生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

無意識の世界からの投影

2013年01月31日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
「生き甲斐の心理学」を学習していると、時々「無意識の世界からの投影」という言葉が出てきます。この心の仕組みを知っておくと自分を虐めるような事、例えば修行が足りない、人間が出来ていない、学歴不足、経験不足等など。この反省は大事ですが、暗い気分にさせるくらい自分を追い込んでいく人を見ると、私はとても哀しくなります。無意識の世界は確かに存在していて、その中に人生での難問への答えが存在しているだけに、この心の仕組みを意識化する必要があるのです。意識してしまえば、もやは、それは意識の世界。無意識の世界に必ず自分に相応しい答えが存在している、と信じるだけで、人生が明るくなります。さて、どうしてその答えを意識の上に出していくか、ここが難しい所、人により意識化する方法が全部違いますが、明日からこの仕組みを考えていきます。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:27>

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幸福感の原型

2013年01月30日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
しばしば自分は不幸だ、という方にお会いします。心の仕組みを意識化しておく必要があるようです。朝、目が覚める、その時、憂鬱な気分が出たら、すぐ、この心の仕組みを思い出し、手を打つのです。その心の仕組みとは例えば「あーあ、めんどくさい、今日も、ばたばた生きねばならない」と暗い感情が起きたら、朝だけはその暗い感情を抑圧するのです。普通、感情の抑圧は健康を害しますが、この月曜の朝だけは、暗い感情を抑圧したほうがよさそうですし、必要があるようです。そして無理をしてでも、何か気分が明るくなるような過去の思い出、特に幸福なイメージ(幸福感の原型)を思い出すと、何故か、その一日は幸福になるようです。人は考えた通りの人間になる、月曜は忙しい朝ですから、事例を思い出そうとすると電車に遅れますので、常にブルーの気分の時は、これを思い出そうと一つ、二つの事例を準備しておくのです。私は幸せだった2010年のパリの旅を思い出すと、たちまちにして幸福感を味わえます。特に月曜日は大体、皆さんブルーなので、是非、月曜や休日の翌日には思い出しても幸せになるような場面(幸福感の原型)を準備しておいて下さいませ。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:26>

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何故、樹海に走りこんでいったのか?

2013年01月29日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
松本清張さんの小説・波の塔の主人公 結城頼子さんが何故、樹海に走りこみその人生を閉じたのか、本当に残念でした。小説とはもうせ切なく哀しい愛の物語でした。体験の解釈を変えれば美しい人生が展開したのに、と残念です。人それぞれが経験する辛いこと、哀しいこと、嫌なこと、何故、そのような事が身辺に起きるかと言いますと、それは永遠の幸福な世界に、永遠の生命に入る為の試練だと解釈したほうがいいのです。その為に人類の祖先達は色々の神話や民話、伝説、宗教を命がけで誕生させました。現代の私達人類はその遺産を侮蔑したり嘲笑したり軽く扱つかっては宝物をどぶに捨ててしまうこととなります。その精神遺産を大事にして、その知恵をもとに体験の解釈を変えると世界が明るく変化していきます。一度、素直に解釈論として挑戦し、その真理を体験してほしいものです。さてこの小説の作者がどう思って頼子さんを樹海に走らせたか、その真意は知るよしもありませんが、私は確信します「恋する人への愛の為に自殺する愚かさ」をこの小説は教えています。愛する人の為には生き延びねばなりません。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:25>

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「絶望」という感情

2013年01月28日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
小説「波の塔」のキーワード:生き甲斐の心理学から見た一番の問題点は「絶望」です。いかなる人生でも自分からした思考とその結果について反省は必要でしょうが、湧き出す感情・絶望感から、自殺するような思考は大きな過ちです。殺人から自殺までを含め、そこまで自分を追い込む思考の内容について、もし、自分の思考内容を反省して自己否定するならば、その考え方は間違っています。どんな反省でも、最終的に自分を許していかないと、多分、人の過ちをみて、その人を自殺に追い込むタイプの人間になるでしょう。どんな事情があるにしても、最終的には自己肯定・他者肯定の思考で納めていく人生を歩みたいものです。キリスト教ではこの人類の絶望感を贖罪という思想で解決しようとしています。どんな聖人君主でも、日本文化の中で流れている重要な意識:汚れと禊:から見た場合、誰にでもあるものですが、キリスト教では贖罪と復活の思想で人々の心の幸せにしようとしています。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:24>

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波の塔

2013年01月27日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
松本清張さんの小説の話です。一時期、富士山麓の樹海での女性の自殺があり、枕元にこの小説がしばしば見つかる、という事件がありました。この小説を読む契機があり、今、下巻を読んでいる最中です。ここに登場する結城頼子さんは素敵な女性ですが、悲劇の主人公で、とても切なくなる物語です。この小説を読む契機は「謎の宮下文書」という古代史が契機でした。大和王朝が誕生する以前に、富士山のふもとに古代の王朝があった、という書物です。さらに松本清張さんがこの富士王朝を小説にしている、といううわさを聞き、私は数カ月、その小説を探し求めたのです。福岡の松本清張記念館にまで電話をかけて調べてもらいましたが、結果としては、どうも無い、という事で、非常に残念な思いをしていました。その小説の探索をしているインターネットで検索すると、必ずこの「波の塔」が出てくるのです。えいやあ、と買って読みだしましたら、この悲劇のヒロイン:結城頼子さんの人生に触れた次第です。この古代王朝を調べていたさなかに出会ったこの小説は心理療法を職業としてきた私を或意味、愕然とさせています。この結城頼子さんと自分の人生を重ねて、明るく元気に生き抜いた人と、同じ樹海に人生を終えた人(昔の私のクライエント)を思い出したからです。解釈の違いで生命が伸びたり短くなったりするのです。この小説は何とも恐ろしい小説だなあ、と今、感じています。クライエントと重なってしまうと、何とも切なく、昔の私の挫折感が湧き出してきます。しかし、今、ここで、読むのを中止したら、私は更に挫折するので、愛である神様に祈りつつ、最後まで読みきり、明るく元気に人々が生き抜けるよう努力しなければなあ、と思いました。松本清張さんの小説・波の塔:は何とも恐ろしい小説です。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:23>

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信じて見えてくるもの

2013年01月26日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
どんなに学問を積んでも見えないものがあります。それは「神は愛なり」という考え方です。人類の歴史や現在の世界を見ると、愛である神様が何故、こんな悲劇を人間に与えるのだろう、神様が人類を愛していれば、こんな悲劇は起きるはずがない、と思います。しかしそれでも神様の愛を信じると、悲劇の中に神の愛が見えてくる場合があります。どんなに時間をかけてみても信じないと見えてきません。確かに歴史を見れば、何故、こんな残酷な事件があるのだろう、神が愛ならば、こんな残酷な事を地上に許すはずがない、と思います。私も海外の暴動に巻き込まれ身近に親しい人が死んでいくのを見ました時に、神は存在するのか、と叫びましたし「神は愛」などとは嘘だと叫びました。しかし今は色々の体験をしましたが、神は愛なり、と信じています。何故でしょうか?信じると見えてきたものがあり、見えた以上、どんな悲劇を見ても神は愛なり、と思えるからです。例えば自分の死ですが、この死は永遠の生命への通過儀礼だと信じますと、現在分からないこれらの疑問は死んだ後に全て分かるだろう、という平安感が優先して私の心を支配してしまうのです。死んでみると生きている時の疑問全てがわかるに違いないと確信してしまうのです。今、分からなくてもいい、と思ってしますのです。それでも神は愛なりと信じていきていこうと明るい気分になるのです。信仰と学問は違います。信じる世界は信仰の世界なので、学問の追求と信仰は全く次元に存在しているようです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:22>

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倦怠感の発生源、その3:魂から

2013年01月25日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
倦怠感の中でも誰でもが所持している魂がそのご主人様の幸せの為にあえてうづかせる場合があります。どういう場合かといいますと、何の為にいきているのか、生き甲斐は何か、死んだらどうなるのかの問題意識を持たせ臨終の時に、あーあ、若い頃から自分の死について、もうすこし真面目に考え居れば、こんなにばたばたしなくてもいいのになあ、と思わせないためです。この永遠の生命に関する領域での哲学問題はなかなか難しいのですが、避けて通るほどにいつまでも倦怠感、生き甲斐喪失問題では長く尾を曳きます。解決は簡単です。魂は愛そのもの、永遠不変なもの、病むこともなく老いることもない、臨終とともに身体から離脱する知的生命体である、という哲学もあるのだ、と思えばそれで十分です。信じると見えてくる世界があります。どんなに学問を積んでも見えない世界があります。信じると見えてきます。信じると見えてくる信仰の世界というものがこの地球にはあるのです。信じると見えてくるもの、信じると見えなくなるもの、恋は盲目、信仰の内容いかんで、恐ろしい問題が起きる場合もありますが、その信じる内容や対象を研究する、これが比較宗教学の面白い所です。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:21>

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倦怠感の発生源、その2:身体からのもの

2013年01月24日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
身体からくる倦怠感なのか、成育史からくるものなのか、なかなか識別しにくいものですが、難しく考えないで、ひょっとして年齢からくる生理現象かなあとか、遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌からくる何らかの医学的事情かなあ、と考えるだけで、倦怠感の正体が見えてくる場合があります。もやもやするカオスの世界が一番人を駄目にし自信を喪失せしめ希望を持たせてくれません。人格的な意思力の欠場だ、性格が弱い、駄目人間だ等と、自虐的にならないで、とにかく、成育史からか、身体からか、魂からか、と3つの視点から考える習性を身につけると面白いほど、物事が見えてきます。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:20>

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倦怠感の発生源、そのⅠ:成育史が原因の場合

2013年01月23日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
私の友人でとても解釈の暗い友達が一人います。学生時代の貴重な友人なので、愛想をつかして付き合うのはやめた、というわけにもいかなので、我慢することも多いのですが、とにかく暗いのです。しかしとても優しくて命がけで友達の為に尽くすので結構長続きしているわけです。言い古された例ですが、1本のボトルに半分の水があります。或人はまだ十分にある、と希望を感じるのですが、その友達はもうない、と絶望的に解釈するタイプです。多分、死ぬまでこの傾向は変化しないでしょう。解釈を変えれば人生も明るく解釈できるのですが!

:<比較宗教学の視点からの心の旅:19>

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倦怠感を感じた人からの質問

2013年01月22日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
時々「全てが嫌になった、どうしたらいいでしょうか?」と聞かれます。現在の世界の人口は70億人だそうですが、この倦怠感というか、生き甲斐喪失の内容は、70億の種類がありますので個別にキチンと拝聴していかないと「生き甲斐の心理学」では答えようがありません。共通して断言出来る事は、今、その人は全てが嫌になつている事です。嫌になる、という内容は3つの発生源があると言われています。魂からのうづき、成育史からの発信、年齢による身体からのシグナル、この3つのどれから来ているのかなあ、と識別する事から始まります。この3つから来ている事は間違いありませんので、まずは、どれかなあ、と思索開始すると、身体は何となく、その答えのありかを教えてくれます。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:18>

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哀しい出来ごとを、どう受け止めたらいいのだろう?

2013年01月21日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
太極拳の仲間が同時に、いつのまにか金剛流の謡曲を練習するようになりました。太極拳仲間で筑波山へバス旅行した時に、その中にお能の先生がおられ、それがご縁で太極拳の仲間が謡曲にも手を出した次第です。昨日は「橋弁慶」でしたが、その練習時間よりもその後のお茶の時間のほが長いのでなかなか私は上達しません。しかし楽しくてたまりません。お茶の時間の会話の一部は、某所でのテロリストの話になり切ない会話となりました。フランス革命、ロシア革命、その他の事件、何故、このような人質を殺戮するような事件が起きるのだろう、という切ない会話でした。結論は自分達の身近で、それなりに平和構築に努力しよう、という当たり前の結論ですが、遠く離れたアフリカの事件ですが、普通の私達市民に出来る事は、平和解決の為の「祈り」しかないようです。平和の為に祈る、という行為は何か価値がないように言う人もいますが、祈らないり祈るほうが、祈る人自身に恩寵がくだるようです。何も出来ない立場の私が祈ると底知れない力と知恵が湧き出すのです。このようなアフリカでの事件では、何も出来ずに祈るだけですが、今後とも、世界の哀しいニュースに触れた時、祈りをささげたいなあと思いました。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:17>

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心に湧きだす知恵

2013年01月20日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
不思議なもので心が或状態になると次から次へと泉が湧き出すように知恵が浮かんできます。これは自分に才能があるからではなく人間の身体に備わっているシステムが自然に働きだすからです。どんな状態かと言いますと、例えば大自然の大地から直接湧き出す温泉につかり周囲の風景に感動している時が、この代表的な知恵が湧き出す事例です。防衛機制が働いてなく心が自由な時に、この泉が湧き出すのです。心が自由、という事は一時的な現象かもしれませんが、何者にも固執していない温泉の気分、この時、または、その後にふーっと気付く知恵が私に大きな幸福をもたらしてくれています。これを恩寵と呼ぶ人もいれば人間の素晴らしい能力と呼ぶ人もいれば色々の神々からの恵みと呼ぶ人もいます。長い人類の歴史を学ぶほどに、この知恵の定義を様々な文化、宗教がサムシンググレートに結び付けて書いています。自分の能力だ、と自慢した途端にその人の人生が破綻していく歴史も面白いです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:16>

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悔いのない人生

2013年01月19日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
今、生きている70億の現代人が全て悔いのない人生を歩めるだろうか?その内の何パーセントが臨終のときに感謝しつつ息を引き取るだろうか?この答えは誰も知らない。しかし知らないといって放置出来るテーマではないような気がします。不可知論だとは理解出来るのですが、身近な友達の悩みを見れば放置できません。何とかしたいと思うのが人情でしょう。これに対する私の答えは「信じて見えてくるもの」以外には無いと確信しています。魂が無いと信じている友人は自分の死とともに世界が消滅する喜びを語ります。しかし死んだ時、もし魂があり、愛である神様に遭遇した時のショックは本当に気の毒です。愛である神様は優しく迎えてくれるでしょうが、私は生きている内から愛である神様を信じて死にたいと思います。信じて死んで、それで何もないならば、それはそれでいいのです。生きている間、死んでも魂があり、愛である神様に出会える喜びを何十年も感じて生きたのですから、それはそれでいいなああ、と思うこのごろです。悔いのない人生を思索する場合、自分が所持する魂を避けると、この「悔いのない人生」という永遠のテーマは、どんな悟りを得ても空しくなる危険がありますので自分の死を正面から見据えた思索をしていただきたいと思います。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:15>

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どの道が自分を大事にするのだろう?

2013年01月18日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
ふと不安になる、人はその時、どの道を選ぶのが良いのだろう、と。いつも不思議な想いでこの分岐点を考えています。或時は、なじみの道を選んで歩いたので、心が平安感を感じたまま歩けるのですが、なにか物足りなくて、少々冒険をして別な道を走りだします。そうした冒険をしたばかりに、大失敗して、立ちあがれない時がありました。こうして段々と知恵がついてきて、身分相応の道を選びながら今日に至りました。どの道を選ぶかは、その時の気分と健康度と願望の激しさ、熱のいれようで選んでいるようです。死んでしまいそうな選択と冒険をしたこともありましたが、何とか今日、健康で明るく元気に生きているという事実は、私なりに自分を大事にしてきたのでしょう。これからも、心の病気にならないように、健康を害さないように手探りで少々、冒険をしながら悔いのない人生を選択していきたいと思います。エレミヤの書・6章は、こんな道の選び方を書いていますが、生き甲斐の心理学を真似して書いたのかなあ、と思うくらい古代の人々も同じような事を考えている、と可笑しくなりましたが、考えてみれば欧米で研究した心理療法理論は新旧の聖書が背景にあることを私は改めて確認し、比較宗教学の面白さを再確認した次第です。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:14>

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蛇の脱皮神話と新しい人となれ、という神話

2013年01月17日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
あちこちの世界の神話に時々、蛇の話が登場しますし、その脱皮の話を美しく描く神話もあれば、なにか気味の悪い話として書き遺している神話もあります。要は人間はマンネリズムに陥ると碌なころにならないよ、日々新鮮な心でイキイキと生きていこうね、と言いたいわけです。努力してやっと生きざまに安定感を与える指針や哲学を完成させたので、数カ月とか数年はその安定感のまま、堂々と日々を生きていくのですが、自分を取り巻く歴史環境はどんどん変化していきますので、時々立ち止まり点検しないと何となく、あれ変だなあ、と思うようになります。再点検すると「努力して確立した指針・哲学」の一部を、あるいは全部を脱皮させる必用を感じますが、人はそう簡単に新しい人にはなれません。昔の自分の成育史に固執して悶々とする人、サラリと新しい人になれる人、人生は不安が本質だ、という事に改めて気付きます。人間の本質は安定ではなく、不安、という真理を改めて悟り、覚悟します。改めて不安定な自分を安心させてくれている信仰の力に感謝しています。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:13>

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