特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Hot dog ~後編~

2013-03-12 08:24:02 | 特殊清掃
「え!?餓死じゃないんですか!?」
犬の死因は餓死と決めつけていた私は、ちょっと驚いた。
そして、
「もしかして、故人が?・・・・・最期が近いことを悟った故人が、“病弱の犬一匹を置いて逝くのは忍びない”と、犬を殺してしまったのか?」
と、普段から上等なことを考える癖をつけていない頭には、そんな考えが浮かんできた。
そして、女性が次に言葉を発するのを、固唾を呑んで待った。

「それが・・・餓死じゃなくて病死みたいなんです・・・」
「もともと、病弱な犬でしたから・・・」
女性が返してきた言葉は、私がまったく想像していなかったもの。
膨らみかけていた私のイヤな緊張感は、シワシワとしぼんでいった。

ことの真相はこう・・・
実は、故人ばかりではなく犬のほうも重い病を罹患。
それは重い病気で、長くは生きられない状態。
病気を患っていること、余命が長くないこと、独り身であること等・・・そんな犬に自分を重ねたのだろうか、故人は引き取り手のない病気の犬を引き取って飼いはじめた。

故人は、犬をとても可愛がった。
犬には毎日薬をやる必要があり、薬が切れるといつ命を落としてもおかしくない状態にあったが、そんな犬の世話をせっせとやいた。
また、犬のほうも故人になついているように見えた。
二人(一人と一匹)が連れ立って外を散歩する姿は、日常的に見受けられた。
事情を知っていた人の目には、そんな二人の姿が微笑ましく映ったことだろう。

「○○さん(故人)にくっついて死んでたそうです・・・」
女性は、そういって言葉を詰まらせた。


倒れて動かなくなった故人に寄り添って死んだ犬・・・
飼主の死後、どれくらいの時間を犬が生きていたのかはわからない・・・
ひょっとしたら、一時的に、寂しくて不安な思いをしたかもしれない・・・
薬が切れて苦しい思いをしたかもしれない・・・
でも、最期は、大好きな飼主に抱いてもらっているかのような気分で、安心して眠ったのではないか・・・そう思った。
そして、切ないような悲しいような気持ちではあったけど、そんな中にもなんだかあたたかなものが湧いてきたのだった。


隣人女性との話を終えた私は、一階の管理人室へ。
そして、管理人に部屋の状態を説明。
それから、遺族へ電話し同じことを説明。
具体的に、何をどうすればいいか、遺族の要望と見解をきいた。

独身で子供もいない故人の遺族は、複数の従兄弟。
その遺族は、故人の病状や犬の存在も把握。
更に、故人が犬を可愛がっていたこともよく知っていた。
また、死後の後始末についても、こと細かく故人から伝えられていた。

故人は、着実に死の準備を進めていた。
自分が亡くなった後、スムーズに処理できるよう現場となった自宅マンションを売却する手はずも整えていた。
その他の財産や資産も相続する人にわかりやすいかたちに整理。
更には、自分の墓も用意していた。

常日頃、故人は、「残された人になるべく迷惑をかけないようにしたい」と言っていた。
だから、用意周到に、考えうる策を講じていた。
ただ、自分より犬の寿命のほうが長くなるかもしれないこと、また、自分が自宅で孤独死してしまうかもしれないことは想定していなかったのだろう。
摂理は意に反して働き、故人の方が先に逝き、犬が後からともなうかたちになってしまったのだった。

故人の思惑をよそに、故人宅は人間と犬の腐乱死体現場となってしまった。
ともなって、死後の後始末には、故人が策を講じていなかったことが加わった。
しかし、近隣住民も遺族も、誰もそれについて嫌悪感を示さず。
故人の生き陽が、その死に陰を払拭していたのだった。

晩年の事情を知っていた遺族は、犬を引き取ることを拒まず。
ただ、ヒドク腐敗しているため、体液は漏洩し、無数のウジと著しい異臭が発生。
そんな状態なものだから、私は、そのままの状態で引き取ることは勧めず。
協議の末、ペット火葬業者に引き取りと火葬を委託することになった。

ただ、そのままの状態では火葬業者が死骸を回収するわけはない。
ある程度の処理をして、業者が回収できる状態にする必要がある。
そうは言っても、それをやれる人間は特定の者・・・つまり、私しかおらず。
結局、特掃とあわせてその作業も私が引き受けてやることになった。


依頼を受けた私は、装備を整え再び故人の部屋へ。
室内をよく観察すると、確かに、キッチン隅の置かれた器には餌も水も残されていた。
また、犬用トイレもたいして汚れておらず。
それらは、犬が餓死したのではないことを証明しているようで、私は、餓死ではなく病気によって死んでしまったものと納得した。

リビングの壁に掛けられたコルクボードをみると、そこには何枚もの犬の写真が貼られていた。
可愛らしい写真の数々、微笑ましい写真の数々・・・中には、笑顔の故人が一緒に写っているものもあった。
それらの写真は、愛・正義・家族・友人・健康・仕事・お金etc・・・世の中には大切なものがたくさんあるけど、笑顔の時間と想い出もまた、何に劣ることのない大切な宝物であることを教えてくれているようでもあった。


私がはじめにやったのは犬の“納棺”。
人の納棺なら数え切れないくらいやったことがある私だったが、犬の納棺・・・とりわけ、腐乱死骸の納棺は勝手が違う。
生前は可愛らしかっただろうに、腐敗死体となってはその面影はなし。
私は、時々壁の写真を見ながら感情の±をコントロールし、死骸をきれいなタオルで包みなおした。

次に、柩を用意。
もちろん、その場に専用の柩があるはずはなく、私は代わりになりそうな段ボール箱を調達。
そして、箱の外に体液が漏れたら大変なので、トイレ用シートで内張りを製作。
それから、その中に犬を納め箱に封。
最後に、箱の外側をビニールで覆い納棺は終了した。

犬が片付いた次は、故人の痕始末。
人間の感情とはおもしろいもので、故人の生前の姿や過ぎた人生に思いを集中させると遺体汚物に対する抵抗感は低くなっていく。
更に、自分も、腐る精神や肉体をもつ同じ人間であることを思うと、汚物に対する嫌悪感は中和されていく。
普通の人にとっては普通じゃない汚れでも、普通じゃない人にとっては普通の汚れ。
普通じゃない?私は、普通じゃない所で普通に仕事をし、床に広がる元肉体を消し去った。

その後、間もなくして犬は荼毘にふされた。
そして、遺骨は墓に納められた。
故人が用意した墓に、故人の遺骨とともに。

請け負った仕事が終わったのは、それからしばらく後。
家財生活用品はきれいに片付き、ウジ・ハエもいなくなり、立ちこめていた異臭も消えてなくなった。
故人と犬の暮らしを彷彿とさせるものは何もなくなった。
ただ、ガランとした部屋には、切なくもあたたかな一人と一匹の命の余韻が残っていたのだった。



ちなみに、前編の現場・・・
結局、その現場の家財生活用品の撤去処分、清掃消毒作業は当社が請け負って施工。
過述のとおり、遺体の発見がはやく、特段の汚染はなし。
生活汚損も軽く、特段の作業を要することもなく、部屋はきれいになった。
まるで、何事もなかったかのような静かな余韻を残すのみで・・・

そして、「あのチビ犬は?」というと・・・
その後、犬は、新しい家と新しい名前と新しい家族を得て、あれからずっと私の家にいる。
つつましい食事と、かぎりある時間と、ささやかな幸せを分け合いながら。



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