生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法は非常に難しいようですが、心の傷の解消方法は原理としては、どんな場合も同じなのです。ただ難しい点は生育史が違い、人生での出来事の解釈が人により全部違う点です。心の傷をストレス曲線として理解出来れば、あとは、先輩が苦労して創り上げた学問を応用するのみなのです。人間は愛である神様が創造されました。赤ちゃんから高齢者まで全部が全部、この「生き甲斐の心理学」を学習するわけにはいきません。しかし、原理さえ理解出来れば、簡単にストレス曲線に対処する知恵は身についてくるものです。明日、具体的に応用してみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親しい人に去られた時、残された方の心の哀しみ、傷をどう処理したほうがいいのか、「生き甲斐の心理学」ではどう処理するように勧めているのでしょうか?生育史が違いますので一概には該当しないかもしれませんが、キリスト教を背景にした心理療法では下記の事を勧めています。残された方の人の哀しみは当然なものであるので、まずは数日か、数カ月か、数年か、人によりその残像は時間的にどんなに対応しても無理なので、その間、ひたすらに心理療法家は傾聴に徹します。憎悪、挫折感、身体症状等、人により現象が違いますが、倫理道徳の視点は一切持たずに、五感と体感のレヴェルでの感情を、そのまま傾聴していきます。湧き出す感情には意味があり、その解釈も生育史により違ってきます。答えの内容は本人にしか分かりません。答えを心理療法家が教えたら、もう、それでその面談は失敗です。学問の理論(ストレス曲線:不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を応用しつつ、そのストレス(この場合、離別された方の人の心の傷)をどう幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)に変化させるか、それが心理療法家の実力です。答えは赤ちゃんから高齢者まで、心の健全な人から精神病患者まで、その答えは本人の中にしか存在していません。これが答えだ、と本人は「感じる」まで、これが答えだと本人が「考える」まで努力していきます。ストレス曲線が燃え尽きると、心の泉の蓋がとれていきますと、その答えは本人に見えてきます。これを自然治癒力とかホメオスターシスと言います。人の身体は神の神殿と言われ、愛そのものである全知全能の神様は人を見捨てることは絶対になさらないというキリスト教の哲学がオックスフォード大学にもケンブリッジにもソルボンヌにもシカゴ大学、ウイーン大学にも精神文化の底流に流れています。その理論を駆使しつつ「生き甲斐の心理学」の基本哲学、人間論が形成されていて、その人間観から、上記の解決方向の確信があるのです。答えを本人が意識化する手法のベストはストレス曲線をいかに解放させ心の泉をこんこんと湧きださせるか、その実力が心理療法家の修行の方向ですので、心の傷を持つ全ての人はどんな悩みであれ、この解決の方向性さえ意識化しておくと、これからの難しい人生問題を恐れる事がなくなります。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
食べ物、職業、趣味を除外して、まずは好きになる人間について考えてみましょう。好きになる対象・人間が自分の人生を決める、という考え方を納得されたでしょうか?変な相手を選択した為に、自分の人生がどんどん狂っていく、切ない体験をすると人はどうなっていくのでしょう?変な親に育てられるとその子供は無意識の内に変な人間に成長していきます。何が変なのかは、ここでは難しく、定義は困難を極めます。ここからが人間の偉大な所ですが、自分を省みて、何か変だなあ、と自分で気付くと、人はどんどん変化していきます。変な自分が変ではなく、親が変だった、と気付く50代の大人は沢山います。変な内容は万とありますが、ここで一番大事な哲学が「自己肯定他者肯定」か「自己肯定他者否定」か「自己否定他者肯定」か「自己否定他者否定」か、この4つの人間関係論から変かどうか自己分析してみて下さい。自分も幸福、相手も幸福、という考え方、共存共栄が基本です。もっとも暴力を使う人間、暴言を吐く人間とは、こんな優しい哲学を共有する必要もなく、案外、戦いが必要かもしれませんが、まともな人間同志ならば、この共存共栄の努力をする価値があると思います。好きになる対象の人間を再度、この4つの分析をしてみたらいかがでしょうか?
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
食べ物、職業、趣味を除外して、まずは好きになる人間について考えてみましょう。好きになる対象・人間が自分の人生を決める、という考え方を納得されたでしょうか?変な相手を選択した為に、自分の人生がどんどん狂っていく、切ない体験をすると人はどうなっていくのでしょう?変な親に育てられるとその子供は無意識の内に変な人間に成長していきます。何が変なのかは、ここでは難しく、定義は困難を極めます。ここからが人間の偉大な所ですが、自分を省みて、何か変だなあ、と自分で気付くと、人はどんどん変化していきます。変な自分が変ではなく、親が変だった、と気付く50代の大人は沢山います。変な内容は万とありますが、ここで一番大事な哲学が「自己肯定他者肯定」か「自己肯定他者否定」か「自己否定他者肯定」か「自己否定他者否定」か、この4つの人間関係論から変かどうか自己分析してみて下さい。自分も幸福、相手も幸福、という考え方、共存共栄が基本です。もっとも暴力を使う人間、暴言を吐く人間とは、こんな優しい哲学を共有する必要もなく、案外、戦いが必要かもしれませんが、まともな人間同志ならば、この共存共栄の努力をする価値があると思います。好きになる対象の人間を再度、この4つの分析をしてみたらいかがでしょうか?
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何が好きになるかで人生が決まるのは間違いありません。さて、皆様はなにが好きですか?生き甲斐の心理学では好きになる対象を3つに分類しています。魂の領域(信仰の世界、宗教学の世界等精神文化的な領域のこと)、成育史(自分の誕生から現在までの色々の出来ごと、固執障害、夢や理想等の、どちらかというと臨床心理学的な領域を意味します)、身体(五感、体感、病気、本能、その他生物学的、基礎医学的な領域)を意味します。この好きになる対象を心理学の立場から考察する場合、人間とは何か、という哲学的領域が明確な世界観を背景にした比較文化、比較宗教学の常識がないと、その話は次元の低い学問となります。好きになる対象は必然的にその人の人生を決定していきます。恋人を選ぶ場合もこの3点から、意識して選んで下さい。学問は事の表現を難しく表現する悪いくせがありますが、それは概念で戦争を起こさない為、喧嘩をさせない為、会話を混乱させない為です。赤ちゃんから高齢者まで、地球のどんな文化圏に属する人のつぶやく言葉でも、この範疇に属する会話をしています。赤ちゃんが泣くのもこの3種類です。母の愛情を求めて泣いているようでも色々の姿があり、更にはお腹がすいてなくのはこの身体の領域、とう風に、現象をこの分類で思索する人は錯乱がありません。暫く、このテーマで楽しく思索していきます。好きになる対象で自分の人生がきまるのです。人間が錯乱しないで生き抜く為には、自分なりの基準を所持していないと、周囲に巻き込まれていきますので、これを契機に是非、自分の思索基準を持ちましょう。柔軟に比較基準と言われているのがこの考え方です。お互いに頑固者と言われないようにしつつ、明るく元気に生き抜いていきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
20代と40代の「好き」と言う感情の取り扱いの違いについて、もうひとつ意識化しておきたいことがあります。40代での夢の実現の方法について知らないと晩年の人生が相当違ってきます。40代は人生を左右する年代です。それは何かと言いますと、生き甲斐の心理学で言うところの「3Vの法則」と呼ばれている知恵があるか、ないかでしょう。自分の夢を人が何と言おうと、下記の3つの事を楽しむ習慣が生活にあるかどうかが分かれ道のようです。自分の夢をイメージ、ヴィジョン、シュミレーション、といった手法で楽しむのです。更にはそのイメージをより正確な言語でノートに書きだす習慣をつけること、そして最後に、出来るかどうかを考えずに知人に電話してみるとか、行動してみるとかしつつ、実現に向けて行動してみること、この3つは普通、英語でvisualize,verbalize,vitalizeと言いまして、その頭文字のVを3つそろえて「3Vの法則」言います。この習慣をつけていくと大脳は日常生活で、その夢の実現のチャンスを、インスピレーションとして示唆してくれますので自己実現への道が容易となるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

例えば、自分の20代の「好き」という感情が自分の人生を狂わせるかどうか、あまり気にすると碌な事にならないでしょう。その20年代の「好き」という感情を今、?代でつらつら反省気味に思い出せば、当然、はらはらしますが、はらはらしながら、何とか?代まで生き延びたわけで、それぞれの年代で人はそれぞれ勝手に生き、そして早死にする人、長命に生きる人と、それぞれが天に向かって唾を吐きながら生きているわけです。さてこの激動の20代と、少し人生を知って多少落ち着いてくる?代の違いを「生き甲斐の心理学」はどう説明しているのでしょうか?一番の違いは「体験の解釈」だと思います。湧き出す感情の解釈が違ってきています。その理由は体験の蓄積からでしょう。何の為に生きているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の生育史を大事にしているか、という体験を蓄積していく内に、湧き出す感情の一つ一つに甘さと恐ろしさを苦々しく感じる人生体験を積んだからです。自己実現への道に?代に入ってからも意識化出来ていないと、湧き出す「好き」という魔物に振り回される危険が、その年代でも存在していると思われます。好きという感情は天国への道であると同時に地獄への道でもある体験を?代では多少理解出来ています。?代はそろそろ奈良京都の古い神社仏閣を訪問し自分の魂について思索開始したほうが良いようです。祈りこまれた古い神社仏閣には、それなりの霊性があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好きと言う感情は、その場での人の心地を良くはさせてくれますが、果してその後の人生を幸せにしてくれる情動かといえば何とも言えない複雑な感情です。皆様は20代での「好きという感情」と40代での「好きという感情」の内容が、どこがどう違うか、意識化し言語化出来ますか?このあたりの識別について考えてみましょう。好きという感情を健康なもの、病的なもの、この違いを意識化出来るとこれからの貴重な人生を益々悔いの無いものとする事が出来ます。嫌いという感情に固執すると、これまた問題が出てきますので、今回から好き、という感情に焦点を当ててみます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今日の首題質問はイギリスの心理療法の国家試験にしばしば出題されました。いつの時代でも同じだと思いますので、皆様も自分のこれからの人生で必要な答えを自分で考えてみて下さい。私の人生では「嫌な感情」に流されて、自分の人生を狂わせたものの一つに、上司への嫌悪感がありました。私の上司:A:に対する嫌悪感が人事面で、私に非常に不利に働いていったのです。上司ににらまれたお陰で自分の人生予定がどんどん破壊されていきました。これは何でしょうね?逆に或事件で参考人として、好きな上司:B:の為に、断る事も出来たのに、わざわざ裁判所に出かけます。その時、恐ろしい検事に向かい私の上司が如何に正義感に満ちた人物であるかを堂々と述べました。この上司:B:が裁判で負ければ私の人生も不利になることは明確でしたが、カトリツクの私の信仰にかけて、堂々と神様の前でかたるように弁論しました。裁判で勝ちましたら、私は思わぬ幸運にめぐまれます。これは大好きな上司:B:との関わりからくる人事面での事でした。生き甲斐の心理学で、この光と陰の事をどのように学問として表現していると思いますか?答えは「現実吟味力にゆらめきがあるか、ないか」の領域で自己分析、他者分析がなされていきます。現実は80億の人類、全部が違います。現実吟味力があるか、ないかは、生き延びていく為の現実吟味力をまず第一に分析の対象にしていきます。信仰の分野での犠牲心、殉教の場合でも、心の病がある事例、健康な事例があるように、生き延びる考え方をまずは検討していきます。現実吟味力は、その人が何の為にいきているのか、生き甲斐は何か、自分を大事にするとは、どういう事かが、或程度、意識化しておかないと、変な現実吟味力が働いてしまいます。生き抜く方向が定まると戦いが開始されます。方向の為の覚悟なないと意味がありません。いつも祈りながら正しい判断が出来るよう生活したいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
感情転移は人間の本能に近い精神現象ですので、人間にはそのような精神作用がある、という事実を受け入れ、それを上手に応用して生きていくと楽になります。どんなに修行を積んだお坊様でも感情転移はしばしばあり、aさんにむけるべき感情をbさんに向けてしまい、bさんを哀しめた、などという現象は日常茶飯事です。ドンキホーテのような極端なものは困りますが、さしたることではない場合、例えば<あ、自分は今、感情転移をしているな>と気付いたら、相手に素直にその気持ちを正直に伝達することで親友を得る事例が多いのです。美しい感情転移もあります。薔薇の美しい香り、その優しさを友達に感情転移したら、されたほうは幸せになります。真善美からくる素晴らしい感情を臨機応変に使いこなすと、その人は素敵に輝いてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好き嫌いは人間の本能で、どう取り扱うかはその人の自由です。しかし現代の法治国家、特に日本のように、どちらかと言うと世界では信じられないような安全の国では、あまりにも自由すぎて人々は今後の生き方に自信がないようにも見えます。電車の中で、人前で堂々とするお化粧の女性がもし、ロンドンでしたら、多分、紳士淑女が堂々と説教に向かうでしょうし、若い人でも注意すると思います。日本では自由でも世界に共通しる意識を持たないと国は滅びます。戦争に突入していく第二次世界大戦前の日本政治家だけが悪いのではなくこうした日常の礼儀作法が政治に深い影響を与えます。さて嫌な感情として日本社会で自分を滅ぼすもの、それは何でしょう?暫く思索してみます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ギリシャ神話には人間の大半の感情を意味する神様が登場しています。例えば「衝動の神」はエロース、死者の哀しみの象徴「ベルセポネー」等です。日本でも沢山の神々が居て、それぞれの気持ちを代表していますが、現代ではそれぞれの神社仏閣が商売繁盛、病気効能、恋愛等にききめがある、と人々の心をとらえていますし、善男善女がお参りして心を平安感に満たしています。この国、地方、文化での信仰について日本国憲法は信仰の自由を大事にしています。さて、嫌いという感情を無視すると人は心が不安定になりますので取り扱いに注意する必要があり、頭から抑圧しないで何故、自分は嫌うのか、軽く思索してみましょう。嫌いという感情は自分の独特の生育史上の何らかの考え方と現実のギャップから生まれてきます。つまり理想と現実のギャップが嫌い、という感情を生みます。理想は意識の世界のものと、無意識の世界からのものがありますので、自己分析は非常に難しいのです。ここで分析には時間が必要ですし専門的知識が必要なのでまずは嫌い、という感情が気になるか、ならないか、どの程度気になるか、を冷静に意識化してみましょう。自虐的になったり孤立して世間から軽蔑されたりするのは非常に危険なことで、人を不幸にする「嫌いさ」です。嫌いという感情を逆手にとり成長する人は、3つの分野で利用しています。嫌いという感情を神聖なもの、その中に極めて重要な示唆を所持する感情だと解釈出来る人は(1)魂の領域:宗教学的アプローチ、(2)生育史上の歪みを修正する為の領域と解釈する人は「生き甲斐の心理学」的アプローチを図ります。(3)身体の年齢による生理問題として解釈する人は生物学的、医学的アプローチを図ります。大分類はこの3つ、つまり魂、成育史(心)、身体、この3つの大テーマとして把握し、あせることなく、時間をかけて幸せになる答えをじっくりと見出す事を生きる目的、喜び、生き甲斐としてとらえて生きています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分が感じる「嫌い」という感情の裏に人類の生存を支配するものがあるらしい、と思ったことはありませんか?ふん、と思う人は、この記事は読まないほうがいいでしょう。しかし、嫌いという感情の裏には、神聖で深く大きな幸福を示唆する知恵への道かなあ、と少しでも感じとれた方は是非、読み続けて下さい。嫌いという感情には自分の生命がかかわっているのです。例えば、神様が嫌い、と本気で思う人は死ぬ時、どうなるのでしょうか?自分が何が好きで、何が嫌いか、その傾向を楽しみながら勉強していきましょう。京都奈良を旅をして、どんな神社仏閣が好きで、どんな所が嫌いか、正直に五感と体感で感じ取れる人は幸せ者。何が好きで、何が嫌いかを口に出す必要はありませんが、意識の上で正直に感じ取る訓練を楽しみましょう。どんな神様、仏様が好きか、嫌いか、どんな人が好きで、どんな人が嫌いか、その傾向が人類には必ずありますので、倫理道徳で自己否定することなく感じ取りましょう。正直にです、そうしないと人格が変形していきます。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き、と明確に意識化しないと、結局は偽善的となり、不正直な人となり、道をあやまっていきます。建前だけを言う人を人は嫌います。本音だけを言う人も、これまた嫌われます。程々のバランスがあると、人に愛されます。食物も同じ、異性も同じ、森羅万象も好きか嫌いかを明確に解釈していきましょう。さて魂の問題ですが、この自分の死と直結したテーマについては早急な結論は出さずに、生涯、こつこつと楽しみながら思索されたほうがよさそうです。自分が死んだらどうなるか、その答えは死んでみないと分からないだけに、実に恐ろしい嫌な問題、課題、テーマなのです。自分の死は嫌な問題の最たる領域ですが、今は嫌いな課題でも、この自分の死への嫌な感情だけは、あまり嫌わずに、すこしづつ、楽しむ雰囲気を哲学的に成長させていきましょう。自分の死を楽しく考えることを「メメントモリ」といいます。このメメントモリが人類を大きく幸せにした嫌な領域での大テーマでした。自分にとり、嫌な感情こそ、そこに最高の幸せへの道を示唆している、という先輩の教えに気付いてくださると有難く思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現代のギリシャは森がありませんがギリシャ神話が書かれた昔は森に囲まれた豊かな国だったようです。現代のギリシャの、森の無い風景から考えてしまうので、ギリシャ神話の面白さと理解の程度の深さを見失っている日本人が多いようです。森の中の虫や動物とかかわっていたればこそ、あの素晴らしい神話が生まれたのです。日本の古事記物語も豊かな大自然に恵まれていたので書けた名作でしょう。さて日本人の嫌いという感情は実に複雑です。砂漠の民に比較すると、とても感情は複雑で、表現も微妙となります。源氏物語を読んで下さい、あの何とも言えない複雑な感情表現は日本人でないと理解出来ないのでは、と思います。平安の貴族の存在は色々の問題を提示はしていますが、この好き、嫌いという感情の発達の程度と、その深さは文学としては世界に誇るものを持っていて、あの時代に、これほどの複雑で微妙な作品が人類の歴史にあるでしょうか?それだけにこの文化を遺産として所持する現代日本人の感情には実に面白い自己分析が出来るのです。私の中にも無意識にこの源氏物語の複雑な感情が潜在しているのを現代生活でしばしば感じます。嫌い、という感情のすぐ裏側に好き、という感情が絡んでいるので、どこから思索したらいいのでしょう?
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
アフリカで人類が誕生し、色々の発達があり、その中の一つに原初感情と呼ばれている感情があります。人類を生き延びさせた重要な感情の一つですが、その中に「嫌う」という感情がありました。好きか、嫌いか、その感情で異性を選び、食物を選び、好きな道を選んで、数万年をかけて地球に人類が蔓延していきます。嫌いなものを無理にすると変になりますが、考え方が病的だと何でも嫌いになり、結局は自分を滅ぼしていきます。この嫌いという感情について暫く思索してみましょう。自分を成功させるのも、破滅させるのも、この「嫌い」という感情にかかわってきます。さて、縄文時代の日本人にとって山は大切な信仰の対象でした。山や森や美し川の流れを嫌う人に私は今まで遭遇した事はありません。恐ろしい山、恐ろしい自然は感じますが、アニミズムではありませんが、自然は大好きです。嫌いと好き、この感情を比較しつつ、嫌い、という感情の奥深い意味をさぐっていきます。
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