「蚊に刺されると新型コロナウイルスがうつるのではないか」
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染が収まらない中、夏に向けて、そんな声を聞くようになった。蚊が感染症をうつすことは2013年に都内で感染者が急増した「デング熱ウイルス」で多くの人が経験している。それでは、新型ウイルスはどうなのだろう。
獣医師資格を持つ筆者としては、「動物の世界から考えて、コロナが蚊でうつることはない」というおおよその見当がつく。今回はその理由も含め、虫とウイルスとの関係について見ていく。
結論を先に言えば、病原体はその種類によって、虫によって運ばれやすいものがある程度決まっている。虫に運ばれやすいのは、「節足動物媒介感染症」と呼ばれるタイプの感染症だ。コロナはこの分類に含まれておらず、蚊ではうつらないと考えられる。
節足動物媒介感染症においては、ハエのように糞便などに含まれる病原体を物理的に運ぶ虫もいるが、病原体の媒介で重要なのは、むしろ蚊のように体内で病原体を増やし、吸血によって感染を引き起こすタイプだ。世界保健機関(WHO)によると、節足動物媒介感染症は、あらゆる感染症の17%超を占める。ウイルスばかりではなく、マラリアのような寄生虫も含めると、節足動物媒介感染症によって年間およそ70万人が亡くなっている。
それでも節足動物媒介感染症は大昔よりも大幅に減ったと見るべきだろう。状況を大きく変えたのは、20世紀に入ってからの、殺虫剤を用いた媒介生物のコントロールだ。殺虫剤によって虫と動物などとの間の感染循環を止めることに成功したが、現在はペットの普及、都市化、国際的な輸送網の発達、グローバル化などで節足動物媒介感染症が再び広がり始めている。
感染拡大という面では、もともと感染していた人などの血液で病原体が増殖していることがまず重要だ。さらに、それを吸った虫の体内で病原体が増えて保たれるかどうか、次の吸血の際に病原体が人などにうつるかどうかも要素になる。
節足動物媒介感染症の中でも、虫などによって感染が広がるウイルスはアルボウイルス(arbovirus)と呼ばれている。これまでの研究から、昆虫やダニなど、ウイルスごとに親和性のある媒介生物は決まっており、感染を媒介する虫とウイルスの関係はほぼ一対一で判明している。単にウイルスが虫の体内に入ればいいというわけではなく、虫が体内で保つことができて運べるウイルスでないと、虫によって感染するウイルスにはなれない。同じ蚊の仲間にもイエカやヤブカがいるが、イエカとヤブカが媒介するウイルスは異なるのだ。
こうした条件に照らすと、前述の通りコロナウイルスは一般的には節足動物媒介感染症に含まれていない。だから、虫などによって運ばれることがないと、獣医師の観点から言えるのだ。
虫で感染が広がるウイルスは約10種類
では全体像はどうなっているかというと、ウイルスには168科の種類があり、アルボウイルスはその中の10科ほどだ。逆に言えば、150~160種類ほどは虫を媒介とした感染が起きない。コロナウイルス科は、こうしたアルボウイルスの中には含まれていない。2011年以降、コロナウイルス科を含むニドウイルス目の別の科のウイルスが蚊から見つかったという論文があるが、コロナウイルス科は今までのところ「シロ」だ。
では、どんなウイルスなら広がるかと言えば、その辺りは調べ尽くされている。
まず人でいうと、アルボウイルスで最も多いのが「デング熱ウイルス」だ。その感染症であるデング熱は世界129カ国で、年間9600万人が感染していると推定され、年間4万人が亡くなっている。さらに、人に感染するアルボウイルスとして、「ウエストナイルウイルス」「黄熱」「ジカウイルス感染症」「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」「ダニ媒介性脳炎」「チクングニア熱」「日本脳炎」などが知られている。では、蚊の繁殖を防ぐため町中を燻蒸する。写真はインド(写真:AP/アフロ)
こういったウイルスが何科に属しているかというと、大半がデング熱ウイルスを含む「フラビウイルス科」だ。このフラビウイルス科には、ほかにも「ウエストナイルウイルス」「黄熱」「ジカウイルス」「ダニ媒介性脳炎」「日本脳炎」が入る。日本脳炎は、日本でもワクチン接種の対象になっておりおなじみだろう。黄熱も野口英世の研究で有名だ。これらがみんな同じウイルスの仲間というのはあまり知られていないと思う。
虫好きウイルスの仲間は、フラビウイルス科のほかにもある。例えば、蚊と親和性があり、蚊が運ぶウイルスとしては3つのウイルスが知られている。先ほどの「フラビウイルス科」のほか、「ブニヤウイルス科」と「トガウイルス科」だ。
フラビウイルス科のウイルス、例えば、デング、ジカ、黄熱のウイルスは、自然界ではサルの間で蚊を介して広がっている。ウエストナイルウイルスは鶏の間で広がり、日本脳炎は豚の間で蚊を介して広がる。生き物の間を蚊が橋渡ししている形だ。
さらに、同じように蚊によって運ばれるものとしては、ブニヤウイルス科である「リフトバレー熱ウイルス」がある。このウイルスは、アフリカや中東などで、羊など家畜の間に広がっていると考えられている。人にもうつる。同じように、トガウイルス科には「チクングニア熱」があり、サルや人の間で広がっている。
ダニ、ヌカカ、アブもウイルスを媒介する
虫別に見ると、ウイルスを運ぶ虫ごとに、その生き物を好むウイルスが存在している。もちろん「好む」といっても、実態は生き物の中でウイルスが保たれた状態になるという意味で、ウイルスが好き好んでいるかは分からない。単純化するために「虫好き」と表現しているわけだが、ウイルスを媒介する虫は、蚊のほかにも「ダニ」「ヌカカ」「アブ」などがいる。
ダニについては、蚊と同様にフラビウイルス科が多くを占める。イメージだけ見てもらえればいいが、「ダニ媒介性脳炎ウイルス」「ポワッサンウイルス」「アルハムラ出血熱ウイルス」「キャサヌル森林熱ウイルス」「跳躍病ウイルス」がダニ好きのフラビウイルス科だ。それぞれの分布は異なるが、アフリカ、中東から欧州、北米などで幅広く分布し、家畜や齧歯類などと人の間をダニが媒介している。
また、ダニによって広がるウイルスには蚊でも紹介したブニヤウイルス科もある。「クリミアコンゴ出血熱ウイルス」や「ハートランドウイルス」「重症熱性血小板減少症候群ウイルス(SFTS)」というウイルスが知られている。重症熱性血小板減少症候群は日本でも2013年に発生し、人での死者を出したことで問題になった。
ダニでは、インフルエンザに近いオルソミクソウイルス科でも「トゴトウイルス」や「ドーリウイルス」というタイプが動物と人との間で広がるほか、アフリカ豚熱の原因であるアスファウイルス科も豚に広がっている。
虫の中には、蚊やダニのようによく知られるものばかりでなく、「ヌカカ」と呼ばれる小虫がウイルスを媒介する存在として重要だ。ヌカカは、ハエと蚊の間のような1mmほどの大きさの虫で、ブニヤウイルス科であるアカバネウイルスやアイノウイルスを媒介して牛の病気を引き起こす。また、レオウイルス科であるアフリカ馬疫ウイルスやブルータングウイルス、チュウザンウイルス、イバラキ病ウイルスを家畜の間に広げている。牛流行熱を引き起こすラブドウイルス科も、ヌカカや蚊によってうつると考えられている。
さらに、牛の白血病である、レトロウイルス科の牛白血病ウイルスは、アブが運ぶことが知られている。
飛沫感染だけでなく虫刺されも危険
この5月、新型コロナ感染者が米国に次いで増加したブラジルの研究グループは、新型コロナのインパクトが虫を媒介とするデング熱やジカ熱を凌駕したと報告した。その上で、虫媒介の感染症と飛沫による新型コロナの双方が混在する状況自体が問題と警告している。
ここまで見てきたように、虫が運ぶウイルス自体はかなり多い。さらに言えば、細菌や寄生虫など、虫で運ばれるものはウイルス以外にもある。というわけで、コロナの飛沫感染だけでなく、夏の虫対策にも十分注意してください。