「郷土富士」と呼ばれる富士がある。
ウィキペディアによれば、全国で300座以上あるそうだ。
とすると、その周辺にも「富士見」町、台等がありうる。
そこでMapionで検索してみると、全国で「富士見」と名前が入る地名は137
箇所あった。(丁目等の重複を除く)
北海道 13
東北 8
関東 48
中部 45
近畿 3
中国 6
四国 6
九州 8
これらの中で、明らかに富士山が見えない地区の「富士見」○○の全てが、
「郷土富士」と関連付けられるとは言えない。しかし、その中のいくつかは
「郷土富士」が見え、それを愛でる気持ちから名前が付けられたのではないか。
一つ例を挙げよう。
広島県に「安芸の小富士」という郷土富士がある。広島湾にある面積4k㎡、
人口1000人強の「似島(にのしま)」にあり、標高278mと小ぶりな山である。
形が富士に似て、地元の方に古くから親しまれている山だそうだ。
高野和彦氏による以下の記述がある。
『・・江戸時代、城下のどこからでも「安芸の小富士」はよく見えたが、
間近に迫り美しく端正な姿を眺望できたのは、現在の地蔵通り南端付近
(中区)であった。戦前は幅2間の水路に架かっていた富士見橋もあったが、
それも戦後しばらくして水路の埋立てとともに姿を消した。
富士見町という町名だけが当時の名残をとどめている。・・』
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/cgi-bin/mm/peace_mm.cgi?m=user_backno_view&no=2004-03-01-10-57.dat
この現在の地名は、広島市中区「富士見町」である。
(やまざくら)
ウィキペディアによれば、全国で300座以上あるそうだ。
とすると、その周辺にも「富士見」町、台等がありうる。
そこでMapionで検索してみると、全国で「富士見」と名前が入る地名は137
箇所あった。(丁目等の重複を除く)
北海道 13
東北 8
関東 48
中部 45
近畿 3
中国 6
四国 6
九州 8
これらの中で、明らかに富士山が見えない地区の「富士見」○○の全てが、
「郷土富士」と関連付けられるとは言えない。しかし、その中のいくつかは
「郷土富士」が見え、それを愛でる気持ちから名前が付けられたのではないか。
一つ例を挙げよう。
広島県に「安芸の小富士」という郷土富士がある。広島湾にある面積4k㎡、
人口1000人強の「似島(にのしま)」にあり、標高278mと小ぶりな山である。
形が富士に似て、地元の方に古くから親しまれている山だそうだ。
高野和彦氏による以下の記述がある。
『・・江戸時代、城下のどこからでも「安芸の小富士」はよく見えたが、
間近に迫り美しく端正な姿を眺望できたのは、現在の地蔵通り南端付近
(中区)であった。戦前は幅2間の水路に架かっていた富士見橋もあったが、
それも戦後しばらくして水路の埋立てとともに姿を消した。
富士見町という町名だけが当時の名残をとどめている。・・』
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/cgi-bin/mm/peace_mm.cgi?m=user_backno_view&no=2004-03-01-10-57.dat
この現在の地名は、広島市中区「富士見町」である。
(やまざくら)
取上げて頂き、恐縮しています。
前回のコメントで先走ってしまったようですね。
小学校の夏休み、臨海学校の想い出がある島でもあります。
当時は、学校の校舎を使用していましたが、
今では、市の施設が整備されているようです。
戦前は、軍港・宇品の目の前にありましたので、
陸軍の検疫所が置かれていました。
現在、取り立てて何もない島ですから、
訪れる人も限られていると思います。
私もあの臨海学校以来、行ったことがありません。
海岸沿いに行けば、自然と目に入って来る、
形良く、そして小ぶりなだけに優しい島です。
「安芸の小富士」は、宿の人から聞いた事がありました。機会があったら、また広島へ行ってみたいと思っております。
街には商工業、田園地帯は農業、山間部は林業です。
県土の面積、人口、生産額等がほとんど10位過ぎ辺り。
ほどほどにやって行ける土地だと言えそうです。
海の幸、山の幸にも恵まれています。
気候は温暖で、風光明媚。
地震や台風も避けてくれます、否、くれていました。
近頃は、なかなか避けてくれなくなりました。
野球やサッカーのプロチームもあります。
以前は新商品のテスト販売も行われていました。
そんな環境に恵まれてか、私は広島以外で生活したことがありません。
このことが幸であったのか、不幸であったのか。
今は少々悔やんでいますが。
他から広島を眺めたことがないので、本当のところは分かりません。
広大のことが書かれていましたので、ちょっと行って来ました。
もちろん、移転前の旧キャンパスです。
コメントに納まらず、ブログになってしまいました。
それにしても、市内から国立大学が出てしまったのは大損失のはずです。
是非、来広下さい。
その折には、お会いしたいものです。