生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

愛されている自分がいる!

2011年04月22日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<自死>を選ぶ人の生涯を想うと、とても哀しくなりますが、それ以上に自分の孤独を見る事を大半の人は避けています。これは当然の精神現象で孤独な自分を意識するほど惨めな事はありません。何故、孤独感が重要視されるかと言いますと哲学の世界では孤独感から実にすばらしい思想が誕生してきているからです。神との出会いも孤独感から生まれてくるのが大半なようです。親友がいない、愛してくれる人が居ない、と気付いた人はまずは神様が自分を愛してくれているというカトリツク神学を一度覗いてみませんか?人類の歴史そのものですから非常に面白いです。学問としてのこの思想は人類史上、一番重要な思想だと私は思っています。どんなに貧しい自分、汚れた自分、罪深い自分でも、神様が誰よりもそんな自分を愛してくださっていると信じる事が出来たら<自死>という事だけは避けられます。そればかりでなく生きていく希望と勇気と知恵が自然と湧いてくる不思議さを体験として五感と体感で理解出来ます。:<何を信じたらいいのか:385-5>:

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<魂>は病む事はない!

2011年04月21日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
世界でもご高名な学者が平然として<病んでいる魂>という言葉を使用している文章に触れると、とても悲しくなります。比較宗教学の良い所は<魂は病むこともなく老いることもなく永遠不変のもので臨終とともに身体から離脱する知的生命体>であると信じる学説を提示している学問だからです。心と身体は大いに病む事も多いが神様が創造された魂が病むはずがありません。人類共通の魂はたがいに愛しあっているそうです。心と身体は戦争していますが魂は愛しあっている、と信じれば、この地上に希望が湧いてきます。魂が愛しあっているからこそ、良心の呵責が生ずるのです。日本での放射能汚染で世界が不安感に追いやられている一方、リビアでは戦闘が続いています。敵と味方の人々の魂は愛し合っていると思えばまだ終結の希望がありますが、魂も心も身体も憎悪に入り乱れていると思うと救いがありません。何を信じるか、大きな課題です。<何を信じたらいいのか:385-4>:

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考える事が面倒,と思うと、どうなるのかなあ?

2011年04月20日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<考える楽しみ>の醍醐味は自分の選択肢が果して良かったか悪かったか、その結果を見る楽しみかな、と思うのですが考える事が面倒だ、と思うと、どんどん自分を貧しくしているようです。どっぷりと甘えの構造の中を泳いでいるからです。失敗しても成功しても自分なりに考えて選択をしていかないと悔いを残す人生を歩むようです。アイデンティティーの統合に病的な揺らめきがある、という心理療法学上の概念はこのあたりの心のうごめきをも意味しているようですが、現実をどう解釈するか、この解釈を明るい方向へと解釈していくと考える事が楽しくなるようです。現実を暗い方向へと解釈すると考える事も行動することも生きることも面倒になります。森羅万象の解釈は自分を明るくする方向へ解釈したほうがよさそうです。考えるのも面倒、と思う日は結果として自分を惨めにしているようです。今日は自分の文章が気に入らず何回も修正したのは何故だろう?:<何を信じたらいいのか:385-3>:

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治療の現場での成功者は?

2011年04月19日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
医者にしてもセラピストにしても患者さんの具体的な症状に触れたときに咄嗟にどんな概念、イメージがスーッと頭に浮かぶかで、その仕事の世界での優劣が決まります。イメージが湧かない人はどんどん職場を去る羽目になります。さてこの場合は<不安感><環境適応能力><解釈>の3つが優れた概念です。aさんはこの大震災の雰囲気の中で津波や家の喪失に遭遇したわけではありませんが放射能被害や風評に<不安感>を感じています。あるがままの現実をどう<解釈>しているか、といいますと自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)へ追い込むような解釈をしていて幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)へ押しやるような解釈はしていません。この傾向に気付いたaさんは環境にとにかく適応しようと努力開始をしましたら少し平安になつたそうです。このような流れが今は大事なのです。<何を信じたらいいのか:385-2>:

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何を信じたらいいのか?

2011年04月18日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
東北関東大震災の影響で東京に住む大勢の人々も原発問題を含め心が不安定になつています。この現実は避けて通れませんので真面目に取り上げ考えてみたいと思います。長い人生の途上には次から次へと<不安感>が湧き出てきますが、この不安感の取り扱いには法則があるので、その法則を分かりやすく解説していこうと思います。発病のメカニズムという流れも大事ですが、環境不適応、という課題も飛び出してきます。ここでは同じ不適応でも現実の解釈の傾向、という課題も同時にこなしていかねばなりません。不安感、環境不適応、解釈、この3つを同時に学ぶ必要があります。この3つの課題を同時に勉強していく必要がありので、まずはこの3つの言葉を意識しておいて下さい。:<何を信じたらいいのか:385-1>:

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幸福のシュミレーションを描く!

2011年04月17日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
子供の頃は王子様になつたり剣豪になったり自由でしたが大人になると馬鹿馬鹿しくて夢のようなシュミレーションは描かなくなりました。しかし人生体験を積むと何故か、幸福のシュミレーションを描こうと努力する割には壮大なものが描けないのです。そこで美し小説や音楽、絵を鑑賞しだす必要に迫られます。感情を抑圧する生活をするとこの美しい想像力がどんどん委縮しだし、その委縮にさえ気付きません。実現不可能な夢を描く楽しみ方を大人になればなるほど、下手になります。心理療法の現場で委縮しないようにこれから益々幸福のシュミレーションを描いていきましょう。最悪のシュミレーションは何故か人は上手に描けますが、この両極端なシュミレーションをどうしたら楽しく出来るかを思索すると生き甲斐の道も見えてくるようです。<意思あるところ道あり:384-5>:

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意思あるところに道あり

2011年04月16日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<意思あるところに道あり>とは名言です。意思のないところには成功もなく喜びも低く棚からぼたもち、という怠惰のような哲学もあり、不思議なことに、意思もないのに欲求不満な人々が沢山います。これでは神様もお困りでしょう。人事を尽くして天命を待つ、それでも旨くいかない人生ですが私の知人に不思議な人がいます。自然の流れを大事にしていてその流れの中から自分の好きな選択をして幸せを掴み生活しています。夢は沢山あるのですが無理な選択はせず淡々とチャンスを待っているのです。努力もしているし勉強もしている、しかし<その時>を上手に待つています。意思もあるのですが自然体でその意思を貫いていくようです。
<意思あるところ道あり:384-4>:

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個性の美と心の病理の識別方法

2011年04月15日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
難しい識別ですが基本的基準は<プロセススケール>です。これは7つの視点から洞察していきます。1:本物の感情が湧きだす人か?、2:心の流れ方、3:心の中の意識と発露されてくる言葉の内容が一致しているか、不一致か?、4:自己の伝達が正確かどうか、5:体験の解釈、6:人生で起きてくる諸問題に対する態度、7:人間関係の仕方、以上の7つです。事例によっては専門家は更に細かく分類して洞察していきますが、心理療法室では平素は低、中、高の3つぐらいで識別していきます。この7つの視点が正常で、それでも普通の常識からすると<変>なのは<個性の美>として扱い、決して病理とはしません。是非、この視点で洞察し周囲の美しい美を変人扱いにしないで下さい。天才や天与の才能を駄目にしていきますから。:<意思あるところ道あり:384-3>:

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治ったのか、治っていないのか、どう識別すべきか?

2011年04月14日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<生兵法はけがの元>と言う言葉があります。キチンと最後まで勉強していかないと、治療完了なのか、そうでないのか分かりません。医者、セラピスト、カウンセラーでもこの微妙な領域を責任をもつて厳格に対応していないと患者さんは本当に気の毒です。酷い医者も沢山いて収入を考えて、もう来なくていいですよ、と断言しない事例が多すぎるようです。確かに難しのですが、ここが、どう変になつたら、また来て下さい、と明るく爽やかに言い切る人が案外いないのです。個性の美なのか、病理なのか、その識別訓練を積んでいかないと中々言えません。患者さん自身への終結間際でのアドバイスを私はいつもこう説明していきます。本人と私が考える<健康時点>と<病理時点>の識別を心理療法中に真剣に会話しておく必要があります。この体感、症状、知識の総合をしておく必要があるのです。どこのレベルから変なのか、どのストレス曲線なのか、一人一人別なので、要は長い人生での健康な時点の五感と体感、そして具合の悪い時点での五感と体感をキチンと解説していく必要があります。個性の美なのか、病理の領域なのか思索してみて下さい。<意思あるところ道あり:384-2>:

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心因性病理は必ず治ります

2011年04月13日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<心の病気>と診断された人だけでなく健康な人々でも平素の悩みなど、その原因は程度の差はあれ、原因と対策の基本は同じです。症状も成育史により相当違ってきますが、基本原理さえ覚えてしまえば、どんどん健康になつてきます。対処療法にこだわる人々が多すぎますので困りますが<意思あるところに道あり>は真理に近い考え方です。この<心因性病理は必ず治る>という考え方は、とても大事ですので5回にわたり考えていきます。どんな場合でも心因性ならば何とかなるものです。:<意思あるところ道あり:384-1>:

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恥の文化

2011年04月12日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
日本文化の中での<恥の文化>について、色々の人が色々の主張をしています。それぞれの意見を大事にしたいと思います。要は恥、という意識から自分を病的なストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込まないで欲しいのです。宗教を持つ人はそれぞれの宗教が持つタブーを大事にしていますように、日本人は<恥>を大事にして真面目に生きてきましたが、恥を受けるよりは死を選ぼう、とか辱めを受けるよりは死を大事にしよう、という文化が古代からありました。その文化を大事にはしたいと思いますが、現代では自死に結ぶような事だけはいけません。日本の古来からの恥の文化を幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)になるように使用して欲しいものです。:<日本人の傾向から平安感を考える:383-5>:

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甘えの構造は非常に大事な日本文化

2011年04月11日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<甘えの構造>を敵視する人がいますが、少々残念なことです。確かに日本人独特の<甘えの構造>は心理療法の世界では重要な治療目標の一つではありますが、意識化することで逆にこの日本人独特の精神構造を健全化の手法に使ってほしいいなあ、と思う事例も沢山あります。例えば甘える事を知らない人の場合、何とか防衛機制をはずして恋人に甘えて欲しいのです。いつも緊張して人に甘える方法を知らない人に会うと何だか人生が哀しくなります。愛の世界はお互いに甘えたり、甘えられたりしないと成立しません。<日本人の傾向から平安感を考える:383-4>:

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侘びと寂

2011年04月10日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
わびとさび、これは日本人が大好きな茶道の世界の話で、とても大事にされている考え方です。侘びと寂の世界に固執して日常生活で自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込むことほど馬鹿馬鹿しい事はありません。この侘びと寂の世界は美の世界ですので人間を不幸にする思想ではありません。欧米のキリスト教世界の愛の思想から比較すると何となく寂しい孤独感、と誤解されますが、このやまとびとの美意識は地上の美しい世界の一部を表現しているのであつて人間を孤独にし悲劇的にする世界ではないのです。わびしいなあ、さびしいなあ、と呟く世界に近いのですが現代の若い人はやまとの文化をもういちど勉強して欲しいなあ、と思います。侘びと寂、これはとても人を幸せにする世界です。<日本人の傾向から平安感を考える:383-3>:

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もののあわれ

2011年04月09日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
平家物語の祇園精舎の鐘の音、と聞けば日本人は誰しも<もののあわれ>という美意識に感動し、涙を流します。やまとびとの美学でもありますが、現代でもこの<もののあわれ>を和歌、趣味の芸能の世界で楽しんでいる人ならいいのですが、最近の放射能騒動や大震災の立て直しの中で、このもののあわれ、という意識が強すぎて神経症になる人々も増えてきました。自分をあわれにおもい自殺だけはしないで下さい。まして生活苦からの自殺はしないように。人間、死ぬ気になれば何でも出来ます。周囲と相談しつつ生き抜く知恵を探しましょう。生き抜く知恵は必ず存在しています。人の身体は神の神殿と言われていて、どんな困難がきても、その生き抜く答えは本人の中に必ず存在しています。<日本人の傾向から平安感を考える:383-2>:

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汚れと禊

2011年04月08日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
被災者が被災地へ危険を冒して帰る姿は、見ていて辛いが悔いのない人生ならば、やむを得ないとも思います。生まれ育った故郷は、その人にとつての宝物だから第三者は何とも言えません。さて辛い話を聞きました。被災者の一人が自分は汚れた、というのです。心も体も汚れたと嘆いているのです。どうしてそう思うのでしょう?複雑な事情があるにせよ、あれだけの被害を受けて苦しんだ人が何故、自分は汚れたと感じたのでしょうか?日本に古代からある<汚れと禊>の思想が今でもあるんだなあ、と衝撃を受けました。もし本当に汚れたと感じたら神主さんに頼んで禊をして欲しいと思いました。<汚れと禊>の思想は現代でも生きているようです。みそぎを受ければ、多分その人は洗い清められたと思うでしょう。:<日本人の傾向から平安感を考える:383-1>:

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