大自然での森や静かな湖、あたり一面に咲く野草の美しさ、この環境に入るとどんな人間でもメキメキと元気になります。特に明るい森は素晴らしい効用があります。森といいましても歴史上の古戦場は駄目です、何か嫌な雰囲気が漂い不気味です。そのような森もありますので自分の五感と体感が心地よい森を選ぶ必要があるようです。その為に、平素、自分の五感と体感に感じる色々の感じ方を意識化し知覚しておく必要があります。倫理道徳感の強い人、異常な<理想、思いこみ、頑固さ、信念>ではなく、明るく伸び伸びとした思考が必要です。<自己肯定、他者肯定>の思考が自分をのびのびとしていきます。<自己肯定他者否定>の思考を持つとのびのびできません。森の木を観察すると本来性質が著しく違う相手と仲良く許しあって生きている姿に教えられます。
熱は高いほうから低いほうへ流れますし水も高いほうから低い方へ流れます。人間が何か生き甲斐を求めたり理想を掲げたり仕事をしだすと、その自然の原理と逆に鯉の滝登りとか鮭が産卵のために川をさかのぼっていくように、相当努力してエネルギーを放出しながら生き甲斐追及、理想追求で疲れ果てていきます。追及する楽しみは十分ありますが、時々は何かに逃避したりしないと息苦しい日々となります。理想や生き甲斐追及の無い場合が人を駄目にしていきます。喜びもなくマンネリズムの生活は自律神経を麻痺させ免疫力が激減し健全なホルモンの分泌すら出なくなります。逃避して元気が出る方法は人により違いますのでこれからどんな逃避をしたら元気が出るか思索してみて下さい。
誰も不幸になりたい、と思う人はいないと思いますが、心理療法の仕事でお会いする患者さんの中には本人の自意識は幸福になりたいと思っているのですが、深層心理では、何とか不幸になり同情されたい、と思っている人が確かに存在しています。そんなことはあり得ないと考える方が多いと思います。この現象について暫く思索しますが、この現象の背景に防衛機制上の<逃避>という大きな問題が潜在しています。自分に限り、そんな事はない、と断言するのが普通ですが、恐れていることが予想通りになる場合とか、買ったばかりの絹製の綺麗で豪華な絨毯の上にジャムをたっぷりつけたトーストが落ちないといいのだが、と思ったとたん、ばっちり落ちてしまった話とか、そんな現象での勉強をしてみます。何を恐れ、何から逃避しようとするのか?楽しく思索します。
自分の魂が永遠に生きる、という事実を知って喜ぶ人、ああ、大変だ、と嫌がる人さまざまです。本当のところはどうなんでしょう? 死んでみないと分かりません。もし本当なら、死んだ時、人々はあわてふためくだろうなあ、と思いますが、哲学者の中にも優しい人々が沢山いて、いやいや、そんなに慌てる必要はないと言う人もいます。死んであの世に着いたとき、そこは差別もなく頭の良し悪しもなく、病気もなく、戦争もない、生きている時にどんな人生を送っても、神様は御苦労さまでした、御苦労さまでした、と優しく大事にしてくれるそうです。お釈迦様もマホメッドも色々の宗教家も、あの世ではもはや何の心配もなく、安心して生きていけるそうです。生きているときに不義理をした人に会っても、もはや言い訳をする必要もない、昔、泣かせた10人の彼女に会っても、いちいち言い訳をする必要もない、皆が過去を許しあい、水に流し、互いが、地球ではお互いに大変だったね、と敵も味方も全員で愛し合える世界だそうです。本当かなあ、と心配する人、死んでみないと分かりませんが生きている時、自分の成育史から気に入る哲学、宗教を選択し、真面目に楽しみながら思索しておきましょう。
確かに生き抜く事、生きていくことは大変です。東京での通勤時間の自殺は電車を混乱させ人々の心を暗くします。象さんや野生のねこちゃんは死ぬ時は一人静かにどこかで死んでいくそうです。その姿を見せないと言われています。しかし通勤時間に死んでいく人は自分の死を広く知らしめていきたい、という心境になるようです。あまりにも切なく哀しい心境です。色々あるでしょうが、生きる喜びを意識化し知覚する訓練をしていきましょう。明るく逞しく生き抜いていく意味を意識化し知覚すればこの世が実は天国だ、という事に気づきます。自分はすでに天国に居て永遠にいきているんだ、と意識し知覚している人々も沢山います。この世からすでに天国が始まっていて、或時期、通過儀礼としての自分の死を瞬間味はう必要はあるけれども、それとても瞬間の苦しみ、必要悪、と解釈している人も沢山います。解釈でこの世の意味がどんどん変化していきます。
愛し、愛される、甘えたり甘えられたりの人生はめんどうだ、と言う男女もいます。そう断言する男女を観察していると甘えるという意味を知らないようです。これが甘えですよと笑いながら伝達すると体をよじって笑いだす人と怒りだす人がいます。赤ちゃん時代に十分甘えられないと変な大人になります。素直でないか、意地悪か、解釈が暗いか、こじれたような考え方か、または反面教師の悟りから実に愛情深く礼儀正しい男女になったりもします。人間は幼児時代には何らかの甘えの原型を持っていますが、それが豊かな人格形成に深く大きな影響を与えています。どんな人にも甘えや退行現象の思い出は必ずありますので、その思い出を大事にすると、独特の自分の甘え方、赤ちゃんかえりのパターンが見えてきます。甘えや退行現象がないと人生が破壊していきますので大事にしたいものです。これからも自然体の中でストレスを解消し程々に甘えさせてくれる人間関係を大事にしましょう。
もともと心理療法の原理などというものは学問なのです。学問は大切なものですが、学問以上に大切なのが生身の人間(生命)ですし、その生命原理は現在でも謎だらけです。学問がなくても母親の必死の看病で治療に成功した例も沢山あります。世界の名医が見捨てた心の難病を生みの母の介護で治療に成功した物語も沢山あります。正しい愛情を正しく注ぐ方法は中々難しいものですが、愛し方、愛され方を人類が悩んだ結果、心理療法の原理が生まれてきました。ですから限界を承知の上で治療に当たるわけですが患者さんによっては医者やセラピストを絶対と勘違いしたり、学問科学を絶対と信じている人がいるのには驚きです。人間の権利と義務を勉強した上での甘えが重要で義務を放棄した甘え、権利だけを要求する甘えは社会と人間を混乱させていきます。日々のおつとめを大事にしながら、これからはおおいに甘えて生きていきましょう。甘えさせてくれる異性が一番効果があります。
健全な退行現象と異常な退行現象がありますが、どれが健全で、どれが異常か、はその方の成育史から識別していかないと心理療法家は大きな過ちを犯してしまいます。たとえば豊かな経済力の中で育った人と極貧の家庭で育った人の退行現象は違います。二人が恋愛結婚をします。妻は豊かな家庭に育ち、夫は高学歴ではあるが貧しい家庭で育った場合、二人の新婚生活では甘え方(甘えは一種の退行現象です)が相当違います。食事の内容、趣味のありかた、あくびのしかた、トイレの使い方、愛し合う方法とそのあり方、感じ方の違い、森羅万象の解釈のしかた、具体的な日常生活を分析しつつ異常か健全健康かの識別作業は実に面白い世界です。異常という概念は時代により人種文化により相当違います。人食い人種のではかって人肉を食べないほうが異常でした。しかしアンデスの飛行機墜落現場での人体摂取は精神障害を起こしました。健全と異常の定義はその時代時代で違いますが、あかちゃん返りの退行現象としての職業放棄、登校拒否、育児拒否につながるような退行現象は現代では異常の領域に入ります。この事を暫く思索していきます。
シカゴ大学の私がお世話になつている研究室に、西部劇に出てくるような若い元気な研究生の女性がいました。あとで分かったのですが、石油王の娘でした。実に逞しくて意見を堂々と言う、どうも内容はお粗末なようなのですが、英語が分からない私には、あまりにも堂々と意見を言うので秀才だと思っていました。段々スラングがわかるようになると、この元気なお嬢さんは案外、? だと気付き始めました。その内、私が誰も知らない専門用語を意識的に覚えだしたので、その女性をからかう余裕も出てきました。最初はふん、という感じでしたが、私が使用する専門用語が余程頭にくるらしく図書館で調べている情報が入り出します。そんなこんなで1年が経過すると、もう普通の友人になり、研究生も私に一年前の侮蔑を謝罪しながら友情が生まれだしました。人生の醍醐味です。友情が生まれると益々元気になり私も相当逞しい青年になりだしました。
奮起してシカゴの大学研究室に入ったものの英語がさっぱり分からない、教授もあきれるくらい酷い英語でした。ネイティブが私の英語を笑い、私も笑うので、変な青年が日本からきたもんだ、と話題になり新聞社、ラジオ局からも取材にきたくらいです。当時を思い出すと頭が変になりそうです。さあ、これからですが、人間とは実に恐るべき力を持っているんだなあ、と感動しました。一度決意した道ですし退路を断った人間は予想以外に強いものだと思いました。一切日本語で考える事をやめ、英語で考え始めました。赤ちゃんからのスタートだ、と決意しました。ところがです、好きなシェークスピアの英語が飛び出すので、またまた周囲が腹を抱えて笑いだします、そんな数カ月の間、私もへらへら笑いながら英語、英語の毎日でした。日本には定期的に帰りましたが(企業留学生)当時(1960年)ファーストクラスの食事は最高で綺麗なアメリカのスチュアーデスに感動したものですが、そんな美人を見たばかりに、それだけ、そのぶん、シカゴでの夜は実に寂しい日々でした。しかし心理療法の学問への情熱がめらめらと燃えていて楽し青春でした。
ライオンも色々の動物もある時期になると親は子供を捨てます。物陰から見ている動物もいれば子供を谷底に落とす動物もいます。人間でも賢い親はある時期、子供に引導を渡します。私もある時、父親から親子の縁を切られました。私は大いに奮起し一人で海外の大学に飛び立ちます。それ以来、両親に頼る事は一度もありません。縁を切られても数年のうちにその事件に触れることなく元通りの仲のよい父と息子になりました。さて心理療法の理論では3つに分けて事例を分析していきます。(1)アイデンティティーの統合に病的な乱れはないか?(2)心の防衛機制に病的な乱れはないか?(3)現実吟味力に病的な乱れはないか?、以上の3つについて治療していきます。私の場合は(1)に病的な乱れがありました。考え方を変えて一つの道に絞り込み退路を断ちましたら道が拓けました。負けるものかという決意のない男には道はありません。
理想が高く理性尊重、感情をくだらないものと考えている人も沢山います。五感と体感を無視するとどうなるか?必ず自律神経を痛めてきます。大脳細胞は実に良く出来ていて最近の研究ではDNAからのシグナルでさえ重視する学者もいます。人間の身体はいつもサインを大脳に送り続けています。このサインを神経症的にではなく自然体で知覚する方法は色々ありますが五感と体感を割と楽に体得出来る訓練方法として太極拳を推薦出来ます。一度、良い先生のもとで太極拳を楽しんでみて下さい。自然体で何かを感じ取る事が面白くなりだします。そうすると身体からの色々のサインが実に正確な事が分かり出します。下記の動画は上海の世界大会で優勝された方の素晴らしい演武です。
赤ちゃんとして生まれて今日までの人生記録を心理学では<成育史>と呼び、とても大事にしています。記憶にあるもの、ないもの、無意識の世界にあるが中々意識化されない悲劇もあります。幼少期、幸せな日々をおくっていたのに子供をおばあちゃんに預け両親だけでドライブに行き交通事故で即死されたa子さんは、幸福な気分になると何故か不安を感じる自分をおかしいと思って治療を開始しました。それもこの事例です。幼児なりの幸福感の流れが突然両親が居なくなり寂しい孤独感に支配された幼児期の思い出などありません。覚えているはずもない幼児期ですが、感情だけは大脳の残っています。誠実な恋人が現れ幸福な感情に満たされると、何となく不安になるお嬢さんがいますが、いづれもこのような背景があるようです。幸福だったものが突然無くなる、この幼児体験はとても重要なもので、意識化し知覚すると、この不安感から解放されます。