特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

終宴

2013-03-28 13:54:25 | 孤独死 遺品整理
楽しいことばかりじゃない、嬉しいことばかりじゃない、ありがたいことばかりじゃない毎日。
ひどく苦しむこともあれば、ひどく悩むこともある。
もちろん、たいした苦悩もなく平穏な日もある。
そんな日々の楽しみは、やはり晩酌。
質素な肴と安酒ながら、結構、楽しいものである。

ただ、問題もある。
それは量。
百薬の長といわれる酒も、飲みすぎれば毒になる。
それがわかっていてもやめられない。

毎晩、泥酔するほど飲んでいるわけではない。
そんなことしてたら、それこそ身体と金がもたない。
だけど、翌朝の不快感・倦怠感と腹の具合を考えると、やはり、飲みすぎの感は否めない。
更には、身体だけではなく、精神にも悪影響を及ぼしているような気もする。

酒で身体を壊して仕事ができなくなったら大変。
私にとっては労災みたいなものだけど、実際に労災が適用されるわけはない。
どちらにしろ、自分が苦しむことになるし、まわりにも多大な迷惑をかける。
そうなる前になんとかしなければ・・・そう思いながらこの歳になっている。

そこで、決めた。
週二日の休肝日をもうけることを。
禁酒は土台無理な話だし、日々の減酒も基準が曖昧でなし崩しになりやすい。
週休肝二日は基準もルールも明確で、逃げ道がないので意志の弱い私に向いている。

第一の目的は、健康管理。
それなりに傷んでいるであろう肝臓をはじめとする各器官。
それらを労わるため。
二次効は酒代の節約。
週に二日飲まない日をつくれば、単純計算でも酒代を三割近く減らすことができる。
浮いた酒代を他にまわせば、一石二・三鳥である。

ルールは単純。
日曜~土曜の7日間のうちで、任意で二日だけ飲まない日をつくること。
とりあえず、今月に入ってからの四週間は何とかクリアした。
しかし、本番はこれから。
夏に向かって、冷えたビールを我慢するのはかなりツラいはず。
まわりから「長続きしない」という声が聞こえなくもないが、とりあえず、やれるだけやってみようと思っている。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、マンションの大家。
「借主の女性が亡くなったので、部屋に残っている家財を処分してほしい」とのこと。
例によって、私は現地調査に出向く日時を約して電話を終えた。

訪れた現場は、街中の商業住宅地。
目当ての建物は、「マンション」と呼ぶほどの新しさと重量感はなし。
そうは言っても、「アパート」と呼ぶほど低層でも軽量でもない鉄筋コンクリートの建物。
築年数はかなり経過しており、それなりの年代物であることは外観からハッキリ読み取れた。

大家女性の自宅はそのビルの二階で、私は、まず大家宅へ。
インターフォンを押すと、中から年配の女性がドアを開けてくれた。
女性は、私に玄関を上がるよう招いてくれた。
が、大家宅に上がり込むとながくなりそうな予感がしたため、私はそれを丁重に断った。

大家女性は、「一人で見に行ってもらえます?」と申し訳なさそうにしながら、故人の部屋の鍵を私に差し出した。
どうも、加齢のせいで足腰を弱めている様子。
腐乱死体現場でも自殺現場でもゴミ部屋でも一人で行くのが常の私。
ノーマルな部屋に一人で行けない理由はなく、私は二つ返事で鍵を受け取り、狭い階段を上がっていった。

故人宅は4階、間取りは一般的な1DK。
残された遺品は、ごくごく一般的な家具家電・家財生活用品一式。
狭い階段を上がった4階ということもあり、大型の家具家電はなし。
置いてあるものは古びたものが多かったが、室内の整理整頓・清掃はゆきとどいており、きれいな状態だった。

故人宅の見分が終わると、私は再び二階の大家宅へ。
大家女性は、再び私を部屋へ促した。
仕事に関係ない話がながくなりそうな予感はしたけど、当日、次の予定はなかった私。
“商談”の必要もあるし、私は、促されるまま大家宅に上がりこみ台所の椅子に腰を掛けた。

大家女性は、お茶とお茶菓子を用意し、私の斜め向かいに着席。
「まさか、亡くなるなんて・・・」と軽い溜息をついてから話を始めた。
仕事の話をしたかった私だったが、女性の話を少しも聞かずに遮るのは無礼なこと。
あと、人生の先輩の話は自分のタメになることが多く、私は、とりあえず女性の話を聞いてみることにした。


故人は70代、生涯独身。
ここへ越してきて以来、ずっと一人暮らし。
大家もまた70代。
夫は何年も前に他界し、また、子供達も何年も前に独立。
それからは、ずっと一人暮らしだった。

故人がここに入居したのは、40代の頃。
家族との間で何かあったらしく、故郷を捨てるようにして上京。
いくつかの職を転々としながら生活し、近年は、マンション管理の仕事に従事。
家賃や公共料金を滞納するようなこともなく、また、借金をするようなこともなく、一人の生活をキチンと成り立たせていた。

そんな二人の距離が縮まったのは、大家女性の夫が亡くなって後。
二人は、同年代の同姓で独り身。
お互い、身近に話し相手がほしい境遇だった。
そんな二人が親しくなるのに時間はかからず、ほとんど毎週末、大家宅の台所で、とりとめのない話に花を咲かせるようになった。

一役かったのはビール。
大家女性は、もともと酒を飲む人ではなかったが、亡夫の晩酌につきあってビールを少し飲むようになり、以降、それが習慣みたいになっていた。
故人もまた酒を飲む人ではなかったが、大家女性がお茶代わりに勧めたのがきっかけで飲むように。
大家宅でのおしゃべりの際はきまって飲むようになっていた。

二人は、少量のビールでもホロ酔いになれたよう。
酔いは感情を解放してくれるし、時には、固くなった腹を割ってくれることもある。
そうすると、話は盛り上がる。
話が盛り上がればその場は楽しい。
二人にとって、それが心地よかったのだろう。

そんな生活の中、故人は急に体調を崩して近くの病院に入院。
当初は軽く考えていた体調不良だったが、判明した病気は芳しいものではなかった。
大家女性が見舞いに行っても口からでてくる言葉は気弱なものばかり。
「部屋にあるものでほしいものがあったら遠慮なく持っていっていい」などと、元気になることを諦めたかのような話ばかりをしてくるのだった。
数日の療養で帰ってくるものとばかり思っていたのに、入院は長引き、結局、ここに帰ってくることはなかった。

「本当に楽しい時間だった・・・」
「こんなに早く亡くなるなんて思ってなかった・・・」
大家女性は、話の途中で何度も何度もそうつぶやいた。
そして、その都度、目に涙をうかべた。

「捨てるのももったいないですから、よかったら、持って帰って下さい」
帰り際、大家女性は、箱に入った缶ビールをテーブルにのせた。
共に飲む相手がいなくなり、買い置いていたビールは不用となったよう。
私にはそれを断る理由はなく、遠慮なく受け取ることに。
適当なところで話を締め、寂しさを滲ませる大家女性に見送られて現場を後にしたのだった。


人には、一人一人に一人分の命と人生がある。
亡くなってしまう命と、終わってしまう人生がある。
人生は、祭のようなものか。
それなりに賑やかで、それなりに沸き立ち、それなりに厳粛で、それなりに美しい。
それなりに楽しく、それなりに笑えて、それなりに大変で、それなりに泣ける。
そして、終わりが近いことを知ると、満足感や余韻とともに切なさや寂しさが湧いてくる。

誰の人生もいつかは終わる。
この人生もやがては終わる。
なんとなく自分には関係ないような、なんとなく遠い先のことのように思える死。
しかし、それはあくまで“なんとなく”。
そこには、人知を超えた摂理はあっても人知に納まる根拠はない。

だからこそ・・・
楽しいことばかりじゃないけど、楽しみたい。
嬉しいことばかりじゃないけど、喜びたい。
ありがたいことばかりじゃないけど、感謝したい。
早く終わってほしいような憂鬱な気分に苛まれることも少なくないけど、精一杯生きたい。
・・・そう思う。


こうして生きている毎日は、酣(たけなわ)の宴。
私は、過ぎていく日々の想い出を肴に、週飲五日で好きなビールを飲んでいる。
そのホロ苦さは、人生の旨味をあらわしているようでもあり、なかなかやめられないものである。



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