日常生活での身辺に生起する森羅万象(人間関係、事件、地球上の諸現象などなど)をどう解釈するかによって人は幸福感を感じたり、不安を感じたりして生き抜いていきます。親友の怒りと言う現象をどう解釈すべきか、この解釈いかんにより人は心の病気になつたり、逞しい政治家になつたりして生きています。自分を幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)にする解釈だけは、自分の努力と知恵からでしか獲得できません。身辺にそのように解釈出来る友人がいると、世界がどんどん良い方向に変わるのですが、類は類を呼ぶ、で暗い解釈をするグループ、明るい解釈が出来るグループと、何故か分かれてしまうのが現実です。明るい解釈をする方法をこの生き甲斐の心理学から学んで下さい。デジデリウムを信じると明るい解釈が出来ます。信じて見えてくる世界は自分の身近、自由意思に存在しています。
本能を抑圧したり抑制したりすることで健康になったり、逆に健康を害したりしますが、この抑制の在り方は本人が悟る以外方法はありません。楽しい人生の目標を定め、その達成に向けて苦労したり修行したりする喜びを知らない人々は必ず滅んでいきます。求めよ、さらば与えられん、努力もしないで良いものは手に入るはずもありません。楽しみながら努力する、この生き甲斐を知ると、どんどん自己実現への道を歩み出せます。ここでは性欲、食欲の話題は世間に満ち溢れているのでデジデリウムについて思索していきます。このデシデリウム(DESIDERIUM)は19世紀までイギリス、フランスの大学で教えていましたが、科学万能の時代になり何となく消滅した考え方ですが、また、欧米の一流大学では復活してきたようです。人間が持つ宗教心のことです。見神慾とも訳されています。この本能を抑圧すると神経症、精神病、人格障害の遠因となりますが、どういう抑制をすると病理が生まれるのかを思索していきます。
<今日一日での自分のありようが人生を決める>。そう言われれば、そうなのですが、案外真剣に人はこの怖さを考えていないようです。昨日まではもう過去のもの、明日はどうなるか誰も分かりません。今日一日をどう時間配分して生きていくか、これが自分の人生を決めています。こう考えるとおちおち昼寝もできませんが、ここがまた楽しいところで、自然体で悠々とわが道を歩み自己実現への道を楽しんで生きている人もいれば、せこせこして焦る割には何もしない人もいます。この違いは何処からくるのでしょうか?自分は何の為に生きているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の魂、心、身体を大事にしているか、この3点を意識出来ている人は自然体でも成功しているようです。
森羅万象の解釈は人により相当違います。特に自分が自然体で感じたままの解釈を他者に話す時、その解釈を素直に聞いてくれる人と馬鹿にする人がいますが、馬鹿にする人には二度と素直に自分の気持ちを伝えることをしません。さてこの写真の萩は私にはとても心地よく美しく見えます。皆さまはいかがですか?秋風が吹くとこの萩はゆらゆらと怪しく揺れ出します。まるで怨霊のように動くこともあれば、また逆に、楽しそうに幸せに、笑っているように動くこともあります。美しい香りを流すかと思えば、哀しそうに涙を流していることもあります。同じ萩ですが、私のその折々の感情を反映させています。私の感情を鏡のように映し出してくれる萩の風情、この萩は私の喜怒哀楽の感情を全部吸い取ってくれます。不思議な萩です。この萩を見ていると私は自然体になれます。思い入れの花や木は人を豊かにしてくれます。近所の神社の古い木、お気に入りの花や木を大切にして、その好きな花や木の前で心をさらけ出すと人間の心が自然体になれます。
どの分野でも自然体がいい、と自然体を大切にしていますが、この自然体は武道でも演劇でも学問でも本当に難しいものです。海外で飛行機事故に遭遇したことがありますが、その時のあわてようは今、思い出しても恥ずかしい。胴体着陸でしたがその現場は酷いものです。着陸するまでの機内風景ですが高齢者の一部に見苦しいものがあり航空会社のスタッフに向けて今更言ってもしかたがない言葉を汚くぶつける人など人の死に際を色々見ることが出来ました。私の隣席の方は何故か即死。私は第二次世界大戦の戦場を知りませんが、この飛行機事故の現場は戦場のようです。以来、どんな場合でも見苦し姿だけは人に見せないよう注意していますが、生身の人間業をしている限り見苦しい姿を露呈しているようです。人間である限り死ぬまで駄目なようですが何とか努力して慌てず騒がず、いつも自然体を保持したいものです。これから暫く自然体とは何かを思索していきます。
長年、私の原稿を美しい声でラジオやテレビで朗読してくださる女優さんに心から感謝しています。時々pcから自分の文章を反省する為に拝聴したり観たりするのですが、朗読する女優さんの美しく澄んだ声の自分の文章があたかも他のどなたかの考え方のように聞こえてくることがあります。五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)が、その日により相当ちがっているので、自分の文章でも,聴いている自分の、その時々の感情で解釈が違ってくるのが不思議です。その時の自分の感情の在り方、喜怒哀楽の状態の違いで、解釈が何故、違うのか、その原因は私にはよくわかりませんが、朗読されている女優さんの苦労のほどがしのばれます。新聞やテレビで聴く色々のニュースの解釈をこれからはどう受けて止めていくかにより、その日の私の幸福感が左右されているにに気づき愕然としました。真実は大切ですが、解釈いかんで、こんなに左右される自分を深く反省している日々です。
心の優しい人、はったりをしない人、小心者、線の弱い人、あれこれ世間の人は弱者を馬鹿にします。どんなに才能があり元気でも人生のある時期、人は自信を喪失し、なよなよするものです。さて自分の成育史(赤ちゃん時代から今日までの個人史)を否定的に解釈している自分がいたら、この時ばかりは断固として力(りき)を出し、奮いたちましょう。自分史は世界で一番大切なものです。この自分史の中味を暗いものでも明るいものでも自己肯定的に解釈する方法を<生き甲斐の心理学>は教えています。どんなに罪深いものでも、嫌なものでも<生き甲斐の心理学>にかかると肯定的に解釈出来ます。何故自分史を暗く解釈してしまうのか、その理由をこの心理学は示唆しています。自分の成育史を肯定し大いに進軍ラッパを吹きならしながら堂々と生き抜いていきましょう。暗い自分にも深い意味がありますし、明るい自分にも意味があります。人生、山あり、谷あり。その変化があるので生きるのが楽しいのです。
自分の成育史の中の<劣等感、罪の意識、自信喪失>を早急に解決しておくと、リラクゼーションが生まれ、平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感が生まれてきます。人間には面白い傾向があります、それは何かを信じると、何かが見えてくる傾向です。信じると見えてくるものもあれば、信じた為に、何かが見えなくなる場合もあることを人は知っていないと悲劇が生まれます。サリン事件を起こした人々は何かを信じた為に悪が見えてきました、そして地下鉄で彼らの正義を行う為に、罪のない人々を対象にサリンを散布します。このような歴史はヒットラーや政治的な独裁者の正義感にも見られます。信じてみえてくるもの、信じてみえなくなるもの、この心理を人類はしつかりと意識し知覚して生きていきましょう。