港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『12月12日』その1

2019-12-11 17:17:49 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆コニー・フランシス Connie Francis (1938.12.12~ )



ロックンロール最盛期にヒット・メーカーとして最も活躍した女性ポップシンガーです。
イタリア系移民の家庭にニュージャージー州ニューアークのアイアンバウンドに生まれました。幼少のころから音楽好きで4歳の
時にはアコーディオンを弾きながら唄い、12歳の頃からショーに出演してタレント・コンテストで優勝するなど天才ぶりを
発揮しました。
1955年にMGMレコードと契約してデビュー曲の『テディ』など数曲ををリリースしましたが全曲ともヒットせず、契約解除
が目前となった1958年にリリースした『フーズ・ソリー・ナウ』が起死回生の全米4位となって何とか契約維持となりました。
同年にはニール・セダカの提供曲『間抜けなキューピッド』もヒット、その後は出す曲のほとんどがヒット・チャートの上位に
ランクされるなど1960年初頭に爆発したロックンロール・ブームの波に乗って歌に映画と大成功を収めることになります。
彼女の特徴である「泣き節」と相反する能天気なビートのギャップ、さらにバイリンガルを武器にして各国の言語でレコードを
リリースするなど世界の歌姫として君臨しました。
しかし、ロックンロールも下火となり、傷害事件の被害者となったり鼻の手術で声が出なくなるなどでうつ病を発症して一時は
歌手生命も危ぶまれましたが、幾度も再起を果たして近年までエンターティナーとして息長く活動を続けているようです。

【主要歌唱曲】
1958年『フーズ・ソリー・ナウ』Who's Sorry Now 全米4位 視聴
1958年『間抜けなキューピッド』Stupid Cupid 全米17位 視聴
1959年『マイ・ハピネス』My Happiness 全米2位 視聴
1959年『カラーに口紅』Lipstick On Your Collar 全米5位【YOUTUBEより】

1959年『ママ』Mama 全米8位 視聴
1960年『チャオ・チャオ・バンビーナ』Ciao, Ciao, Bambina 視聴
1960年『恋にはヨワイ』Everybody's Somebody's Fool 全米1位 視聴
1960年『ハーバーライト』Harbor Lights 視聴
1961年『日曜はダメよ』Never on a Sunday 視聴
1961年『ボーイ・ハント』Where The Boys Are 全米4位 視聴
1961年『ブロークン・ハート』Breakin' In A Brand New Broken Heart 全米7位 視聴
1961年『あなたと二人で』Together 全米6位 視聴
1961年『夢のデイト』Someone Else's Boy【YOUTUBEより】

1961年『大人になりたい』Too Many Rules 全米72位【YOUTUBEより】

1962年『ミスター・ツイスター』Mr. Twister 視聴
1962年『泣かせないでね』Don't Break The Heart That Loves You 全米1位 視聴
1962年『セコハン・ラヴ』Second Hand Love 全米7位 視聴
1962年『可愛いベイビー』Pretty Little Baby【YOUTUBEより】

1962年『ヴァケイション』Vacation 全米9位【YOUTUBEより】

1963年『アル・ディ・ラ』Al Di La 全米90位 視聴
1963年『想い出の冬休み』I'm Gonna Be Warm This Winter 全米18位 視聴
1963年『渚のデイト』Follow The Boys 全米17位 視聴
1963年『星影で愛して』Tonight's my night  視聴
1963年『悲しきゴスペル』If My Pillow Could Talk 全米23位 視聴
1963年『虹を呼ぶレッド・リヴァー』Drownin' My Sorrows 全米36位 視聴
1963年『ダンケシェーン』Danke Schoen  視聴
1964年『ハートでキッス』Looking For Love 全米45位 視聴
1965年『ラ・マンマ』For Mama 全米48位 視聴
1965年『明日を忘れて』Forget Domani 全米79位 視聴
1966年『この胸のときめきを』You Don't Have To Say You Love Me 視聴

録音の年月は不明ですが、次のようなレコードもリリースしています。
『アンナ』Anna 視聴
『アニバーサリー・ソング』The Anniversary Song  視聴
『知りたくないの』I Really Don't Want To Know  視聴
『バラ色の人生』La Vie en Rose 視聴
『慕情』Love Is a Many Splendored Thing 視聴

【主要映画出演作品】
1961年『ボーイハント』Where The Boys Are【YOUTUBEより】

1963年『渚のテート』Follow The Boys【YOUTUBEより】

1964年『ハートでキッス』Looking for Love

1965年『青空のデート』When the Boys Meet the Girls


『12月12日』その2

2019-12-11 16:50:43 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆エドワード・G・ロビンソン Edward.G.Robinson (1893.12.12~1973.1.26)



ギャング映画で強烈な印象を残しハリウッドの重鎮として存在感を示した性格俳優です。
ルーマニアのブカレストでユダヤ系の両親の間に生まれました。9歳の時に家族と共にニューヨークへ移住、コロンビア大学に
籍を置きましたが舞台俳優を志してアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演技を学びました。1922年に
『ブライト・ショール』で映画デビューし数本の作品に出演しましたが、1931年にマーヴィン・ルロイ監督のギャング映画
『犯罪王リコ』でアル・カポネを思わせるギャングのボスを演じたことで注目を集めました。その後はギャング映画の他にも
シリアス・ドラマやコメディなどの幅広いジャンルで性格俳優として活躍していましたが、1940年代後期に起こった赤狩りで
共産主義者としてブラックリストに載せられて一時ハリウッドをはなれました。1956年にセシル・B・デミル監督の『十戒』で
ようやく映画界に復帰し、以後は一段と渋みを増した重厚な演技で貴重な傍役として存在感を示しました。

【主要出演作品】
1922年『ブライト・ショール』The Bright Shawl
1931年『犯罪王リコ』Little Caesar【YOUTUBEより】

1931年『夜の大統領』Smart Money

1935年『俺は善人だ』The Whole Townn's Talking

1935年『バーバリー・コースト』Barbary Coast
1940年『偉人エーリッヒ博士』Dr. Ehrlich's Magic Bullet
1940年『顔役』Brother Orchid
1942年『運命の饗宴』Tales of Manhattan

1943年『肉體と幻想』Flesh and Fantasy
1944年『深夜の告白』Double Indemnity
1944年『飾窓の女』The Woman in the Window

1948年『キー・ラーゴ』Key Largo
1948年『夜は千の眼を持つ』Night Has a Thousand Eyes
1956年『十戒』The Ten Commandments

1959年『波も涙も暖かい』A Hole in the Head
1961年『青い目の蝶々さん』My Geisha

1962年『明日になれば他人』Two Weeks in Another Town
1963年『サミー南へ行く』Sammy Going South

1963年『逆転』The Prize
1964年『ちょっとご主人貸して』Good Neighbor Sam
1964年『シャイアン』Cheyenne Autumn
1964年『暴行』The Outrage
1965年『シンシナティ・キッド』The Cincinnati Kid

1967年『ブロンドの罠』La blonde de Pékin
1969年『マッケンナの黄金』Mackenna's Gold


☆フランク・シナトラ Frank Sinatra (1915.12.12~1998.5.14)



20世紀を代表するアメリカのポップシンガー、エンターティナー、そして映画俳優です。
イタリア移民の家庭にニュージャージー州ホボーケンで生まれました。少年期に音楽に興味を持ち始めビング・クロスビーに
憧れて歌手を志し、20歳の時にイタリア人系ボーカルトリオ「ザ・スリー・フラッシズ」に参加してラジオ出演などで活動を
はじめました。1939年にはハリー・ジェームスの誘いで彼の楽団に参加し、数か月後にはトミー・ドーシー楽団の歌手になり、
1942年にはソロ歌手として再デビューを果たしました。特にその年の暮れに行われたニューヨーク・パラマウント劇場での
公演が大盛況となり女子学生のアイドル的存在として人気が急沸騰しました。やがてRKOやMGMなどのミュージカル映画にも
出演するようになりエンターティナーとしての地位を固めました。
1950年代初期には一時的な低迷期もありましたが、1953年の『地上より永遠に』で完全復活し1960年代に入ると映画製作にも
着手しはじめ、ディーン・マーチンやサミー・デイヴィス・Jrなどを配下とした「シナトラ・クラン」を結成して1960年の
『オーシャンと十一人の仲間』を手始めとしてシナトラ一家の映画を製作し続けました。
また、1960年代後半になると歌手としも円熟期に入り、1966年の『夜のストレンジャー』が全米1位を記録、翌年には愛娘の
ナンシー・シナトラとのデュエット曲『恋のひとこと』も全米1位、1969年にポール・アンカが歌詞を提供した『マイ・ウェイ』は
最高位27位ながらも異例のロングラン・ヒットとなってエンターテイナーとしても大成功を収めました。
ただ、デビュー当時から付きまとっていたマフィアとの黒い噂が絶えず、さらにゴシップも多すぎて業界人やマスコミからは
栄光ある実績とはウラハラに敬意を持たれていなかったようです。

【主要出演作品】
1941年『ブライト・ショール』 Las Vegas Nights
1944年『芸人ホテル』 Step Lively 

1945年『錨を上げて』  Anchors Aweigh 

1949年『踊る大紐育』 On the Town
1953年『地上より永遠に』 From Here to Eternity

1955年『黄金の腕』 The Man with The Golden Arm【YOUTUBEより】

1955年『野郎どもと女たち』 Guys and Dolls 

1955年『見知らぬ人でなく』 Not As A Stranger
1956年『上流社会』 High Society

1956年『八十日間世界一周』 Around the World in 80 Days
1957年『誇りと情熱』 The Pride and the Passion
1957年『夜の豹』 Pal Joey

1958年『走り来る人々』 Some Came Running 
1959年『波も涙も暖かい』 A Hole in the Head
1959年『戦雲』 Never So Few
1960年『オーシャンと十一人の仲間』 Ocean's Eleven【YOUTUBEより】

1960年『カンカン』 Can-Can

1960年『ペペ』 Pepe
1961年『四時の悪魔 』The Devil at 4 o'clock
1962年『荒野の3軍曹』 Sergeants 3
 
1963年『ナイスガイ ニューヨーク』 Come Blow Your Horn

1965年『結婚専科』 Marriage on the Rocks
1968年『刑事』 The Detective

【主要歌唱曲】 
『スターダスト』Star Dust 視聴
『愛の泉』Three Coins In The Fountain 1954年全米7位 視聴
『ナイト・アンド・デイ』Night and Day 視聴
『アイ・ラブ・パリス』I love Paris 視聴
『セプテンバー・ソング』September Song【YOUTUBEより】

『誰かが誰かを恋してる』Everybody Loves Somebody 視聴
『夜のストレンジャー』Strangers In The Night 1966年全米1位【YOUTUBEより】

『恋のひとこと』Somethin' Stupid 1967年全米1位 視聴
『マイ・ウェイ』My Way 1969年 全米27位【YOUTUBEより】

『ニューヨーク・ニューヨーク』New York New York 視聴


【ご命日】

★リベルタ・ラマルケ Libertad Lamarque  (1908.11.24~2000.12.12) 



「タンゴの女王」と呼ばれ絶大な人気を誇ったアルゼンチンの歌手・女優。
主な歌唱曲として『ガウチョの嘆き』『マドレセルバ』『カミニート』『エル・チョクロ』などがある。


★アネット・ストロイベルグ Annette Stroyberg (1936.12.07~2005.12.12)



ロジェ・ヴァディムによって売り出され、一瞬まばゆいほどの活躍をみせたフランスの美人女優。
主な出演作品として『危険な関係』『血とバラ』などがある。


★ダグラス・フェアバンクス Douglas Fairbanks  (1883.5.23~1939.12.12)



サイレント時代に楽天的で痛快な活劇のキャラクターとして活躍したハリウッド俳優。
主な出演作品として『イントレランス』『奇傑ゾロ』『ダグラスの海賊』『ドン・ファン』などがある。


★エンリケ・ホリン Enrique Jorrin (1926.12.25~1987.12.12)



キューバ生まれのヴァイオリニストで「チャチャチャの父」とも呼ばれている楽団指揮者・作曲家。
代表曲として『チャチャチャは素晴らしい』がある。