■白秋忌
・九州・柳川の 「白秋記念館」
・柳川にもう一つ名物(?)九州場所の人気を独り占めなるか、初試練の大関「琴奨菊」関、がんばれ。
・北原 白秋
1885年(明治18年)1月25日-1942年(昭和17年)11月2日)
日本の詩人、童謡作家、歌人。
本名、北原 隆吉。
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」、「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。
生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、
活躍した時代は「白露時代(*)」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。
↑以上、Wikipediaより抜粋引用
*「露」は三木露風のこと。
■50歳まで勤務させていただいた会社の創業者のお子さんたち。
・兄は東大、弟は慶大、ひとり娘さんは日本女子大卆という、いずれ劣らぬ才子才媛のご一家。
・男兄弟二人はともに白秋門下生。
高見順の「昭和文学盛衰史」のなかに「K兄弟・・・」で登場する。
・創業者は仕事一筋の方だったが、子供たちが高学歴を身につけ、飯の喰えない文学の道に
一時的ではあれ身を置けたのは、自分の経済力が支えたからだ。と、常に語っておられたことを思い出す。
因みに、創業者は「漢学塾」で勉強された由。
若いころ、学歴のハンディキャップで苦労されたのだと思う。
■転居荷物の中から
・故人となられた、次男T氏の詩集が2冊見つかった。
推敲に推敲を重ねるタイプで寡作だった由だが、1940(昭和15)年、34歳の時に
詩集「古調月明集」↓ を出版。
(画像クリックで拡大)
白秋が絶賛「月明二章」と題し「春」「秋」の2編を巻頭に寄せている。
・その後、家業に就かれたが、1960(昭和35)年1月、病のため、満53歳で急逝された。
・訃報に接し「大木淳夫」氏が取り敢えず、寄せた追悼文を紹介しつつ、詩友「坂本ひさし」氏
(いずれも故人)の筆になる記事を掲載した地元紙。
(画像クリックで拡大)
※坂本氏の追悼文中「古風円明集」、「古調円明集」とあるのは、「古調月明集」の誤植。
・七七忌にあたり、精神的遺産たる遺作を集めた「詩集」が実兄の手で出版された。
表装は「棟方志功」の版画で飾られる超豪華版。
(画像クリックで拡大)
・文学に疎い自分だが、改めて古調の詩なるものを、無い知恵絞り熟読鑑賞させて頂こうと思う。
このような方々の身近で、仕事をさせていただくチャンスを、もっと生かせばよかったと
反省することしきり。
・故武二氏の令息は4代目社長を経て、現在会長職にある。
■広島市西区にある「三瀧寺」には友人たちの手で「詩碑」が建立されている。
・故大木淳夫氏の詩碑もここに
■三瀧寺はこれから一年で一番美しい「もみじ」の季節を迎える。
鑑賞がてら、適度の散歩にもなる遊歩道を散策されてはいかが。
■新広島四国88箇所巡礼中の「KI」さんへ、次なるお奨めコースは、広島ぶらり散歩「文学碑巡り」はどうですか?
個人的なことに触れることにやや躊躇したが、いずれも公刊されているものばかりなので、
あえて断りなく使わせていただいた。
新聞スクラップ、詩集ともに自己所有物を撮影した。
■10月のブログ投稿率
こんなことやって何の意味があるの?
(画像クリックで拡大)
◆陰の声:「継続は力なり」と言うぞ!
・九州・柳川の 「白秋記念館」
・柳川にもう一つ名物(?)九州場所の人気を独り占めなるか、初試練の大関「琴奨菊」関、がんばれ。
・北原 白秋
1885年(明治18年)1月25日-1942年(昭和17年)11月2日)
日本の詩人、童謡作家、歌人。
本名、北原 隆吉。
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」、「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。
生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、
活躍した時代は「白露時代(*)」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。
↑以上、Wikipediaより抜粋引用
*「露」は三木露風のこと。
■50歳まで勤務させていただいた会社の創業者のお子さんたち。
・兄は東大、弟は慶大、ひとり娘さんは日本女子大卆という、いずれ劣らぬ才子才媛のご一家。
・男兄弟二人はともに白秋門下生。
高見順の「昭和文学盛衰史」のなかに「K兄弟・・・」で登場する。
・創業者は仕事一筋の方だったが、子供たちが高学歴を身につけ、飯の喰えない文学の道に
一時的ではあれ身を置けたのは、自分の経済力が支えたからだ。と、常に語っておられたことを思い出す。
因みに、創業者は「漢学塾」で勉強された由。
若いころ、学歴のハンディキャップで苦労されたのだと思う。
■転居荷物の中から
・故人となられた、次男T氏の詩集が2冊見つかった。
推敲に推敲を重ねるタイプで寡作だった由だが、1940(昭和15)年、34歳の時に
詩集「古調月明集」↓ を出版。
(画像クリックで拡大)
白秋が絶賛「月明二章」と題し「春」「秋」の2編を巻頭に寄せている。
・その後、家業に就かれたが、1960(昭和35)年1月、病のため、満53歳で急逝された。
・訃報に接し「大木淳夫」氏が取り敢えず、寄せた追悼文を紹介しつつ、詩友「坂本ひさし」氏
(いずれも故人)の筆になる記事を掲載した地元紙。
(画像クリックで拡大)
※坂本氏の追悼文中「古風円明集」、「古調円明集」とあるのは、「古調月明集」の誤植。
・七七忌にあたり、精神的遺産たる遺作を集めた「詩集」が実兄の手で出版された。
表装は「棟方志功」の版画で飾られる超豪華版。
(画像クリックで拡大)
・文学に疎い自分だが、改めて古調の詩なるものを、無い知恵絞り熟読鑑賞させて頂こうと思う。
このような方々の身近で、仕事をさせていただくチャンスを、もっと生かせばよかったと
反省することしきり。
・故武二氏の令息は4代目社長を経て、現在会長職にある。
■広島市西区にある「三瀧寺」には友人たちの手で「詩碑」が建立されている。
・故大木淳夫氏の詩碑もここに
■三瀧寺はこれから一年で一番美しい「もみじ」の季節を迎える。
鑑賞がてら、適度の散歩にもなる遊歩道を散策されてはいかが。
■新広島四国88箇所巡礼中の「KI」さんへ、次なるお奨めコースは、広島ぶらり散歩「文学碑巡り」はどうですか?
個人的なことに触れることにやや躊躇したが、いずれも公刊されているものばかりなので、
あえて断りなく使わせていただいた。
新聞スクラップ、詩集ともに自己所有物を撮影した。
■10月のブログ投稿率
こんなことやって何の意味があるの?
(画像クリックで拡大)
◆陰の声:「継続は力なり」と言うぞ!