私は毎日、娘のホームページをチェックして、徐々に増えるカウンターの数字を見るのを楽しみにしている。
「去る者は日々に疎(ウト)し」と言うように、死んだ者は日が経つにつれて世間から忘れられていくものである。
娘のホームページとは、14年前に25歳にして肺の病気で無念にもこの世を去り、友達に忘れられるのが父親としてやりきれなくて、娘と友達をつなぐために開設した架け橋です。
開設当初は1日に20~30人ほどの訪問客があったが、14年経った現在では2、3人とまばらになった。
ホームページは更新をしないと誰も訪れなくなる。1日に2、3人でも私が生きている間は、この有難い訪問客のために月に2回は更新しようと心がけてずっと続けている。
そんな折、先日私はある新聞のエッセイ欄に初めて投稿したのだが、その作品が掲載された翌日には訪問客が一挙に150人ほど増え、それ以後も毎日20人近くが訪問している。
「新聞にはホームページのアドレスが記載されていないのに何で?」とふと疑問に思い、試しにヤフーに『有村正 娘のホームページ』のキーワードを打ち込んで検索ボタンを押した。
すると1番目と2番目に私の店と娘のホームページが表示された。因みに3番目は新聞社が掲載した私のエッセイが表示されている。
そのことを妻に告げると、「新聞のエッセイを読んだ上に、わざわざスマホやパソコンで検索してホームページに訪れてくれる人がいて良かったね。これからもホームページを続ける意義が出来たやん」
今まで娘のホームページを見たことがない、スマホとパソコンが苦手な妻も興味を示すようになった。
四六時中パソコンと睨めっこをしている私に妻は、「また、パソコンかいな。私はパソコン未亡人やな」「私よりパソコンが大事やったら、アンタ、パソコンと結婚したら」と不満タラタラだったが文句を言わなくなった。
枯れかかった夫婦の仲に共通の話題が出来て潤いが戻り、エッセイを投稿して良かったと思った。
勉強嫌いで根気がなく面倒くさがり屋だった私は本を買っても積ん読タイプ。特に小説などは最後まで読んだことがなく美文・名文には縁がない。だから文章を書くのもどちらかと言えば苦手だった。
そんな私だが、娘を亡くしてホームページを立ち上げてから、自己流ながら数多くのエッセイや詩を綴ることで徐々に文章力が付いたと思う。その甲斐あって、自信がなかったが初めて投稿したエッセイが取り上げられたと思う。
12年前にはホームページの題材に行き詰っている時、たまたま地元で『NHKのど自慢』の出場募集があったのでダメ元で娘の好きな曲で応募して受かり、あれよあれよという間に優勝をしてホームページを飾ったこともあった。
カラオケ大会、エッセーの投稿以外に、興味をひくホームページを目指している内にユーチューブのアップロード、作詞、作曲なども初めての経験をした。
天国からの娘のエールで、70歳になった今でも成長させてもらっているような気がする。
斎藤茂吉さんは『母を詠った歌人』として知られているが、私は『娘を綴る随筆家』として、娘との思い出を紡ぎながらこれからもずっとメッセージを発信し続けようと思っている。
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