活を
経験した言われています。
1911年頃から歌手として活動を始め、1929年の『かもめ』あたりから注目されるようになりました。特に1933年にリリースした
『暗い日曜日』は当時の世相を反映し、この歌を聞いて何人もの自殺者が出たということで「自殺ソング」とも呼ばれ、フランス
国内はもとよりイギリスなど欧州各地で放送禁止となりました。また、真っ黒のドレスに身を包んで悲劇的な“現実派シャンソン”を
唄うことから「悲劇のシャンソン歌手」とも呼ばれました。第二次大戦後もトップ歌手として活動を続けていましたが、1955年の
オリンピア劇場におけるファイナル・コンサートを最後に謎の多かった芸能生活にも終止符を打ちました。

【主要監督作品】
1929年『かもめ』Les Goélands 視聴
1933年『人の気も知らないで』Tu ne sais pas aimer【YOUTUBEより】

1933年『暗い日曜日』Sombre dimanche【YOUTUBEより】

1933年『イゼールの夜哨』La garde de nuit à l'Yser 視聴
1936年『街』La rue 視聴
1937年『異国の人』L'étranger 視聴


☆リトル・リチャード Little Richard (1932.12.05~2020.5.09)



1950年代半ばにダイナミックな音楽とショーマンシップでロックンロールの基礎を築いた歌手です。
ジョージア州メイコンでアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれました。母親がバプテスト教会のメンバーだったこともあって
子供の頃から終日教会でゴスペルソングを歌っていましたが、リズム&ブルースに目覚めて歌手を目指します。1951年にRCAと
契約してゴスペル系の曲でデビューするも不発に終わりました。しかし、1955年にスペシャルティ・レコーズから再デビューして
リリースした『トゥッティ・フルッティ』が翌年に全米21位のヒットとなって注目を集めました。その後も激しいアクションで
ピアノを弾きながらエネルギッシュな歌唱法で『のっぽのサリー』『ルシール』『ジェニ・ジェニ』などのヒットを飛ばして
いましたが、1957年にオーストラリア公演のために搭乗していた飛行機が墜落しそうになり、原因は自分が罪深いロックンロール
を唄っていることに対する神の怒りだと思いこみ、ロックンロールを辞めるから私を助けてくださいと祈ったそうです。その甲斐
あってか飛行機は無事着陸して生還したリチャードは神との約束通りロックンロールを引退、神学校に入り牧師となりました。
そんなゴスペルを唄い始めた時期にリリースしたのが1961年の『戦場に日は落ちて』で、日本でかなりのヒットになったのですが
本国アメリカでは殆ど売れていなかったようです。
その後もしばらくはロックを罪深い悪魔の音楽として遠ざけゴスペルを歌っていたましたが、1962年にロック歌手として復帰し
2013年に引退するまで歌手活動を続けました。

【主要歌唱曲】
1955年『トゥッティ・フルッティ』Tutti Frutti 全米21位 視聴
1956年『のっぽのサリー』Long Tall Sally 全米13位【YOUTUBEより】

1957年『女はそれを我慢できない』Girl Can't Help It 全米49位 視聴
1957年『ルシール』Lucille 全米27位 視聴
1957年『ジェニ・ジェニ』Jenny, Jenny 全米14位【YOUTUBEより】

1957年『グッド・ゴリー・ミス・モリー』JGood Golly Miss Molly 全米10位 視聴
1957年『ベイビー・フェイス』Baby Face 全米41位 視聴
1961年『戦場に日は落ちて』He's Not Just A Soldier【YOUTUBEより】 



【ご命日】

★ピエトロ・ジェルミ Pietro Germi (1914.9.14~1974.12.05)



ネオ・リアリズムと商業主義との折り合いを図ったイタリアの人懐こい人生派映画監督。
主な監督作品として『越境者』『街は自衛する』『鉄道員』『わらの男』『刑事』『イタリア式離婚狂想曲』などがある。


★ロバート・アルドリッチ Robert Aldrich (1918.8.09~1983.12.05)



独特の異常性によって幅広いジャンルで活躍したハリウッドの娯楽映画監督。
主な監督作品として『攻撃』『ガン・ファイター』『何がジェーンに起ったか?』『ふるえて眠れ』などがある。


★ジョーン・フォンティーン Joan Fontaine (1917.10.22~2013.12.05)



ヒッチコックの『レベッカ』『断崖』で一躍スターになった東京生まれのハリウッド女優。
主な出演作品として上記のほかに『永遠の処女』『ジェーン・エア』『旅愁』などがある。