患者さんとお話してみて、何と良い人だろう、と感激します。自分の善さ、悪さ、不安、怒り、不満なところを正確に意識している所は健全ですし、好き嫌いと言う五感上の意識は明確です。人は互いに欠点だらけなので互いに許しあわねばならない、とも思っています。しかし何故か、眠れない食欲がない、という身体症状が出てくるので私を訪ねてきたわけです。宗教家に多い症状ですが、私は救世主病と名付けています。善人で立派な人格者ですが、人間と神を混濁した病気になりがちなタイプです。世のため、人のため、に働きたい情熱は立派ですが、少し勘違いするとこうなります。自己肯定、他者肯定の思想がありながら、心の病になる事例です。神仏への敬愛が強いために、神と自分を混濁している事例です。理想と現実の混濁、つまり、こうありたい理想と、なかなか理想通りいかない生身の現実の人間である自分が、混濁していて、小さな、かつ、矛盾だらけの自分という現実を素直に認めていない場合の事例です。
何事も、一概には言えませんが、案外、本質に迫れる考え方として下記の考え方があり、経験上、私は大切にしています。さて、生命を殺戮する場合、他殺、自殺があります。その背景は色々ありますが、その遠因である<欲求不満>は3種類あります。一つは<自己肯定、他者肯定>という範囲での殺戮。二つは<自己肯定、他者否定>の関係でのもの。3つ目は<自己否定、他者肯定>での殺戮。暗い話で恐縮ですが、欲求不満という範囲でも事例を解決し、人々が幸せになるための分類を上記の考え方で整理していきますと、案外、簡単に、殺戮の遠因にたどり着けます。繰り返し同じ悲劇を起こさない為に(他者を傷つける、自分を傷つける悲劇、この3つの分類を大切にしてほしいなあ、と思います。
今日のタイトルはイギリスの大学での心理療法の試験問題です。死に行く人々から、死んだら、どうなる?と言う真剣な問にたいしてケアをする人々は誠実に答える義務があります。比較宗教学の世界ばかりでなく、日常生活でも死んだらどうなるか、と平素考えておかないと、いざという時、見苦しい死に方を人々に見せることになります。五感という概念は生きているこの世の言葉ですが、あの世の魂はこの世以上の喜びがある、という思想から考えると香りなどの五感以上の喜びがあるのでしょう。自問自答では魂は香を感じるか、と思索しますが、不可知論でもありますが、五感以上のものがあの世にあるらしい、と思えば何となくこの疑問も解消していきます。永遠の課題ですが、思索する価値のある領域です。