親のお金で食べている30~50代の人々が増えていますが、何故でしょう?心の病を治療するのは難しいのですが、或事例では<一人で食べていける生活設計>を治療目標にしたおかげで、どんどん良くなつていったケースがあります。このように現代の日本社会では<食べていけるか、いけないか>と言う問いかけを笑う人々が増えています。これを笑う思想が30代になっても親に食べさせてもらいながら平然として反省しない人間が増えている原因の一つです。<食べて生き抜く努力>は人類発生以来の大問題なのでこの基本を人生の一番大きな問題として意識する必要があります。親に世話になるのは、大学まで。子供のころから、そのうち、放り出されても生きていける教育を受けている子供達は幸せ。
理想、夢を追求する人生は楽しみとスリルに満ちています。そんな途上、いつのまにか色々の枝葉が無意識の内に団子のようについているのに気付きます。理想と夢を本気で実現化するにはその枝葉を捨てそぎ落とす勇気に最近気づきだしました。何を捨てればその夢が実現しやすいかは人により違います。私の場合は、ここ数年、自分の学友が、どんどん死んでいく現象に過剰反応をしていた自分が原因でした。学友の死を嘆き悲しむのは当然ですが、自分は元気なのですから、あえて自分を追い込む必要はないわけで、考えすぎの自分を反省している内に、自分は自分と割り切り、もとのように元気が出てきました。考えすぎの自分に気づかせてくれた人に感謝です。明るく元気に爽やかに生きようとする私を邪魔したもの、恐ろしい敵は自分の心の中にありました。今日の命に感謝です。
自分が死んだらどうなるのか?魂はあるのか、ないのか、天国や地獄って、本当にあるのか、難しい哲学書はあるのですが、本当のところ、死んでみないとわかりません。死んでみないと分からない、と勉強会でいいますと、講師の信用はなくなりそうですが、世界にある名作は、色々のことを書いていますが、本人が天国からもどってきた人間ではありませんから、心の中では、ふん、とおもっているのもまた真実です。こんな疑問を人類は誕生以来、思索している証拠にギリシャ神話や聖書等、数千年、愛読され続けています。現代人も、必死で思索し、この自問自答に納得しようと努力しているわけです。面白いことに、比較文化論と比較宗教学に基づいた心理療法という学問分野もあるのですが、そこでは「信じて見えてくるもの、信じてみえなくなるもの」という研究があります。神の存在、魂の存在は科学者にお任せしてはいますが、人間は何故か、信じると見えてくるものも、確かにあります。見えてきて納得しますと、もう、いちいち人には言いません。安心して息を引き取る人も沢山います。あの世があるかどうかは、信じる道以外、ないようです。ここに人生の難しさ、面白さ、単純さがあるようです。信じる者は救われれるようです。
体験の解釈を変える事で、日常生活での感情を相当変化させることが出来ます。重要なことですが、何となく人々を不安にする新聞、テレビ情報を日々、どう解釈するか、その解釈の視点が自分はどうなっているかを再確認してみましょう。意識していませんが、ほとんどの人が新聞、テレビの情報で不安感を支配されています。暗い気分にさせられ大切な自分の人生の平安感をマスコミに支配されています。この人間心理を巧みに応用したのがナチスですが、現代でも冷静に分析すると大きな国が世論を支配しているにが分ります。世論操作をするその政権のスタッフには優秀な深層心理学者が居ることを知っておきましょう。ダライラマ14世、中国の香港での動向を見ていて下さい。誰が一番世論支配しているかが、手にとるように分かります。