「意思が濁ると、意地になり
口が濁ると、愚痴になり
徳も濁れば、毒となる」
FB友達の投稿記事で見つけた寺院の掲示板の法語だが、「くち」が「ぐち」、「いし」が「いじ」、「とく」が「どく」と言葉が濁るだけで正反対の言葉になるとは、上手いこと考えたものだと感心した。
この法語をネットで検索すると更に続きがあった。
「戒が濁れば、害となり、
本能が濁れば、煩悩となり、
報恩が濁れば、忘恩となる」
※戒=よくない事態に備えて気を引き締める。
※煩悩=私たちの心を乱し、苦しみを生む原因とされる。
※報恩=恩にむくいること。恩返し。
※忘恩= 受けた恩を忘れること。恩知らず。
これらは仏の教えを説いた言葉で、心が「濁る」と邪念に振り回され本来の心を濁らせるとか。
濁った心では真実を見極めることができず、その結果、迷いや判断の誤りとなり苦悩となるので、心を静めて、「濁りのない心」を保つ必要がある。
だから一度立ち止まって、心静かに我が身の行いを振り返り、正しい判断をするように促している。
清らかでいることは難しいが、穢れないように真摯にすることは大切なことと考えさせられた言葉となりました。
ついでに、言葉が濁ると日本語がとたんに意味が変わる言葉を見つけました。
「福は徳なり、フグは毒なり、
刷毛に毛があり、ハゲに毛がなし
為になる人、ダメになる人
多才が濁る、ダサイとなる」
謎かけ:法語とかけて満杯と解く。どちらも(法話・飽和)です
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