愛し合った二人が、或る日、私の苦しみを、どうして理解してくれないのか、と諍いを始めます。微笑ましい争いは、まあまあ、ですが、離婚裁判で血で血を洗う争いを見るにつけ、私の心は痛みます。心と身体同士が争うのはやむを得ませんが、本来、魂同士は愛し合っている性質があるので、色々の理由で、心と身体が争っていても、せめて、魂同士は今でも、深く愛し合っている事実を知覚してもらいたいものです。宗教心理学の正当派と自称する欧米の大学では<魂は神の創造物であって、魂は愛そのもの、神の属性>という教えがあります。苦しみは苦しみ、比較出来るものではありません。どちらが苦しいのか、と相手を非難する考え方は、もう、愛の世界を離れた考え方。苦しいと言う人は苦しいのですから、この時こそ、無条件の肯定的配慮を働かせ、そのままの相手を一旦、受け入れて見ましょう:<比較論:82-2>:
人気blogランキングへ
人気blogランキングへ