生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

愛は訓練の賜!

2006年07月31日 | 第1章:愛の領域
数年前の話ですが愛する人に看取られてAさんは帰らぬ人となりました。その寝顔は実に美しいものでした。さて<愛は訓練の賜>と考えている人は何故かあまり居ません。愛は自然発生的なもの、出合いの神秘なので、運悪く自分には理想的な愛との出合いは今の所ないんだ、と慰めてながら生涯を終わります。自分も相手もダイヤモンドの原石と同じだと気づいたのがAさんでした。スコット・ペックの世界的ベストセラー<愛と心理療法>を読んだAさんは長い獄舎生活でこの本を愛読し、恩赦で相当早く世間に戻りました。獄舎時代に取得した仕事を生業としていましたが、癌に気づいた時はもう手遅れでしたが、Aさんの暖かい雰囲気に何故か沢山の人々が集まりました。どんな訓練をしたかはこの名作を愛読してみて下さ:<末期論:5-5>:

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この世の天国

2006年07月30日 | 第1章:愛の領域
終末治療の患者さんを私は2種類に分類しています。同じ癌で亡くなったYさんは<幸せな一生であった>、と言い、Hさんは<不幸の連続だった>と言う。さて、この世の解釈も2種類あるようです。心理療法では<幸福の条件;財産、地位等の物質を重視する幸福論>と<幸福感:日々の感情、心を重視する幸福論>を明確に分類します。つまり体験の解釈をどうするか、という問題です。古来から現代までの最高の知恵者達はこの世の真実を<涙の谷>と言い、宇宙も人間の世界も<万物流転するもの>、<不安が本質>と、解釈しています。厳しいようですがこれが真実です。そんな哀しい現実であればこそ、人と人が深く愛し合う、その世界、瞬間をこの世の天国と解釈しています。:<終末論:5-4>:

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天国へ行きたい!

2006年07月29日 | 第1章:愛の領域
終末治療で<もう疲れたから、天国へ行きたい>と真剣に相談され、いい加減な返答をした為に、二度と心を開かずに死んでいったYさんの事が忘れられません。これと信じた人に相談したのに、はぐらかされた場合、元気ならば別な人に相談しますが、終末治療でのタイミングは非常に難しい。天国というイメージは世界中の文化・宗教で違いますが、古い歴史を持つ伝統的な宗教は魂の存在を信じていますのでこの世で生きている時から日常生活を魂の視点で考えさせようとしています。つまり<心と肉体は滅びますが、魂は永遠で死ぬ事もなく、永遠に生きる存在>なので魂の視点で日常生活を意識して生きていれば、臨終も恐れる必要はない>と教えています。信じて見えてくるもの、それが魂であり、魂は愛そのもの、と信じていますので信仰者は強いのでしょう。:<末期論:5-3>:

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地獄は嫌じゃ!

2006年07月28日 | 第1章:愛の領域
時々終末治療の最中に<地獄は嫌じゃ、嫌じゃ>と泣き出す男性がいました。こんな場合とか、自殺願望の患者さんとの対応は、いささか慌てる場面ですが、何が怖いのか、自殺の場合なら、どんな死に方を考えているのかを、静かに時間をかけて傾聴するのが相手の乱れた心を落ち着かせます。どんな場合でも、人は必ずその答えを持っています。答えは患者さんの中に必ず存在している事を信じていないセラピストは失格です。自分がその答えを与えなければと考えているセラピストが居たとすると問題でしょう。地獄のどこが怖いか、どうなりたいか、を静かに時間をかけて傾聴すると人は必ずその答えを自分で探し出し納得していきます。どんな場合でもそうです。地獄は嫌じゃ、と悩む人との会話は、人を愛せるかどうか、セラピストの実力を試す時でしょう。:<末期論:5-2>:

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終末治療での会話

2006年07月27日 | 第1章:愛の領域
人の一生はどんな人の場合でもドラマになります。近い終末を明確に意識した患者さんとの会話は神聖で、かつ緊張する瞬間です。赤ちゃんから死に至る数十年の人生は宇宙のような神秘をかいま見せてくれます。そのかたとの会話の中でも<私が死んだらどうなるのか?>という大切な質問があります。どの場合でも、既にそのかたは答えを持っておられるのですが、果たして本当に自分の信じている死後の世界が本当なのか迷うのは当然で、傍にいる人に再確認をしたい心理が働きます。注意すべきは傍らの人が既に宗教を持っている場合です。自分の信仰を押しつける危険があります。本当に死に行く人を愛しているセラピストは必ず時間をかけて、そのかたの信じている死後の世界を暖かく傾聴していきます。その人の信じた死後の世界が希望の無い世界の場合に初めて魂の存在と明るい希望に満ちた死後の世界について語りましょう。:<末期論:5-1>:

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運命が激変する

2006年07月26日 | 第1章:愛の領域
セルフコントロールの仕方で運命が激変していきます。人生の大事な場面で激怒した為にレイオフされた社員、うっかりお金に手を出した犯罪、色々の感情を制御出来ずに世間から制裁を受ける有名人、このように五感と体感をセルフコントロールする方法を知らないと、理想と現実のギャップがどんどん乖離していきます。最初のシグナルは不安感ですが、その不安感の中でも重要なものは<愛の孤独感>です。愛の孤独感は3つの原因で生まれてきます。魂、心、身体の3つです。これを今まで勉強してきましたが、この3つはどれも愛を求めます。孤独感を感じた時に、魂からの孤独感であると判断すれば、それに応じた対策をしなければなりません。生育史上の心が原因の場合、身体からの原因の場合、それぞれ対応してあげねばなりません。その対応の仕方が生き甲斐の心理学なので、このブログを毎日愛読してコツを身につけて下さい。ローマは1日で成らずです。:<生き甲斐支援:4-5>:

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聖なる性

2006年07月25日 | 第1章:愛の領域
生き甲斐探索の旅で一番重要な領域は愛の領域ですが、その中でも、身体から来る悩み(食欲、性欲)を上手に取り扱う必要があります。特に<性欲>の問題は人生ではキチンと解釈しておく必要があります。<性の生活>はここでは対象外ですが、生物体としての性欲を汚いもの、汚らわしいと本気で考えている人が存在しているのには驚きます。古来から性欲の解釈については色々ありますが、否定的な哲学は直ぐ滅びていきました。肯定的な哲学は更に発展し、ユダヤ教、キリスト教が一番重視している旧約聖書の<雅歌>を生み出し、仏教では<理趣経>を聖なる知恵,爽やかな光として、人類に与えてくれました。この<雅歌>と<理趣経:NAYA DOCTRINE>が無かったら性欲は惨めな位置づけしか得られなかったでしょう。性欲は神聖なもの。性欲をどう解釈するかで、人生が激変していきます。性欲をどう解釈し、どう扱うか、その解釈と応用がその人の運命を支配していますが、その解釈と応用の責任は個人の問題です。:<生き甲斐支援:4-4>:

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生育史上の<心>から発生する悩みの対処法

2006年07月24日 | 第1章:愛の領域
生育史上の心から来る悩みは万とありますので、一つに絞り込みます。自分は何故<人の愛を感じられないのか>と悩む事例を思索します。比較宗教学、文化人類学をベースにした宗教心理学はその解決方法として<信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの>の視点から考察を進める事を推薦しています。つまり相手の愛を五感と体感で感じ取る最良の修行の方法を教えてくれます。修行の方法は相手の身体に存在している魂を見つめなさい、と断言しています。もっと具体的に言えば<魂は愛そのものであって、しかも、病むこともなく、老いることもなく、死ぬ事もない永遠普遍のもの>と言う考え方から心理療法を進めたらいかがですか、と主張しているのです。精神分析学は悩みを解決する方法として過去の生育史を分析していきます。これも良いのですが、時間がかかりすぎます。原因を分析するのに数年を要します。それよりも<信じてみえてくるもの、信じて見えなくなるもの>の視点から<生育史上の心:人格障害>の悩みを解決する方が早い場合が多く、陰湿な治療終結ではなくスポーツの後のような爽やかな気分で終結するようです。:<生き甲斐支援:4-3>:

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魂からの悩み

2006年07月23日 | 第1章:愛の領域
面白い現象があります。大学病院で働いていた心理療法の仕事をしている人々の内に、人間とは何か、と言う哲学の内容によって成果が違つてきたという事実があります。つまり人間とは<魂>、<心>、<身体>で成立していると信じている人と、人間は単なる生物体で魂は無い、と信じている人の治療方法の違いです。欧米の一流大学での宗教心理学で<魂とは臨終の後、生物体から離れていく知的生命体>である、と教えている講座もあります。魂はいつも或種の愛を求めていますがその所有者である人間が<心>と<身体>の世界で著しく<魂>の求める愛と分離した生活をしている場合に深い哲学的な悩みが発生します。子供から高齢者まで、それなりの言葉と意識で悩みます。明日はそれを<心>の中での現象としてとらえて説明していきます:<生き甲斐支援:4-2>:

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自分の悩みが分からない人

2006年07月22日 | 第1章:愛の領域
生き甲斐支援の立場から<あなたとわたし>の関係を考えます。精神病棟の患者さんに対しても、友人に対しても、誰に対しても、それぞれの症状に対応する必要はありますが、治療目標の第一番目に、その環境での、朝から夜までの<生き甲斐>とは何かを意識させる心理療法は非常に効果的です。精神病、神経症、精神病質(人格障害)、正常の4分類が今の病理分類学では定説ですが、この4つのどの治療に於いても<先ずは一日の生き甲斐を意識させる>事を重視しましょう。生き甲斐を意識するには無駄な考え方を流し去り、肝心な考え方残して思索する必要がありますが、流し過ぎがあるので、意識にあがらない場合が多いようです。自分の悩みは魂の領域なのか、心の領域なのか、身体の領域の問題なのかを、どう識別していくか、今日から5回にわたり考えていきましょう。:<生き甲斐支援:4-1>:

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見ざる聞かざる言わざる

2006年07月21日 | 第1章:愛の領域
このことわざの解釈は<あなたとわたし>の関係で今は考えます。<愛と信頼>は二人の関係に於いても、神仏との関係でも、一番重要な<愛の姿>ですが、日本に古来から伝わるこの意味深いことわざを上手に応用しましょう。日本人の精神文化では、意識、無意識を問わず日常生活を支配している精神文明です。共働きの二人が別な仕事に専念していても<愛と信頼>を意識し知覚している二人ならば、本当に幸せな人生を送っていると言えるでしょう。<長所と欠点>は利害得失が深く関わるので、絶対の長所、短所、と言うものはありません。短所を言い合う暇があれば相手の長所をどんどん伸ばしたほうが二人は幸せになります。欠点をえぐり出す時間があったら、相手の美しさを褒める為の<見ざる聞かざる言わざる>に徹した二人は弓の矢のように<愛と信頼>に向かって一直線:<東西論:3-5>:

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全てを水に流す

2006年07月20日 | 第1章:愛の領域
古来から継続されている日本人の<愛の原型>の中に<全てを水に流す>という考え方があります。これを巡り多くの人々が賛成、反対に別れて議論しています。これはまた、これで大切な議論です。但し<わたしとあなた>の関係性の中で<あなた>が原初感情として<水にながしてね>と許しを乞うていた場合、しかも、人間的なプライドゆえに、言葉に出せない事情の中で、許しを乞うていた場合に、<わたし>が<あなた>を致命的に咎め、追求した場合は、その愛は完全に破綻するでしょう。全てを水に流す手段が<わたしとあなた>の間で、バランス良く働いていれば問題は無いのですが、一方だけが、勝手に<水にながしてね>では愛は成立する訳がありません。破綻する前に<愛の原型>とは何かを互いが重要な話題として、優しく親切に十分話し合う二人の愛は永遠です:<東西愛:3-4>:

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生け花の前で

2006年07月19日 | 第1章:愛の領域
病的な理由ではなく、日本人本来の精神文化の影響から、相手を正面に見据えながら愛を語れない人が多いようです。床の間の美しい生け花や掛け軸を二人で並んで見ている場合なら、心の奥底を正直に語れるのですが、相手を正面に見据えて、目をキチンと見つめると、愛を語る事が、どうしても出来ないのです。この現象は病理の場合もありますが、病理でないケースが多いのです。日本の歴史での愛は仏教や道教の影響もあり、現代人でも愛について、何故か照れくさい、気障だなあ、と言う心があるようです。ですから床の間の生け花を二人で並んで見つめながら、横に居る人に愛を語る方が楽なのでしょう。愛の原型の一つである場合もあるので<変な人>と思わないであげましょう:<東西愛:3-3>:

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屏風の外の世界

2006年07月18日 | 第1章:愛の領域
平安の時代から続く日本の精神文化の一つに、屏風(びょうぶ)の外の他人の話を聴いてはいけない、と言うのがあります。木造文化では障子、薄い木のしきりでは、隣室の音は筒抜けなので、礼儀作法として、聞こえても、聞こえないふりをする文化が1,000年以上も続いてきました。現代人はその事を意識している人、していない人、様々ですが、何となく理解出来るようです。<愛の原型>の意識の中に、この屏風の外の世界を聞いても聞こえない事にする、という固い信念の人が<あなたの愛する人>でしたら、是非、尊重していきましょう。もともと本当に愛し合っている二人ならば、互いの中に価値観が違う事を発見した場合、その違いが愛の刺激剤となります。違いを飲み込んでいくことで人間の器が大きくなるからです。愛の原型が違う事に大いなる喜びを感じるのが本当の愛かもしれません。<東西愛:3-2>:

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心理学の怖さと限界

2006年07月17日 | 第1章:愛の領域
<人を大切にする>方法は西洋と東洋ではだいぶ違います。どこがどう違うかをワンポイントで勉強します。ここで強調したいのは、現代心理学という学問が、長い西洋の歴史の中から誕生しているので、そのまま日本で応用すると、人々を不幸にしてしまう危険がある事を知っておいていただきたい事です。西洋化された現代の日本文化の中ですら相当心して、その違いを意識し、知覚しないと悲劇が生まれています。その悲劇を防ぐ一番良い方法は、ひとそれぞれが持つ現代人の<愛の原型>は、東と西の文化と歴史の影響が混在していて、<あなたとわたし>の関係性においても、ちょっと待てよ、と心に余裕をもって、愛する人の心の中の愛の原型を研究する余裕が必要です。現代人の愛の原型が西洋と東洋の文化で、どのように違うかを心理療法の立場から考えていきます。東洋的愛、西洋的愛、どこがどう違うかを意識し、知覚しないと、せっかくの大きな愛を逃してしまう危険があります。
:<東西愛:3-1>:

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