生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<好きか嫌いか>が分からない人が存在するなんて信じられないと普通は考えます。日常はそれでいいのです。しかし神経症等の心の病になる事例を分析していくと何故か好き、嫌いが言えない、分からない事例が沢山あります。成育史の環境、または、その人の考え方で、平素、好きか嫌いかをうやむやにして生きてきたので、その領域の感情が混濁しているのです。愛する人が良かれと思って言ったりしたりしてくれている事柄に対して、普通はなかなか迷惑だとは言えません。しかしここが人生の分かれ道になります。好き嫌いは人間の原点なのでこれからは明確に好き嫌いを意識し知覚して生きていく必要があります。口にしなくても心の中で明確に意識しないと精神衛生が悪くなります。生き甲斐発見、自分は何の為に生きているのか、自分を大事にするという事はどんなことなのか、この大事な問題の答えはそれぞれ自分の心の中にあるのですがその答えを明確化する為にこれから好き嫌いの感情だけは正直に意識化し知覚しておきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
子供の頃から感じたまま、考えたままを言うと、何故か歓迎される時と、否定される時と、嫌われたり怒られたりする瞬間がありました。そうして段々と周囲の反応の具合を見ては、どれを言うか、どれを言うとまずいかを悟り出します。大人になり社会でもまれると、益々、本音を言わないか、最悪の場合はどれが本音、本心か本人も分からなくなります。そうするうちに、理想と現実、本音と建前すら混濁し、母と子、わたしとあなたの関係すら混濁し自分と相手を混乱させはじめます。ここに心理療法の出番が始まります。お互いに生身の人間なので人類は同じ体験をしますが、何か変だなあ、という疑問から学問が誕生してきます。自分の本音は案外分かりませんのでこの思索をしていきます。財産相続、貞操の危機、利害得失の争いの渦中に巻き込まれると意外な自分を知り愕然とした経験はありませんか?
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
多忙な日々、厳しい現実の日々、挫折の時、楽しいひと時、人はこうして毎日を送ります。坂あり、谷あり、感動と涙の日もある、そんな人生の中でも、明るく元気に生き抜いている人も沢山いますし、いつも暗く哀しい気分で生きている人もいます。この違いは<意欲>の内容に関係しているようです。どの人でも幸福感に導く意欲を持つ事が出来ます。意欲が湧きだすと生きる喜びを感じます。悩みは死ぬまで存在していますので、悩みを超える<意欲>を探し出し、その喜びを感じる人は幸い。不機嫌、嫉妬、恨みの感情があると、美しい意欲は生まれません。人の身体は神の神殿、自分と人が同時に幸せになる意欲を探し出すのが人生の課題かもしれません。自分一人だけの喜びにはあまり深いものはなさそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
無知とは恐ろしいものだ、と思いました。私が意識出来なかっただけの話なのですが、最近の古代史への意欲は私を非常に幸せにしてくれています。奈良東大寺をだらだらと坂道を降り興福寺に向かいますが、東大寺と興福寺の位置、高さが原因で藤原氏が桓武天皇を動かし京都への遷都を決意する場面を歴史書で知りました。興福寺は藤原氏の根城、東大寺は変身した聖武天皇(蘇我一族最後の砦)一派の拠点、坂上の東大寺と坂下の興福寺では戦闘の状況では非常に不利、奈良の都での闘争の日々に区切りをつけて、この際、新しい都・平安京(京都)へ遷都する歴史の裏話は非常に面白く時間がたつのを忘れて読み続けました。この時代への関心と意欲が私を鼓舞しています。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時時、勉強仲間のブログ等を拝読し、何とも美しい個性の持ち主だなあ、と改めて感動します。改めて自分にない美しさ、感受性、成育史に不思議なものを感じるからです。一番心が惹かれるのが、その好奇心。縄文文化の小説を書く人、海に潜る人、絵を描く人、俳句を作る人、ホモサピエンスがたどった色々の文化や宗教に関心をしめす人、まるで天体の美しい星をみるような感動に襲われます。個性の美は何とも素晴らしい。生まれた年代の違い、育った環境の違い、それが個性の美を形成していくのですが、不思議なのは、その個性の違いを美しいと感じず、いつも他所の欠点だけを探す人もいるという現実があります。避難はしませんが、何となく哀しくなります。面白いのは自分を反省した時、嫌な性格だなあ、と悩んでいるのに、ある人は、本気で、その点を大切にして、かつ、ほめてくれるのです。私が光と思っている内容,性格を陰、欠点と解釈する人、私が暗い陰と解釈している点を愛し、かつ、ほめてくれる人、この解釈の違いが、実に面白く、かつ、楽しい。人種の違い、文化の違いを素直に受け入れ、楽しみ人々は幸せ。人生を刺激し、生き甲斐を与えて下さる友達に感謝。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代出雲はユダヤ系の豪族、<ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とう>という言葉は、天の岩戸屋の前で、天照大神を引き出す際の祝詞だ、と言われ、かつ、その意味は古代ヘブライ語で<誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が出て来る為に、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょうか?>という意味だ、と言われれば誰でも、え、と興奮するのが自然でしょう。民謡、ヤーレンソーレンも古代ヘブライ語の歌だと言われれば、うーーん、と唸りながら勉強開始、となります。このように意欲は生命力を高め人生を豊かにしてくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代史に対して若い頃から何故興味を示さなかったか、しみじみ残念には思いますが、人にはそれぞれの歴史があり当時は欧米の学問に興味を示していました。昭和30年代の半ば20代の私がいきなりアメリカの某航空会社のファーストクラスに乗せられ綺麗なスチュワーデスに微笑まれた時は心臓が止まりそうでした。さて数十年、人生で戦い抜いてきた今は、私達を形成してきた日本の成り立ち、特に奈良、京都の旅をする度に古代史が何とも面白くなりました。オックスフォード大学で20代の頃、古事記日本書紀に英語で触れた経験はありますが、あれ、これ日本の話?何とも面白い記事があったんだ、という程度でしたが、いま、この年齢になると、その古代やまとの歴史がこんなにも面白く楽しいものだった、とは!私は今、とても幸せです。やまとの国、日本に生まれて幸せ.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
修行をしても生涯、その環境に適応出来ない人もいます。皇室を見ているとしみじみそう想います。何となく可哀そうです。現実に適応出来ない、その環境に適応出来ない、しかし今更引退も出来ない、あとは逞しく生きていく修行をすべきなのに周囲が異常な反応をしめし逞しい人間に教育することすら忘れている、何とも哀し場面です。その点、私はいつでも逃げさせます。草は幸せ。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日常生活でひんぱんに好き嫌いという言葉を連発すると、あの人は子供だ、大人になりきっていない人だ、と世間から非難されます。しかしトラブルメーカーを観察すると何故か、心の奥底では異常なほどの寂しがり屋さんです。愛の孤独感を無意識に感じていて何とかその寂しさを満たしたい為に嫌われていく姿があります。一概には言えませんが、トラブルメーカーと言われている人は注目されて孤独感をまぎらわす傾向があります。同情するとすぐあなたは利用されますから要注意ですが。トラブルメーカーの人に共通しているもの、それは本音の部分で、人、モノ、、森羅万象について好きか、嫌いかの区別があやふやなことです。特に嫌い、という感情をきちんと識別しておかないと、無意識にあえて嫌いな世界に飛び込んでいき、結果として周囲の人々に迷惑をかけていきます。嫌いと感じる事は倫理道徳に関係がありません。明るく元気に人生を生き抜いていく為に、嫌い、好きを正直に意識化する訓練が必要です。誰にでも愛されたい人と同じように<嫌い>と言えない人間にだけはならないように注意しましょう。世界の平和を維持する為には<好き嫌いの原初感受>を大切にしたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔、オバマ大統領が初めて出現した頃、素晴らしい政治家の出現に感動した記憶があります。その後、色々ありましたので、あの頃の初々しい自分の思い出は大切にしていますが、何故、最近、政治家に失望しているのでしょう?国際政治を見まわし、感動することがないのは、自分の視点がおかしいのかなあ、と悩みます。地球の運命、人類の運命も種の保存という視点からみると沢山の危険な問題を抱えているのが実情ですが、政治にうとい私を、感動させてくれる素晴らし政治家はいないものか!
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代史の本は楽しい刺激を大脳に与え続けています。その中でも聖徳太子は存在していなかった、という記事は刺激的です。太子が架空の人物、日本書紀内での想像の人物だ、という歴史が事実だとすると私は本当に困ってしまいます。和をもって尊しとする、という思想に共鳴し長年尊敬し、心の鏡でもあった聖徳太子が架空の人物であったら私は本当に困ってしまいます。聖徳太子で生き抜いてきたお寺のお坊様がその歴史学者に嫌がらせをしている、という噂を聞いた事があります。さて歴史書を見ると改革をする太子もトラブルメーカーでした。時代は変わりますが、いつの時代も何が善で何が悪なのか、どんな政府を正しいのか、特に今の世の中の話ですが、自民党からは何も見えてこないのがとても哀しいです。あれほど愛した自民党のなれの果ての姿を見るのが耐え難い。政治家の志に感動したことが、この10年、感じたことがない。どうしたら尊敬できる政治家にあえるのかなあ?

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どの社会にも、どの会社にも必ずトラブルメーカーと言われる人々がいます。あちこちで大小の問題を起こしヒンシュクをかったり煙たがられたりする人のことをトラブルメーカーと呼んでおきます。大きな歴史をみればフランス革命、ロシア革命、大小の改革、正義の戦い、愛の戦い、嫁と姑の戦い、いろいろです。さて自分の人生でも、ここ一番という勝負の時は多分、周囲はあの人はトラブルメーカーだ、とうわさしていることでしょう。自分の理想の人生を手に入れる場合はトラブルメーカーを覚悟して戦わないと、永遠にだらだらと生きる羽目になるでしょう。この微妙な異界の世界について暫く思索していきます。どこからが健全、どこからが異常、難しい問題です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
いくらひいき目に見ても政治家の印象は知性の欠落がはなはだしいような気がします。中には優れた若い人も出てきていますので安心ですが常識では考えられないような現象が見えてくると大変失望しこの国はどうなるのだろう、と本気で悩みます。例えば誰が見ても<嘘>の話を恥じらいもなく発言している姿が一番哀しい姿です。何が真実で何が嘘か、難しい問題ですが政治家から知性を感じないと国を任せる気分になりません。職場の上司に酷いお馬鹿チャンがいたら部下は本当に可哀そうです。知性と人情のバランスをほどほどに保持した先輩に恵まれた若い人は幸せです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本文化の中での万葉集はなんと大きな存在でしょう!もしこの万葉集がないとすると日本人は不幸です。西暦759年頃の完成と言われていますがこの和歌の存在は文学の世界だけでなく日本書紀、古事記の中に描かれた歴史の裏側を修正させるようなショッキングな真実を吐露していたり、実に刺激的な存在です。さて和歌をそれなりに愛すると非常に効果的な心理療法になるのを御存じでしょうか?1970年代にアメリカから高名な心理学者が来日してフォーカシングという手法を伝えました。しかしわざわざ覚えなくても日本人は和歌や俳句をたしなんでいたために精神衛生の良い国民である事実を知り、彼は驚きあわてた話を聞きました。驚きから尊敬にかわったそうです。和歌は、もやもやしたカオスの心の世界を和歌を歌うことですつきりさせてくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年07月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心も綺麗、お顔も綺麗、しかし言葉が何となく汚い、そんな男女を見ると残念だなあ、と思います。色々観察すると知性化に欠落があるようです。心身ともに綺麗な人が何故、あえてあのような汚い言葉を表出するのか、非常に不思議です。気取る必要はないのですが、残念な現象です。オリンピックで勝ち抜いた人々の美しさは言葉になりません。愛の世界も美の世界も言葉で表現するのは不可能ですが、それでも言葉で表現したくなるのが人間の良いところでしょう。せっかくの個性の美をあえて破壊しないでもらいたい気分ですが、これから美しい言葉、という意識を大事にしてほしいものです。
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