私の身近には努力して笑いの種を探す人が沢山居ます。その職業も様々で、外交官、医者、宗教家、主婦、会社員、学校の先生、色々です。その中でも1924年スロベニア生まれの神父さん~第二次世界大戦、神学生時代に次の銃殺は自分、と言う時に、塀の外の暴発事件を契機に逃げ出すチャンスを掴み、アルプスを越えてスイスに逃れ、バチカンを経由して日本に来て、大学で哲学を教えたり、つい数年前まで、山中湖を泳いで往復したり、平和になつた故郷の大学で日本の歴史の話をしたりしている某神父さんは日々の生活の中で笑いの種を探し自分と周囲を明るくしている方です。この方と会話するとこの世が明るく爽やかに見えてきて元気になるのが不思議です。
愛の感じ方、パターン、傾向、癖は人類の数ほどあるようです。愛を感じるパターンは人により相当違います。その遠因は生育史が違い、かつ愛の原型(幼い頃の愛され方の違い)が違うからです。どんなに誠実に愛しても、相手の愛の原型に触れない限り、相手は愛を感じません。相手がどんな時に、愛を感じるかを話し合い、確認しあわないと、愛は伝達できません。ウマが合う、気持ちがぴたりと合う相手と愛し合えば幸せな人生を送れるでしょう。愛の原型は全人類の数だけ存在していますので、大切な人と時々、どんな時に愛を感じるか確認しあいながら生きていく必要があります。しかし不思議な現象ですが、類似した愛の原型の男女の結婚よりも微妙に違う愛の原型を持つ者の結婚の方が変化があり、新鮮な生活が永続するようでもあります。