生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

愛する方法を知らない人

2006年10月31日 | 第1章:愛の領域
成田離婚、どうして赤ちゃんを愛したらいいの?、と言う現象はいずれも<愛する方法を知らない人>の領域の問題です。結論から言いますと昨日のブログの3つの原因と同じで(1)自分勝手で憶測しがちな人(2)気取った気分やさん(3)臆病で心配がり屋、この3つのタイプがやはり今日の思索の対象となる性格の人々。ワンポイントレッスンは理解していただけるように少々大げさな表現をしていますが、真実のポイントをついていますので、思索の契機にして下さい。<愛される方法>と<愛する方法>も全て生育史上の<愛の原型>に問題があります。動物は初めての出産でもこの二つの方法を知っているのに人間は知らない、何故だと思いますか? 大脳の仕組みが違うからです。人間には<愛の原型>をキチンと意識した上で<愛し愛される訓練>をする必要があるのです。愛は訓練なのですが、それを知らない人が多すぎます:<NPD1:24-2>:

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愛される方法を知らない人

2006年10月30日 | 第1章:愛の領域
赤ちゃん達は勉強しなくても愛される方法を本能で知っています。でも20年後、病院を訪れてくる青年男女の内、或種の人は愛される方法を知りません。何故でしょう?どんな悩みを訴えるか、と云いますと<愛を感じない、どうしたら愛を感じられるのでしょうか?>と質問してきます。この質問をしてくる人はほぼ完全に治療できますが、質問しないで下記の状態の人は大きな問題を抱えたまま人生をいきていく事になります。どんなタイプかと云いますと(1)自分勝手で憶測しがちな人(2)気取った気分やさん(3)臆病で心配がり屋さん、以上の3点が特色です。今回はこの領域を思索します。:<NPD1:24-1>:

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負けるが勝ち

2006年10月29日 | 第1章:愛の領域
(負ける)と言う言葉は哀しい響きがあります。しかし愛の世界では、或場合は大きな喜びとなります。理性では負けた、と思うのですが五感と体感では大きな喜びを感じてしまうのです。心の傷になるか豊かな愛となるか、の大問題なので今日のワンポイントレッスンは大切な点です。何の話しをしているか、と言いますと恋人がNPD1の傾向がある場合の話しです。NPD1だと分かっても別れたくない場合は治療する必要が出てきますが人格障害的な事例ですので医師は相手にしてくれません。恋人が対応するのが最良のお薬です。その対応方法を学習し、相手に告げた上で対応する時、理性では(負け犬)の気分に時々させられますが五感と体感では喜びを感じるようになります。その方法とは愛に徹する事です。期待しない無償の愛を一年継続し、それでも相手から感謝されない場合は交際を止めましょう。この勇気ある別れはNPD1には負けたが人生には勝ったのです。:<MPD1:23-5>:

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戦う相手は誰?

2006年10月28日 | 第1章:愛の領域
戦う相手が自分の心なのか、他者なのか?この選択を誤って転落の人生を人は歩みます。さらに、折角、正しい判断をして、自分ではなく他者が戦うべき相手だ、と決めたのに、その人がNPDの場合は残念ながら悲劇が始まります。しかも勝ち目がありません。長い闘争の結果、幸に完璧に相手を叩き潰した場合、相手は自殺する危険があります。自殺しなくても数年にわたる陰湿な復讐を受けるでしよう。6つのNPDの症状を同時に備えた場合、自己愛パースナリティ障害と診断されますが、その内のNPD1(病的な誇大感)を中心とする相手の場合は、権力と個性を無視されると激怒するタイプなので、あなたの戦いは不毛の戦いに発展していきます。これからどんどん増えてくるNPDを識別する訓練を真剣にして互いの幸せを確保しましよう。<NPD1:23-4>:

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負のエネルギー

2006年10月27日 | 第1章:愛の領域
最終の診断は大学病院などの先進的な専門家による診断が必要ですが、どの事例も、心の病が重い場合は負のエネルギーが強くなっています(Yさんとします)。こちらが健常者の場合、Yさんと真剣な会話をしていると、こちら側のエネルギーがどんどん吸われ顔から血の気が引いていくような感じがします。自分より陽の気が強い人と会話をすると元気を貰えます。健常者同時の場合は吸われたり与えたり交互に繰り返すのですがNPDの場合は吸われっぱなしです。NPDの治療は時間がかかりますし素人は難しいのですが愛情があって、かつ専門知識を身につけ、応用訓練を受ければ可能です。問題は相手がNPDだと知らないでこちらがドンキホーテーを演じ続けてしまうと人生を無駄にしてしまいます。私のテキストを読みながらこのブログで勉強して下さい。NPDによる負のエネルギーは想像以上に強いので、時間をかけて吟味力をつけましよう。愛が足りないとか自分を虐めないようにお願いいたします。:<NPD1;23-3>:

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堂々と逃げる勇気!

2006年10月26日 | 第1章:愛の領域
相手がNPDだ、と知りつつ戦う人が居たとすると、その人には必ず悲劇が生まれるでしょう。NPDは人格障害の一つですので、ブラックホールのようなものです。NPDは陽のエネルギー(エネルギーを陽と陰に分類した場合)を吸収しなと生きていけません。ですから健常者は永遠に陽の気を吸い取られます。具体例はNPDの人を恋人に持つと、愛しても、愛しても、相手は満足と感謝をしないのです。永遠に愛される事のみを無意識にあなたに求め続けるでしょう。さて人生では<こそこそと逃げる>と、その逃避は心の傷になりますが、理由を知り、堂々と納得して逃げれば、心の傷にはなりません。堂々と逃げる勇気を持ちましょう。特にNPDを勉強する事で、どんな場合がNPDに該当するのかをしっかりと学ぶ必要があります:<NPD1:23-2>:

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身に覚えのない反撃をくらう!

2006年10月25日 | 第1章:愛の領域
ちょっと批判したばかりに百倍もの反撃をくらった経験はありませんか?過剰反応をする相手には気をつけましょう。過剰反応をする傾向のある人の、性格上の理由が分かれば、人は安心しますが、分からないとこちら側も巻き込まれていきます。なだれのように巻き込まれていく人々を見るのは大変辛いものですが、冷静に回避出来る人物が傍にいると安心と信頼を覚えるものです。同輩でも後輩でも、この<巻き込まれ回避能力>を持つ人を見ていると、暖かい点もあり、人間好きでもあり、現実吟味力もありますので、周囲の尊敬を自然、自然に獲得していきます。本人は意識していませんが、周囲の子羊たちは、その後をついていくようになります。過剰反応する理由は色々ありますがNPD1のタイプから生まれてくるこの嫌な人物について分析していきます。人間の<愛の孤独感>が原因なので、明日から少々学問的に考察を深めます:<NPD1:23-1>:

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変人は世の宝

2006年10月24日 | 第1章:愛の領域
心の病気を治療する為に、あえて深層心理を探らなければなりません。あえて、です。好きこのんで探る訳ではありません。さて、倫理道徳・世間の常識から見れば、驚く事ばかりの深層心理の世界ですが、ひるがえって自分の深層を時々、見る人とか、心の奥深い所にうごめく人間の想いを正直に勇気をもって見守れる人々には当たり前の想い・言葉ですが、その内容を世間様には言えない、言葉にだけは出せない数々の想いがつぶやかれています。しかし有名人が、うっかりその深層の言葉を口・言葉にしてしまったばかりに、マスコミに話題となり、あげくの果てにはその社会的な地位・身分を失って、刑務所まで行く人もいます。そのように人の心の深層を知れば知る程、人間の真実を知るだけに、あまり人の批判はしなくなります。深層心理学では<自分の心以外は全て変に見える><自分の心以外は全て驚きの対象>が常識です。この心理は種の生存を図る本能がもたらす想いです。世間から変人中の変人と云われていても、その人にとつての<変なこと>は変な事なのです。世界中が全部変人なのですから、これからは互いに<個性の美>を探しあいながら生きていきましょう。:<NPD1:22-5>:

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威圧したがる男女

2006年10月23日 | 第1章:愛の領域
自分の人生だけは、周囲には気が合って、楽しく、明るく、共に生活出来るタイプの人々と生活したいものです。しかし、どうしてこうも威張りたがる男女がいるのでしょうか?NPDの研究をすると直ぐ分かるのですが、生育史の関係で、劣等感、愛の孤独感が潜在していると、自己主張の方法として、人間の本能は、愛の孤独感を癒す手法として、無意識に自分の存在を大きく見せようとします。私を含め、人間だれにでも存在する性格、性能、傾向ですが、この現象に気づいた人は幸せです。謙遜は傲慢の始まり、といいますが、最初の謙遜の修行段階では、そうなる可能性がありますが、そのうち、自然で明るく、のびのびと、しかも、謙遜で、楽しい人々に変容していきます。この変容への契機は相当勉強しないと、実現できませんが、人格上の変容を目指す修行は人生で一番楽しい営みです。威張りたがる人生は秋の枯葉のように散っていきます:<NPD1:22-4>:

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サマリアの女

2006年10月22日 | 第1章:愛の領域
欧米の心理療法の学会で、この<サマリアの女>の事例を出してケチをつける学者がいたら三流の人物と暗黙の内に思われます。新約聖書ヨハネ福音書第4章1-42節の場面ですが、7人の夫を持った女が昼間、井戸に水くみに来て、キリストから癒され、人生の目的に気づかされ、生涯を美しい愛の世界で生きる決意を、短い会話の中で悟る名場面です。このキリストの立場を世界の心理療法家は研究します、そして何とか、この知恵を得たい一念で論文を書き続けます。この場合のキリストの考え方、ラポール(心の病を持つ相手の心に触れていく方法のこと)の付け方が天才的なので、オックスフォード大学学派と呼ばれる人々は生涯をかけて研究しています。大切な、大切な愛する人がNPD(自己愛パースナリテイ障害)の場合、是非この場面からそれぞれの立場で心を尽くしてあげてください。NPDの人でも、このように愛されたら、涙を流してあなたに感謝する日が必ず来るでしょう。春の喜び、というよりは秋の喜びのような日々が続くでしょうが:<NPD1:22-3>:

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異常な誇大感に注意しよう。

2006年10月21日 | 第1章:愛の領域
人に共通な性格の一つに<誇大感>があります。その意味は<自分の重要性、ユニークさを過大評価する事>です。もともと社会は厳しいので、とかく個人は翻弄され流されやすいものなので、人はいつか、それではいけない、しっかりしなければ、と自分を激励して生きています。ですから自然、自然に自己の重要性を意識化しないと存在の価値を感じなくなるので、本能がそれではいけない、自分は生きる価値があるんだよ、と教えてくれるようになりました。誰にもあるこの感覚ですが、或種の生育史は異常な誇大感を育むので、本人は幸せなのですが、周囲の人から見ると不気味な存在に見えてきます。本人は気づきません。この異常な誇大感は本人も周囲の人をも不幸にしていきます。どこからが異常な誇大感なのか、しばらく思索を進めます:<NPD1:22-2>:

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異常な泣き方怒り方!

2006年10月20日 | 第1章:愛の領域
愛は全てと云います。男も女も両方が感謝しあえる愛に生きていきたいもの。それを邪魔するのが<自己愛パースナリテイ障害的な>人ですが、その特色の一つが<異常な泣き方、怒り方>です。あなたをいつも哀しい気分にさせたり、嫌みをいっていたりしていたとします、そんな時、エイ・ヤーとあなたが反撃に出たとします。思わぬ現象が起きます、何と、大泣きしたり、信じられない怒り方をしだすのです。この現象を見たら、ああー、この方は、ひょっとして自己愛パースナリテイ障害的な性格なのかな、と推測しておいて下さい。そうするとあなたの心に少し余裕が出てきて、嫌な感じ、哀しい想いをさせられた時、一歩置いて対処でき、人間関係が楽になります。あなたがそう解釈出来た瞬間、相手は枯葉のようにひらひらと落葉していきます。:<NPD:22-1>:

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人生を豊かにする<嫌悪感>、え、本当?

2006年10月19日 | 第1章:愛の領域
心の優しい人ほど、日常の気になる人(夫婦、親、友達、職場の上司等)から嫌な感じとか<嫌悪感>を感じさせられると、自分がまだ人間が出来ていないから、と考え勝ちです。この<嫌悪感>はとても大切な感情で、嫌悪感から解放されたむこうの世界はその人を幸せにする方向を暗示しています。嫌悪感を無理に取り除こうとすると人格破壊が起きてきます。日々付き合う相手が、自己愛パースナリテイ障害的な要素を持っているとほぼ間違いなく、日々、嫌悪感に苦しまされます。嫌悪感を感じさせる相手がどんなに偉い立場の人でも、自分を非難しないでください。反省は大切ですが、自分を嫌悪感に押しやる相手が存在した場合、まず静かに観察してください。決していきなり自分が悪いと思わぬ事です。馬鹿にされて嫌悪感を感じないあなたは本当の幸せを得るチャンスを失います。朝焼けのように暗い世界から明るい希望のある世界へと導く嫌悪感は、とても大切な幸福への指標です。:<馬鹿にされた場合:21-5>:

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<のだめカンタビーレ>に見られる健全な劣等感

2006年10月18日 | 第1章:愛の領域
友人の紹介でテレビドラマ<のだめカンタビーレ>を楽しく拝見しました。のだめさんの劣等感は実に健全で微笑ましく久しぶりに懐かしい人間に出会えました。生き甲斐の心理学理論から拝見すると(1)アイデンティーの統合度は健全(2)防衛機制は健全(3)現実吟味力は大変乱れていました。さて日常生活で感じる劣等感は2種類あります。相手が自己愛パースナリテイ的な性格の場合か、自分の現実吟味力が不足している場合か、そのどちらかでしょう。のだめさんの場合は周囲からの強烈なリアクションが降り注がれているにもかかわらず、その防衛機制上の五感と体感は健全にフルに回転しているので見ていて嬉しいくらい健全です。五感と体感に忠実な人は変態と云われようが幸せなようです。:<馬鹿にされた場合:21-4>:

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泣き寝入りの想い出

2006年10月17日 | 第1章:愛の領域
美しい人生の想い出は将来を楽しく豊かにしますが、泣き寝入りの想い出は人間をゆがめていきます。想い出しても悔しくなる感情は、周囲の人に八つ当たりする悲劇をももたらします。どんなに意志力のある人でも、この泣き寝入りした嫌な思い出があると、人を虐めたり、八つ当たりしたり、人を哀しめたりするエネルギーに変身していくものです。泣き寝入りせざるをえない相手は親、上司、先輩、恋人、仕事の関係先に<自己愛パースナリテイ障害>の人物が関係しています。自分を反省するのは大切ですが、泣き寝入りしはじめたら、自分を責めないで、先ず、待てよ、ひょっとして、この相手は自己愛パースナリテイ障害の人では?と疑って、出来れば今後、泣き寝入りしない努力をしましょう。:<馬鹿にされた場合:21-3>:

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